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【3分読書メモ】「寝ながら学べる構造主義」(内田樹)を読んで

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■基本情報

書名:寝ながら学べる構造主義
著者:内田樹
出版元:文藝春秋
出版日:2002年6月
ジャンル:哲学
読書メーター:https://bookmeter.com/books/5605765

■気になったポイント(引用文+コメント)

「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実はことばによって「表現される」と言うより、むしろことばを発したあとになって、私たちは自分が何を考えているのかを知るのです。

<メモ>我々の内側には常に様々な観念が渦巻いているが、それらを100%完璧にアウトプットすることはできない。と言うものの、観念を言葉に表す上で純粋な観念ではなくなるからだ。

ソシュールは言語活動とはちょうど星空を見るように、もともとは切れ目の入っていない世界に人為的に切れ目を入れて、まとまりをつけることだというふうに考えました。

<メモ>元来、世界は名もなき混沌で満ち溢れていた。人間の知的活動が無ければ、世界は”よくわからないモノ”で埋め尽くされていたはず。人間とは意識的にせよ、無意識的にせよ、意味(区切り)を対象に付与する生き物なのだ。

私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではないのです。

<メモ>現代を生きる我々にとって避けられない宿命とも言えるだろう。何かを論ずる以上、その社会組織や規範、世俗的に流通している物差し等に則るスタンスは不可逆的である。

私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。

<メモ>我々は何事においても主体的に考え、自己意識に基づいて選択していると思いがちだが、その判断は周囲を取り巻く環境や不確定要素から大きく影響を受けている。これは"意識的に自覚しているもの"より、むしろ"無意識のうちに影響されている"場合が多い。

ヘーゲルもマルクスも、この自己自身からの乖離=鳥瞰的視座へのテイク・オフは、単なる観想(一人アームチェアに坐って沈思黙考すること)ではなく、生産=労働に身を投じることによって、他者とのかかわりの中に身を投じることによってのみ達成されると考えました。つまり「労働するものだけが、『私は』ということばを口にすることができる」ということになります。

<メモ>「働かざる者食うべからず」に通ずる……かは分からないが、マルクスの言わんとしている思想は何となく理解できる。つまり、机上でウンウンと唸りながら考えるのではなく、己が汗水垂らして創造した生産物を通してのみ、自己の観念が何たるかを(俯瞰視点から客観的に)再認識できる、ということではないだろうか。

【こんな人にオススメ】

・哲学に興味を持ち始めた人
・構造主義のサワリを掴みたい人
・構造主義の歴史を体系的に学びたい人

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