【名言】篠崎史紀『ルフトパウゼ ウィーンの風に吹かれて』
著者と本の紹介
篠崎史紀はNHK交響楽団第一コンサートマスターであり、私の好きな音楽家の一人だ。
コンサートマスターとはその楽団のまとめ役である。
クラシックコンサートが始まる前、一人だけ立ち上がり、オーボエの出すA(ラ)の音でチューニングをする人であり、指揮者が最初に入ってきたときに握手を交わす人である。
N響といえば、クラシックファンでなくとも知っている、日本が世界に誇る歴史ある交響楽団。
そのコンマスと聞いたら、黒髪、7:3分け、黒ぶち眼鏡のいかにもな日本人を想像されるかもしれないが、良い意味で期待を裏切る風貌である。(どちらかというとマジシャンか役者に見える。)
N響としての活動ももちろん、マロワールドとして若手ソリストとのアンサンブル演奏も行っている、世界でも有名なバイオリニストである。
本書は、篠崎氏(通称まろ)の初エッセイだ。
内容は以下の通り
コンサートマスターについて
歴代の指揮者について
作曲家について(モーツアルト、ベートーヴェン、バッハ)
ウィーン留学
音楽教育について
特に前半の方は、音楽をしていた人になら伝わる「言葉にできない、あの感じ」(1/100秒の間やニュアンスをほぼ言葉も合図も無く合わせられたり、逆に音楽から遠い非常に抽象的な表現で伝えたり)について書かれており、非常に面白い。
元々私は吹奏楽部に所属していたし、オーケストラに乗せてもらった経験もある。またクラシックファンでもあり、演奏を聴きに行くこともある。
そのような人間からすれば、プロの人、最前線にいる中の人から見るとそうなのか、という発見のある良書かと思う。
そしてこの本で最も紹介したいのが冒頭にも示した、以下の文章である。
この引用は、本書の音楽教育についての話の中で出てくる。抜き出して書くと改めて、素敵な言葉だと感じた。
世の中には、多くの素敵な方々がいる。
実力があり、思いやりにあふれ、センスがあり、実行力がある。
目標を持ち、時には人々を率いて突き進む。
真面目だが、一方で冗談もたしなみ、その場の空気を和ませる。
身だしなみもよく、スタイルも姿勢も年相応に良い。
決して高く止まることなく、卑下することもなく、人懐っこい笑顔を浮かべている。
魅力的な方々の中で、ああ私は何で、と思うことは幾度もあった。
自分自身の好きなところと嫌いなところを数え上げれば、嫌いなところの方がずっと多い。
嫌いなところから目を背けて、萎縮しながら過ごしていた時に出会ったのが、この本の上記の文章だった。
この文章を見たとき、ふと心が軽くなるのが分かった。
自分の嫌いなところも全部丸ごと受け入れてもらえた気がしたのだ。
もちろん、注意はしなければならない。でも嫌いなところを完全に無くす必要はない。抱えたまま、好きなところをもっと伸ばせば良い。
個性と短所は同じものなのだ。そう思うと途端、自分の嫌いなところが愛おしく思えてくる。同時に、他人の短所と思える部分がその人の個性なのだと気づかされる。
他人の短所は時に周囲を困らせる。だが、それを上回る魅力がその人にあるのなら、チャームポイントとして認識される。
短所と好き嫌いは異なるものだ。
他人より不得手なことがあったとしても、それだけで嫌われるわけではない。「これができない。だから私はダメなんだ」と考え、卑屈になる。その態度が嫌われるのだ。
勇気が無い。うまく話せない。自分に自信が無い。だから、その人から嫌われるのか。否。
勇気が無くて行動できない、だからやる気のない人だと思われる。
うまく話せないから会話を避け、何を考えているかわからない人だと思われる。
自信が無くて人と目を合わさないから、何か隠し事をしているのではないかと疑われる。
短所を隠すために行う行動が、結果として他人に嫌な印象や不信感を与えているのだろう。短所はそう簡単に無くならない。無自覚の短所ならもっとわかりにくい。だからこそ自分を見つめ直し、それを認め、注意して付き合っていく。
たとえどんな天才にも得意、不得意はある。むしろ偉人達は個性的だ。短所を上回る長所があるため、偉業を成し遂げ、後世でも愛されているのだ。彼らはきっと、自分のことを誰よりも的確に評価しているのだろう。
まずは、自分の短所を認めること。そして長所を伸ばしていくこと。
長所・得意なことは、他の人と比べて苦ではなく、楽しく感じることのはずだ。
楽しいことをして長所を伸ばすことで、気が付けば短所が個性として認められる。
もっと人生は楽しんで良いのだ。