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【宿題帳(自習用)】情報の力を獲得するために心と情報との付き合い方を再考してみる(その4)

【関連記事①】
前の記事は↓を参照。

プリゴジンは、外界と物質やエネルギーが絶えず行き来する非平衡の開放系では、長期にわたって安定したマクロなパターンが出現することを見出し、これを散逸構造(※14)と呼びました。

「混沌からの秩序」I. プリゴジン/I. スタンジェール(著)伏見康治/伏見譲/松枝秀明(訳)

※14:
散逸構造とは、非平衡なのに定常状態であるもののこと。
別の言葉で言い換えれば、流れがあるのに形が変化しないもののこと。
散逸構造の例としては、ガスコンロの炎(炎が一定の形をしていられるのは、エネルギー源としてガス(主成分はメタン)が供給され続けているから。
ガスはコンロの中から出て、(酸素と結合して、二酸化炭素と水になって)空気中へ広がっていく。
この炎のように、流れがある非平衡状態なのに、定常状態(形が変化しない状態)である構造を「散逸構造」という)の他に、海の潮の変わり目にできる渦や、台風や、そして生物がある。
プリゴジンも生物が散逸構造の例であることには気づいていて、いろいろと考察している。

この中では、ある物質が自分自身を触媒として、同じ物質を生み出す自己触媒が重要な働きをしています。

これはオートポイエティックな存在としての生命を示唆しており、散逸構造が生命現象の基本かもしれないと言われています。

つまり、この意味でも、ヒトと動物は同一の認知基盤を持っている可能性が示唆されるのだと考えられるかもしれません。

さて、現実から時空間を離れた多人数が登場する物事を記述するためには、ボノボのカンジ君が解するレベルをはるかに超えた論理的な脈略を表現する必要があります。

【参考記事】
ヒトが 「ボノボ」から学ぶこと~コンゴ川を渡った平和主義者達~

https://www.mizu.gr.jp/images/main/fudoki/people/058_furuich/058-furuichi.pdf

カンジ君は、語順の制約は、意味として理解できるが、複文になると77%しか理解できなくなるそうです。

社会動物が発展したヒトがそんな複雑なものを必要としたのはなぜか?

この動機は、構成員の不安解消や結束のためであるそうです。

類人猿がそれを求め政治することからも分かるように、予測できる=未来への不安を抱えるということであり、それを解消するという強い動機がそこに存在しうるのだとか。

そして、その動機が、卓越性だけでは共同体は纏まらず、内部抗争が頻発してしまうという現実と結びついたとき、聖性、すなわち求心力のあるフィクションが必要となったそうです。

未来への不安から共同体を守り(国家の形成)、結束するために神話が必要となり、神話―現実から時空間を離れた多人数が登場する―を記述するためには、シンタックス(語を組み合わせて、文など更に大きいまとまりを作るときのきまり。文法(論)の一部。統辞法。統語論。)に支えられた複雑な表現機構が必要となったという主観的なロジックも考えられる様です。

さて、社会動物は、知覚によってのみ環境世界を認識するだろうか。

カンジ君の例からは、知覚だけでなく、他者とのコミュニケーションで環境世界のイメージを作り上げるということが分かります。

カンジ君は、自省段階の心的システムを持っています。

ここでやりとりされた言葉は、共同主観性(※15)・間主観性(※16)を持っています。

※15:
自分の考えていることが正しかったとしても、それを他人とどうやって共有すればいいのか。
「自分ひとりだけが分かる言葉」というものはありえませんし、現実に私たちは、他人と言葉を使ってコミュニケーションしている。
そこでフッサールは、「共同主観性」という概念を考えました。
つまり、「『正しい』と皆が思っていることは、皆が『正しい』と認めているから正しいにすぎないのだ」という考え方です。

