
【3分読書メモ】「生物から見た世界」(ユクスキュル/クリサート)を読んで
■基本情報
書名:生物から見た世界
著者:ユクスキュル/クリサート(原本)
翻訳者:日高敏隆/羽田節子
出版元:岩波書店(岩波文庫)
出版日:2005年6月16日
ジャンル:生物学
読書メーター:https://bookmeter.com/books/17360
■気になったポイント(引用文+コメント)
「動物主体は最も単純なものも最も複雑なものもすべて、それぞれの環世界に同じように完全にはめこまれている。単純な動物には単純な環世界が、複雑な動物にはそれに見合った豊かな構造の環世界が対応しているのである。」
<メモ>地球上に生きる全ての生物には、それぞれの世界(環世界)が存在すると考えられている。人間から見た環境は”人間の主観で捉えた世界”に過ぎず、生物から見えた世界とは言えない(例:「ゾウリムシ」は食料しか認識できず、環世界には食料+障害物(その他)で構成されている)
「コクマルガラスはそもそも静止しているバッタの姿を知らず、動く姿にしかセットされていないらしい。多くの昆虫の『死んだふり』はこれで説明できよう。つけまわす敵の知覚世界に昆虫の静止した姿というものがなければ、昆虫は『死んだふり』をすることによって、その敵の知覚世界から確実に抜け落ちてしまい、敵が探しても見つかるはずがないのである。」
<メモ>「バッタの『死んだふり』が通用するかどうか」という推測は、人間側の客観的な見解に過ぎない。そもそもコクマルガラスの世界には「静止したバッタ」の存在がインストールされていない。これは死んだふりを見て「死んでいるのか?それとも生きているのか?」という思考をもって判断を下す以前の問題で、生物の環世界の奥深さを物語る興味深い事実である。そもそも相手が対処法を知らないのであれば、よっぽどのことがない限り(こちらが)まず勝てないわけがない。
「人々が『良い環境』というとき、それはじつは「良い環境世界」のことを意味している。環世界である以上、それは主体なしには存在しえない。それがいかなる主体にとっての環世界なのか、それが常に問題なのである」
<メモ>人間は地球上の自然世界が全てだと思いがちだが、それは間違い。おおよそ生物は主観からフィルターを通した環世界に生きており、それは食物連鎖の頂点に立つ人間とて同じ。他者を理解したいのなら、まずはその人がどのような環世界に生きているのかを把握しなければならない。
「ダニを取り囲む豊かな世界は崩れ去り、重要なものとしてはわずか3つの近く標識と3つの作用標識からなる貧弱な姿に、つまりダニの環世界に変わる。だが環世界のこの貧弱さはまさに行動の確実さの前提であり、確実さは豊かさより重要である。」
<メモ>環世界が単純だからこそ、行動が生存に直結する。ターゲットが絞られるからこそ、迷いがなくなる。ゆえに行動に確実性が伴う。
【本書の感想】
生物学の観点から書かれた古典だが、現実社会の対人関係で応用できそうな示唆に富む良書である。誰かを本当に心の底から理解したいなら、"相手が身を置いている環境"、”相手が見ている世界”に目を向けなければならない。内容は専門的だが、生物学をかじってなくても”ある程度”は読み進められる。
【こんな人にオススメ】
・生物学について興味がある人
・対人関係で悩みがある人
・人間を取り巻く生態系について興味がある人