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※①~④の連載です

「寄り添い合う」事の難しさ ① の続きです
前頁 ① 目次
・「寄り添い合おうよ」って言うけどさ・・・
・手話ドラマの影響か? 定期的に「NO!下手“手話”運動」が発生
・みんな、寄り添いたいと思ってる
・「寄り添う」と「寄り添い合う」の違い
・複雑 で 悪循環 な 世界

この頁(②)目次
・時代は変わっているのに
・エスカレートする「否定(有言無言)の圧」
・「無意識」の善意と悪意が表裏一体の同調圧力
・その「無意識の正義」に傷付く初心者たち


時代は変わっているのに

今は時代が変わって
スマホやSNSが当たり前の世界になって
誰もが、下手な手話も発信できるようになった ので

「言葉になっておらーん!」という動画が目につくようになったのでしょう
と容易に想像は出来る。

多分、SNSがこんなに発達しなければ
目障りな手話が目につく事もなかっただろうし
ソコに否定的な意見を言う人もいなかったんでしょうね。
いても、それを目にする初心者もいなかっただろうし。

でも時代は変わって、もうSNSが無い時代には戻らないんだから
誰もが雑多な動画も見れるようになったし、発信も出来るようになったし
これからも色んな動画がきっと流れてくるのはストップ出来ないんだから
いちいち目くじら立てないで
「下手ねぇ。ふふw」って
大きな広~い心で見ればいいんじゃないかなー、と思うよー

とは言いつつ
なんというか、声を荒らげたくなるのも、全然わからないワケじゃなくて


エスカレートする「否定(有言無言)の圧」

手話やってる人が、という一括りにしていいのか解らないけど
私が手話に関わって思ったのは
みなさん 「教えたがり」

それは解ります!
知ってる知識って、誰かに教えたくなりますものね!
勿論、それ自体はとても素敵な事 ♪
そうやってみんな、どこかで何かしらの知識を得て「へー」って宝物のような情報を発見するんだと思いますし。

だけど、その伝え方がきっと、とても難しい。
「間違ってるよ!」って教えたいけど、どうしてもそれは「否定」になる。

言い方が難しい上に、

特に、手話って、ワリと「へー(チョット珍しい)」ってなったりするもんだから
「これはこうなんだよ」
「手話ってこうなんだよ」
「その手話はそうじゃなくてこう!」
「そんなんじゃ手話を日常的に使ってる人に伝わらない!」
「それは手話じゃない!」
・・・って、だんだんエスカレートして行く。

手話がチョット出来る人は
またそれに同調圧力で「そーだそーだ」
下手な手話をしている人を下に見る。

そうする事で
「自分は難聴ろう者さんの事わかってやってますよ~、
ちゃ~んと寄り添ってますからねー!(だからワタシの事は叩かないでね~)」
という姿勢を見せている

で、言ってる本人も
流されたり同調圧力だったり もあって そう言ってるんだろうけど
その事に気付いてない。結果、誰かを否定してるなんて思わないで
「事実を言ってるだけだもーん!」と、さらに声は大きくなる。

・・・という状況なのかな? って見えました。


「無意識」の善意と悪意が表裏一体の同調圧力

どういう事かというと

手話やってる人はみんな優しい、福祉やってるイイ人
みたいに見えるらしく
まるで 女神のように 優しく 美しく キレイな言葉で、それを言う。

言ってる本人も「聞こえない人の為に!」と、
難聴ろう者さんに 寄り添っているつもり 

誰かを否定しているなんて思っていない状態 

「手話はこう考えて、こうやるモノなんですよ~♡」なんて発信してて

でも その「中身」は、手話できない民 に 圧を感じさせる内容だったりする。
キラキラさせながら、そういう発信をしている。

つまり
「手話は言語なんですよー うふふ ♡」
「寄り添いましょうよ ♡ 福祉の事 考えてます ♡」
「伝わる手話をしましょうよ ♡」

って ハートフルな発信している「手話できる民」
言葉をひっくり返しちゃって、それらの言葉は

手話できない民 に

「手話が言語だってわかってないんですかぁ?」
「障がいがある人の事、ちゃんと考えてるんですかぁ?」
「伝わらない手話をやるなよ、見せるなよ」

と届いている 状態。

「手話できない民」は敏感にその「うふふ♡」の裏にある
本当の意図(圧)を感じる
けど
発信している「手話できる民」
「間違ったコト言ってないもん、優しく言ってるもん」って

誰かに圧をかけている事にすら、自分で気付いていない。

・・・・という事です。 ※あくまで主観&客観視


その「無意識の正義」に傷付く初心者たち

そうやって
「誰かの 何かしらの行動 を、否定してイイような風潮」が出来ていく。

否定してイイような風潮や同調圧力に流された「手話できる民」が
「手話できない民」を委縮しちゃって、

圧を察した手話できない民は

めっちゃくちゃ・・・傷付いてる。

この傷、なんだか エグい です。みんな、ものすご~く、傷ついてる。
(「気にしないで大丈夫だよ」とか安易に言えないくらい)

多分・・・優しい人も多いのかな?っていうのもあるけど
寄り添い合いたいって思ってた人達に拒否られるのが
本当にシンドイみたいです。ヤル気を奪うみたいです。

これ、手話できない民(傷付いた側)の話を聞いていると
同調圧力や、正論という刀を振りかざす事で、
取り返しのつかない自体に陥る 嫌~な事件を連想させます。

だって「正しい手話を見せて下さい」って正論ですものね。反論できない。
私個人の考えとしては「正論だからって人を傷付けてイイワケでもない」
って思うけど
手話できる民は、下手な手話を見せられる事で
「手話という言語を軽んじないで!」と傷付いてるのかもしれない。

手話の世界って、ずっとそんな繰り返しだったのかなぁって、感じました。
どうやったら、寄り添い合えるのかなぁ…。

もうちょい深く見てみよう。⇩


「寄り添い合う」事の難しさ ③ …に続く

次頁 ③ 目次
・正しい手話だけが「寄り添ってる!」の空気
・多分、ソコじゃない
・「手話を広めたい」とは言うけれど
・壁を乗り越えられない「挫折組」が大勢いる


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