※16:
間主観性とは、20世紀に入って、フッサールの現象学とともに提示された、主観性についての新しい考え方である。
それは、主観性が根源的にはエゴ・コギト〔われ思う〕として単独に機能するのではなく、たがいに機能を交錯させつつ共同的に機能するものであって、こうした主観性の間主観的な共同性が対象の側へ投影されたときに客観的世界という表象が生じると考える。
こうした考え方の源泉を、現象学からさらに遡って、カントの判断力批判における普遍的可伝達性の概念にその原型的なかたちをみる解釈もある。
ただしそれを反省的にではなく、あくまで対象規定的にはたらく認識能力の機能として解釈したうえでのことである。

これは、神話が規範権力として機能するためには、シンタックスを持った言語が共同主観性・間主観性を持っていなければならないことと符合します。

でなければ、社会的リアリティなど持ちようがないためです。

「神話作用」ロラン・バルト(著)篠沢秀夫(訳)

この「神話」は、構造主義のレヴィ・ストロースが物語の構造分析に使い、その流れから重視されてきた概念でもあり、ロラン・バルトは、神話を人類の普遍的な構築物だと考えました。

つまり、構造主義において神話とは、普遍の象徴です。

ロラン・バルトは、身近な所に無数の神話があると考え、そして、その現代の神話には、ある作用があり、それを提喩的意味作用としました。

堤喩とは、全体を表わす言葉で部分を表わしたり (俳句で「花」と言えば桜の花等)、逆に、部分を表わす言葉で全体を表したり(「パン」が食べ物全体を表す等)することです。

神話の一例として、フランスにおけるワインの意味について考えてみると、フランスにおいてワインは、滋養物や冬に身体を温め、夏は、冷やしてリフレッシュできるものと見なされており、さらにフランスのアイデンティティでもあります。

そこにワインの提喩的意味作用があります。

しかし、ワインには、そういう良い面ばかりではなく別の側面もあります。

例えば、酔っ払いたいという欲望や植民地で強制的に作らせてきた事実等です。

そういう都合の悪い側面は、無視されてきたわけです。

つまり、ワインがフランスの象徴という解釈は、都合がいいだけの解釈であるとロラン・バルトは指摘しています。

重要なのは、そういう神話の二面性です。

神話は、普遍のように見えるけど、実際には、歴史的な特有のイデオロギーに根を持つ世界観だという訳です。

そこから、このような国民文化を編成する無数の神話を考えるためのより、洗練された意味作用のモデルとしてロラン・バルトは、ソシュールの言語理論を用いていくことになります。

「一般言語学講義」フェルディナン・ド・ソシュール(著)小林英夫(訳)

では、言語は、どうやって共同主観性・間主観性を持ち得たのか?

心が扱うのは、近くからの生命情報だけではありません。

社会情報もプロセスします。

オートポイエティックに言うなら、生命情報は、知覚を起点に閉鎖システムが生むものであり、そのリアリティは、環境の抵抗、もしくは安定性によりもたらされます。

カエルが埃を食べても栄養にはなりませんが、ハエを食べれば栄養となります。

それが安定して続くから、それがヴァーチャルなものでなくなります。

【関連記事②】
以下に↓つづく。

【参考図書】
「基礎情報学―生命から社会へ」西垣通(著)

「続 基礎情報学―「生命的組織」のために」西垣通(著)

「新 基礎情報学―機械をこえる生命」西垣通(著)

「生命と機械をつなぐ知―基礎情報学入門」西垣通(著)

「デザインマネジメント戦略―情報消費社会を勝ち抜く」佐藤典司(著)

「情報デザイン入門―インターネット時代の表現術」(平凡社新書)渡辺保史(著)

「サクセス・バリュー・ワークショップ 情報構想設計 好き!から始めるコミュニケーション・デザイン」七瀬至映(著)

「情報編集力―ネット社会を生き抜くチカラ」藤原和博(著)

「サイバード・スペースデザイン論」渡邊朗子(著)

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