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批判とまともに向き合うことが愚かである理由
かつては芸能人などの知名度のある人しか情報発信はできなかったが、今はSNSの普及により誰でも情報発信ができる時代になった。
しかし、自分の意見が常に受け入れられるとは限らない。
読み手の受け取り方によって言葉の意味は変わるからだ。このようなネットの記事においても、書き手の思い描いた通りに読み手に内容が100%伝わるということはまずない。
今回は、ネットにおける批判に対してまともに向き合うことがいかに愚かであるかを解説する。
「ネットの批判に対して傷つきやすい」という方の参考になればうれしい。
批判をする人は基本バカ
いきなり攻撃的な見出しだが、この理由は「批判をすることは非生産的で無意味な行為だから」である。
批判をする側とされる側のメリットを踏まえながら解説していく。
批判をされるメリット
批判をされるメリットには以下の2つがある。
①より良いコンテンツ作りに役立つ知恵がある
②影響力が高まる。
①より良いコンテンツ作りに役立つ知恵がある
「批判とはまともに向き合うべきではない」とは思うが、参考にするべきだとも思う。
なぜなら、批判には「自分の意見に対してこう思う人がいるんだ。」という新たな発見がたくさんあるからだ。
とはいっても、暴言を放つ人や支離滅裂で日本語が理解できていない人のコメントは参考にならないのですべて無視。ここでダメージを食らうのではなく「何言ってんだこいつ」くらいで流すのが一番。
また、批判の中にも自分の誤りを指摘してくれる人もいるので、そういった意見はどんどん取り入れて自分の糧にしていこう。
とはいっても、あくまで参考程度のものなので、何度も言うがまともに取り合わないということが大事。本気になっちゃダメ。感情的になってもダメ。
②影響力が高まる
「批判を受けること」は悪いことだと思われがちだが、実は発信者から見たらそうでもないことが多い。
実際、芸能人の炎上事を見てても、結果的に炎上が本人にとっていい方向働いてくれることもあるのだ。
なぜなら、炎上によって「本人の影響力が高まるから」である。
これは私のような無名においても同じ。
つい先日、「Vtuberが嫌いな理由」という記事を書いたのだが、なんとこの記事は一日で私の過去の人気記事のアクセス数をごぼう抜きして一位に君臨。
批判しやすい記事だからこそ人気が出たのだろう。
私の記事が多くの人の目に触れたということは、多少なりとも私の影響力が高まったことを意味する。
以上のように、一見悪いイメージのある批判にも、批判をされる側からしたらメリットが大きいものなのだ。
批判をするメリット
つぎに、批判をするメリットについて解説したいのだが、、、
残念ながら批判をするメリットはない。
他人の意見に、自分貴重な時間を費やしてイチャモンをつけ、それで得られるものは何もない。
ここまで空しい行為があるだろうか。いや、ない(反語)。
つまり、批判をしている人はバカなのである。
ここまでで、批判をしている人がバカであることはある程度は理解できたと思う。
批判をされないためには?
また、「批判をされないような記事を作ろう!」と思う人もいるかもしれないが、それは不可能。
言葉の受け取り方や日本語力は人によって違うし、そもそも批判をしてくる人は全体のごく少数の人間。
そんな人たちのことを気遣って記事を書いていたらストレスがたまるだけ。自分の書きたいことを好きなように書くのが一番。
私たち人間は個人によって言葉の受け取り方、持っている知識、価値観が異なっているため、どうしても意見が合わない人はいる。
だから反対意見が存在するのは当たり前のことなのだ。
そんなものにいちいち反応していたら、時間がいくらあっても足りないし、その時間をもっと有意義なことに使うべきだ。
批判をする側ではなく、される側に回れ
まとめとして、
・批判をされることは悪いことではなく、むしろ良いことである
・自分と反対意見を持つ人がいるのは必然のことなので、いちいち反応しない
ということだ。
最後にあなたに伝えたいのは、「批判をする側ではなく、される側に回れ。」ということ。
ここまで読んでくれたあなたは、批判をすることがいかに愚かなことかを理解できただろう。
それと同時に「批判されることって意外と悪くないじゃん!」とも思っただろう。
そこで、自分の意見はどんどんアウトプットしてほしいのだ。
何も、恐れることはない。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと言えない世の中はつまらないし、何より窮屈で生きづらい。
そして、自分と意見の合わない人がいたら、「こんな人もいるんだな。」とスルーする習慣を身につけていってほしい。
それでは。