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※①~④の連載です

この頁 (①)の目次

・「寄り添い合おうよ」って言うけどさ・・・
・手話ドラマの影響か? 定期的に「NO!下手“手話”運動」が発生
・みんな、寄り添いたいと思ってる
・「寄り添う」と「寄り添い合う」の違い
・複雑 で 悪循環 な 世界


「寄り添い合おうよ」って言うけどさ・・・

~対立する双方の意見を、フラットな気持ちで聞いてみた~

私達は手話のチームではなく
「”音楽”で色々繋いで行くチーム」だという事を先にお伝えした上で。

#音楽やってるチームです

手話「も」使わせて頂いている事で
手話・難聴/ろう者さん にご興味のある方々の参加やお目に留まって頂く事もあるらしく。

当チームの 手話のレベル は、
ネイティブな方にも
プロジェクトの主旨をご理解頂き
「初心者以前のレベルに」合わせてもらっているので

それこそ「出来る人も出来ない人も寄り添い合えて」
いるんじゃないかなーって思います。(手前味噌?)


それがイイとか悪いとかではないけれども

私達は
上手に「手」が動かせない方や
一度も手話をやった事がない方に「こそ」
『音楽があるから、一緒に出来るよ、一緒に楽しもうよー』と、
やっているワケなんですが

最近「手話やってる方々」からのお悩みの声が届くようになりました。

どうにもまた
「それは手話じゃない!」
「そーだそーだ!」
って
大きな声で言う風潮が高まっているみたい

どうにもやり難い世界になっているんですって。

#知らんけど

※手話ネイティブの全員ではありません、そういう人が一部いて、そういう人の声が大きいって事らしいです
※私の周りには有難い事に、優しく温かい難聴ろう者さん・ネイティブさんばかりで有難い環境です♡


手話ドラマの影響か?

定期的に「NO!下手“手話”運動」が発生

手話の世界では、定期的にこの「波」があるらしく
1年半前に
私たちもその点について「こう思うよー」という動画を作ったのですが
当時とまた同じ流れになっているとのこと。

多分、最近立て続けに「手話ドラマ」があったからかもしれませんが
1年半前と変わらない状況が続いているみたい。


で、なんでどうして星人の自分は
・やり難さを感じている手話初心者
・下手な手話が気に障る手話ネイティブさん

どちらの話も聞いてみました♪
今回はその、感想レポートになります。

この感想レポートは
「聞こえに障がいがある人」と「聞こえる人」ではなく
「手話できる民:手話がネイティブに出来る人
「手話できない民
:手話初心者組」に分けて考察しています。

それは私が、手話の世界をノックして 中を覗かせてもらった時に
「手話ができない私がマイノリティになり、手話ができる方の中に入り難かった経験があるからです。
(そして手話の世界にどっぷり漬かるのは辞めて、外から眺めていようと心に決めました)

その時も「心のバリアフリーって何?」と考えさせられましたが
今また、同じ事を客観視して考えてみます。


みんな、寄り添いたいと思ってる

手話やってる人って
「寄り添う」
「寄り添い合う」
という言葉がお好きみたい

よく
「聞こえない方々に寄り添って云々」
言いますけど
(私も何度か言われた事あります)

初心者や まだ上手に手を動かせない人 が 手話をやるのは
『寄り添っていない』って事になるんでしょうか。

#なんでどうして?

初心者が下手でも一生懸命手を動かしているんだ~
っていう事実には、寄り添ってもらえないんでしょうか?


手話が上手な方が ➡ 手を上手く動かせない方に寄り添う

って事は、しないんですかね?

(※当チームではネイティブさんが寄り添ってくれてますけど?)

逆に
聴覚障害のある方々が完璧な言葉を喋れなくても
聴者はなんとも思わないですよね?

「そんな言葉じゃ伝わりません!」って全く思わないし、
言わないですよね?

なんで手話の世界だけそういう事が起こるのかな?


「寄り添う」と「寄り添い合う」の違い

寄り添う

寄り添い合う

ってニュアンス違いますよね(下図)

どっちかがどっちかに寄り添うか
じゃなくて
寄り添い合えばいいのに
って思うけど

手話の世界はどうも
「寄り添い合う」ではなく 「寄り添う」が主流の様子。

確かに「手話レベルを高める事」は大事だけど
この図で言うと
「手話できない人」が一方的に「手話できる人」に寄り添っても
何度も何度も、突き返されて
それで、心が折れて手話挫折、という人が多く出ているように見えます。


複雑 で 悪循環 な 世界

ろう/難聴か、健聴か、に限らず
手話が出来る方々の中には(※全員ではありませんよ!)
・『下手な手話は見るに堪えない』
・『手話できない人は、出来る人にもっと近付かなきゃ!』

っていう方々もいるんだな!って事は解りました。

手話できない民 の私から 贔屓目で見ると
そういう方達はきっと 最初っから 完っ璧な 手話しか
人様にお見せした事がなかったんでしょうね、スゴイデスネー!

・・・などと言う事も出来るけど、
どちら(手話できる民/できない民)の話をフラットな気持ちで聞いてみると
どうも 事態はもっと複雑な様子。


「寄り添い合う」事の難しさ ② …に続く

その②目次
・時代は変わっているのに
・エスカレートする「否定(有言無言)の圧」
・「無意識」の善意と悪意が表裏一体の同調圧力
・その「無意識の正義」に傷付く初心者たち

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