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【要約】教育思想(上)

教育思想【上】
  発生とその展開
村井 実 (1993年)

要約

1.教育とは「子どもを善くしようとすること」

「教育」という言葉は誰でも日常的に使うものである。しかし、その詳細な意味、中身についてよく吟味することは多くない。古代から、世界のあらゆる文化で「教育」にあたる言葉は存在しており、そこには他の言葉――教える、育てる、変える、学ぶ等々――では十分に表現しきれない「思い」があった。その「思い」の最も普遍的で素朴なところから考えると、教育とは「子どもたちを善くしようとする働きかけ」(20)であると言える。

しかし、単に「子どもを善くする」と言っても、それはとても難しい。子どもを思い通りに変えるなんてできるのだろうか。いや、仮にできたとしても、「思い通りに善くされた子ども」など 本当に「善い」のだろうか…。
こんな事を考えると、本当の意味で教育することなどそもそも無理ではないか、時にそんな気持ちになる。しかし、それでもなお 善くしたいと思わないではいられない。では、どうしたらそれは果たせるのか――これが教育思想である。


2.古代ギリシャ――教育思想の三つの原型

教育が「子どもを善くしようとする働きかけ」である以上、「善さ」は教育の最大の関心事となる。「善さ」については、時代や場所によって様々な考え方、定義、捉え方があり、それらに従って、当然に教育の考え方や方法も変わる。
興味深いことに、古代ギリシャの一時期に、「善さ」の捉え方=教育思想の三つの原型が出揃っている。

【現実主義の教育思想】
・イソクラテス(BC400年頃)に見られる
・「善さ」とは:
「善さ」は現在・現実の社会で「善い」とされていること。社会的に有用なこととして「善さ」は明確に現実世界に存在する。「善さはイマココ、足元の大地にある」というイメージ。時代や社会が変われば、「善さ」も変わり得る。
・教育のかたち:
その社会で模範とされる道徳、知識、技術、考え方、行動などを子どもに身に着けさせる。

【理想主義の教育思想】
・プラトン(BC400年頃)に見られる
・「善さ」とは:
究極で変わらない「善さ」=善さのイデアが、現実世界ではない場所に存在している。実社会で善いとされるものは、善さのイデアのコピーのようなもの。「善さはイマココにない、雲の上にある」というイメージ。
・教育のかたち:
まず、善さのイデアを覚知できる選ばれた人間と、そうでない一般人がいる。選ばれた人間は、人々を善さのイデアに導く指導者(哲人王)になるための教育を受ける。一般人は、哲人王と国家が示す「善さ」に近づくために必要な素養を身に着けさせる。

【人間主義の教育思想】
・ソクラテス(BC400年頃)に見られる
・「善さ」とは:
人間にはわからない何かでありながら、人間が不断に求めるもの。人間は究極の「善さ」を知ることはできないが、常に「善さ」を問題とし、それに向かおうとする
・教育のかたち:
自分は本当の「善さ」を知らないということに気づかせ、同時に「善さ」に向かおうとする自分の内なる力を強める。


3.古代ローマ

ギリシャの時代の後はローマ帝国の時代である。この時期の代表的な教育思想家はクインティリアヌス(35~100年頃)である。彼の代表的な著作の『弁論家の教育』は、単に職業的指南書ではなく一般的な教育書とされている。その理由は、当時のローマでは、弁論家は社会的に称賛され尊敬される「善い人」という認識があったからである。

正しい弁論家になることは、ただ政治的・経済的に上り詰めるだけでなく、知識や美徳を備えて社会に貢献する人であることを意味した。(現代の感覚で言うと、努力によって経済的成功をした篤志家や、あるいは大谷翔平のような「善い人」のイメージだろうか。)
このように、弁論家=善い人として、それに向けて教育をするという考え方は、イソクラテスの流れをくむ現実主義的な教育思想の典型例である。

また、ローマは学校教育も発展したが、これも現実主義の教育の特徴である。現実主義はそのわかりやすさゆえ、多くの人から理解・賛同を得やすいし、システマチックな教育形態=学校教育と親和性が高い。

一方、現実主義の教育には問題点もある。それは、社会が「善い」としたものが 時を経て硬直化・形式化してしまったとき、それを見直したり修正したりする力が弱いことである。


4.中世ヨーロッパ――「善さ」=神

ヨーロッパの中世とは ざっくり言うと、ローマ帝国の衰退後に普及したキリスト教による秩序安定の時代である。この頃の教育の特徴は、「善さ」=キリスト教的な神、とすることである。
三つの教育思想の型でいうと、理想主義と現実主義の両面がある。というのは、絶対的な「善さ」としての神に向かうという側面が前に出るときは理想主義に近くなるのに対し、神という「善さ」が何らかの形で(例えば教会として)現実に下りてくるイメージが強いと、それは現実主義に近くなる。この二つは、中世の中でも時期によってどちらが優勢かが変わる。

中世初期のアウグスティヌス(354~430年)は「善さ」=神とする中世の教育観を確立した人物であるが、この頃は神に向かうイメージの理想主義的な側面が見られる。
しかし、教会の権威が大きくなるにつれ、次第に現実主義的な色合いが強くなっていく。社会の身分、規範、秩序が固定化されていくと、教育も次第に制度化されていく。例えば中期以降は、大学の興隆(12世紀ごろ)や身分や職業別の教育システム(騎士は宮廷で、職人はギルドで、など)も出来上がっていく。


中世後期にはルネサンスが始まる。この時期はまず、ギリシャ・ローマ的な価値観を復興させようという意味で理想主義的性格が強い教育(人文主義的教育)が目指された。しかし、次第にラブレー(1483頃~1553年)らが人文主義は形骸化している(キケロ主義)と批判し、代わりに打ち出された教育思想は、実生活で有用なものを身に着けることを目指す現実主義だった。


5.近代の萌芽

16世紀ごろに起こった宗教改革を経て、ヨーロッパは近代に移っていく。中世と比べて、この時代の新しい教育の潮流に、「理性」と「自然」という考えがある。しかしながら、近代の初めは、依然として中世で広がった現実主義的な性格が支配的だった。

この頃を代表する思想家の一人目はコメニウス(1592~1670年)である。彼は、理性と知識によって世界=神を知るという構想を掲げた(汎知主義)。また、教育の方法としては自然の法則に従うことが重要と説いた(例:学習は簡単なものから複雑なものへと進むべき)。

コメニウスの考えは、人生=教育の究極的な目的を神としている点で理想主義ともいえるが、同時に現実主義的な特徴もある。それは、(貴族や聖職者ではなく)民衆の実生活に興味を向けていたという点や、形而上学的な理論・形式よりも自然現象や法則、現実の世界についての知識を重視していた点などが示している。

ジョン・ロック(1632~1704年)も近代初期の教育思想を代表する人物である。彼の考えでは、人は階級よって受けるべき教育が変わる。中上流の階級には紳士教育を、下流には労働者の教育を行うべきと考えた。このように社会的役割に合わせた目指すべき具体的な像=「善さ」があるという点で、ロックの教育思想は典型的な現実主義である。
また、彼が生まれたばかりの人間の精神を「タブラ・ラサ」=白紙に例えたのは有名な話で、そこに教育によって「善さ」を書き込むという点も現実主義的である。

ただし、彼のタブラ・ラサは、これまでの子ども観から画期する点もあった。それまでは、子どもはまるで粘土のように完全に受動的に、自由に形を作られるものとして考えられたのに対し、ロックは子どもの中に「善さ」を(白紙の状態として)受け入れる働き=理性を備えているものと見たのである(178)。この点は小さいが重要な差異である。

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