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※①~④の連載です

「寄り添い合う」事の難しさ ② の続き

前頁 ② 目次
・時代は変わっているのに
・エスカレートする「否定(有言無言)の圧」
・「無意識」の善意と悪意が表裏一体の同調圧力
・その「無意識の正義」に傷付く初心者たち

この頁 ③ 目次
・正しい手話だけが「寄り添ってる!」の空気
・多分、ソコじゃない
・「手話を広めたい」とは言うけれど
・壁を乗り越えられない「挫折組」が大勢いる


正しい手話だけが「寄り添ってる!」の空気

手話の世界には、目には見えないヒエラルキーがあるように感じる。

※あくまで私個人の感じ方です (注釈:日本手話=ろう者さんが使うもの・日本語対応手話=難聴者さんが使うもの、というワケではないらしいです、ざっくりそれが主流だってだけで、日本語対応手話を使うろう者さんもいれば、日本手話を使う難聴者さんもいる)

みんな上に行きたいのは当然。
「正しい手話こそ正義!」「正しくない下手な手話は寄り添ってない!」
を言う事は、上に行くための通過儀礼にも見える。
※何度も言うけど個人的な感じ方ですよ!

「正しい手話こそ正義!(=下手な手話は撲滅!)」
「手話は言語だ!言語としてやらないのは、寄り添ってない事だ!」
って、手話やってる人は 大体 み~んな 言う。

でも
どんな言語だって、最初からネイティブに流暢に喋れるワケじゃない
と思うんだけど、
なんだか それが許されないっていう空気!
って感じている人も多くいるみたい。

私も同様に
ネイティブさんは 生まれた時から流暢に手話で喋れたんですか~?!
って、ツッコミを入れたくなる気持ちですけど

なんというか、人間だもの、
そういう流れ(風潮)が出来るのは、解らなくもない。


多分、ソコじゃない

で、これは、手話できる民側 の お話を聞いて
「多分…」と感じた事なんですけど

ネイティブのみなさんが気に障っているのは、
「手話が上手に出来る/出来ない」
ではない気がしました。
そういう言い方しか出来ないから、そう言っているだけで。

手話できない民が「ドヤ!手話やってやったぜ!」
・・・って 得意気に見えちゃう動画

が、気に障っちゃうんじゃないかな。

(※手話は表情が大事だから、ちゃんとやろうとすると、どっちにしろ顔がドヤって見える事が多いから仕方ないんだけど)

だって、手話が全然わからない人・手話に全然縁がなかった人から見たら
ネイティブな手話も、下手な手話も
同じように『へー!』って見られるから

・上手な手話を一生懸命練習した人 や
・命がけで「言葉」として手話を使っている人 からは

「あんなの手話じゃない、言語じゃない、お遊びだ!一緒にしないでくれ!」
という声が挙がっても、仕方ないかもしれない。


手話の文化や歴史を紐解くと
昔、難聴ろう者さんは 聴者(聞こえる人)からの酷い扱いがあったという。
(この話は長くなるので割愛)

今もまだ その傷跡が残ってる時代だから
≪「ドヤ!手話やってやったぜ!」って得意気に見えちゃう下手な手話動画≫
を見ると、きっと

「何にもわかってないくせに!」
という気持ちにもなる 
のだろうなと。

だし
「この世の中は全て、聞こえる人中心に出来ている!」
「手話民くらいは、聞こえる人の方が ➡ 聞こえない人に寄り添って!」
と思う人がいても
おかしくないな~ とも、思います。


「手話を広めたい」とは言うけれど

矛盾してるな~って感じたのは

手話を広めたい方、手話できる民の 一部 の方々は
「難聴ろう者さんに優しい世界を!」「手話を広めたい」とは言うけど

現状は

▶ 手話以外 の事は 何もしない 人も多い
 
(例えば、何か手話以外に 役立つ事 や できる事…
 「買物時に難聴ろう者さんが使える 指差しシートを自作して広めよう!」 
 などといった行動は 起こさない 人も多い。
 (※目立たずソレをやってる人も たくさんいて 尊敬します)

手話を広めたいと言いながら、そうして 厳しく、時にはニコやかに、
    手話の入口に辿り着いた人に圧をかけて、手話を広める事にブレーキをかけている

で、

手話をやれば難聴ろう者さんに寄り添えるよ~
って声高に言いながら
逆に、その手話の壁をどんどん高くしてる。

手話できる民が、自ら「手話の入口の壁」を高くして
その壁を一所懸命よじ登って来た初心者を「下手な手話を見せるな!」
蹴落として、谷底に送り返す

どうにかそれでも頑張って上に這い上がった人は、今度は
初心者に対して、またその厳しさを教える為に、谷底に落とすを繰り返す。

そんな仕組みが出来上がっちゃってて、
昔から 定期的に 繰り返しソレをやってる感じ に見えます。


さらに付け加えると、これは聴覚障害のある方が仰っていた言葉ですが

手話を見せたくて発信している人(主に聴者で手話やってる人)の中には

「難聴ろう者を 可哀そうな人に仕立て上げて、
 自分の特技(上手な手話)を見せたいだけでは?」

と 見える事もあるようです。。。なるほどー。


かといって
間違った手話や、難聴ろう者さんへの間違った解釈を
野放しにするのもどうかと。

誰かが、声を上げなくては。。。となれば
そりゃあ、大きな声を出したくもなりますよね。

う~ん、難しい!


壁を乗り越えられない「挫折組」が大勢いる

結論は私には出せないけど、自分だったらこうするしか思いつかない ⇩

① 双方 ➡ 「どっちの意見もあるって事を 認め合う」
② 圧をかけている側 ➡「圧をかけている事を自分で認識する」
③ 圧を感じる側 ➡ そういう人もいるんだな、と 割り切る」

③ については・・・
上手な手話こそ正義!の 否定的な意見 を 吸収・糧にはしても
自分が練習したり学んだりしている「手話」への気持ち 
否定的な他人の誰かに評価」させないように、
自分のペースで 学んだり 練習したり 出来て、心折れないように
多少の「スルースキル」も必要になってくるんじゃないかな? (';')

何もかも 「否定された!」と マイナスに捉える必要もないけど
確かに、その風潮がある事は ちょっとカジっただけの 私でも 感じます!

だけど、手話の初心者さんで、
ど~しても この風潮が気になる!傷つく! という人は
どうにか、ソレに気持ち 負けないで!楽しくやってこ!と願っています。


どんな世界であれ、それぞれ色んな思いがあって、色んな立場で
何か行動を起こしてる…例えば「手話をやる」とか。

手話をやる理由だって、手話をやる人だって、
色んな立場・色んなレベル・色んな考えの人がいて当然なのに
答えは一つ!下手な手話はダメ!絶対!」
「手話をやるなら、皆、一律にレベルを上げよ」
みたいに、それ以外・それ以下を許さない風潮があるって事ですかね。

#いやなんで?


寄り添い合う」事の難しさ ④ …に続く

次頁 ④ 目次
・高い壁をどうするの?低くする?高くする?
・どっちもどっちかもー(個人的感想)
 ▶手話できる民に対して思った事
 ▶手話できない民に対して思った事
・視野を広げて見てみよか?


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