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【秋の夜長の読書&アニメタイム】逆らいながら、奪われて、流されながら、見失う。

誰もが、その戸惑いの中から、学ぶのだ。


[ アニメ ]

TVアニメ「平家物語」PV

TVアニメ「平家物語」第二弾PV

TVアニメ「平家物語」エンディング映像:agraph feat. ANI(スチャダラパー)「unified perspective」

[ 音楽 ]

羊文学「光るとき」

[ 『平家一門』一挙解説 ]

[ 平家物語より「祇園精舎」 ]

[ テキスト ]

「琵琶法師 〈異界〉を語る人びと」(岩波新書)兵藤裕己(著)

[ 参考図書 ]

「異界と日本人」(角川ソフィア文庫)小松和彦(著)

「異界を旅する能 ワキという存在」(ちくま文庫)安田登(著)

[ カバーそで文 ]

モノ語りとは“異界”のざわめきに声を与え、伝えることである-皇族や将軍に仕える奏者として、あるいは民間の宗教芸能者として、聖と俗、貴と賎、あの世とこの世の“あいだ”に立つ盲目の語り手、琵琶法師。
古代から近代まで、この列島の社会に存在した彼らの実像を浮彫にする。
「最後の琵琶法師」による演唱の稀少な記録映像を付す。

[ 帯文 ]

「あの世とこの世の境で
彼らは語った

演唱の実像を伝える
稀少な映像DVD付き」

[ 帯裏 ]

「「琵琶法師」ということばに、ある畏怖のイメージがつきまとうとすれば、私たちの琵琶法師イメージが、たぶんにこの周知の怪異談(「耳なし芳一」)によっているからだろう。

…『怪談』がハーン夫妻によって合作された経緯は、平家物語テクストが成立した経緯をほうふつとさせる。

平家一門の栄華と滅亡をえがく平家物語もまた、琵琶法師の語りの声に媒介されて成立した文学である。

平家物語などのさまざまな物語(語り物)を語りあるいた琵琶法師は、わが国における声の文化のもっとも重要な担い手だった。(序章より)」

[ 目次 ]

序章 二人の琵琶法師
 「耳なし芳一の話」
 芳一話の系譜
 耳と異界
 モノ語りの担い手
 最後の琵琶法師
 現代の芳一
 ハーンと芳一

第一章 琵琶法師はどこから来たか――平安期の記録から
 大陸の琵琶法師
 ふたつの伝来ルート
 盲僧の六柱琵琶
 サワリという仕掛け
 平安貴族による記録
 『新猿楽記』の「琵琶法師」
 「地神経」読誦の記録
 地神の由来
 四季の土用と「地神経」
 霊威はげしい王子神
 地母神の信仰
 東アジアでのひろがり
 物語の母型

第二章 平家物語のはじまり――怨霊と動乱の時代
 怨霊のうわさ
 竜王と平家の怨霊
 安徳天皇の鎮魂
 竜王の眷属
 『法華経』の竜女
 大懺法院の建立
 『徒然草』の伝承
 語り物と平家物語
 語り手としての有王
 琵琶法師と聖の接点
 編まれてゆく物語
 巫覡としての聖
 モノの語りの文体
 匿名的な〈声〉
 「視点」のない語り
 モノ語りとテクスト

第三章 語り手とはだれか――琵琶法師という存在
 身体の刻印
 「内裏へは五躰不具の者入らざる……」
 穢れと聖性
 柳田国男の「一目小僧」
 干死と怨霊
 境界をまつる蟬丸
 宿神と異形の王子
 「悪」が支える聖性
 「伊勢平氏はすが目なりけり」
 母と子の神
 竜女と韋提希夫人
 弁才天の信仰
 モノ語りする主体

第四章 権力のなかの芸能民――鎌倉から室町期へ
 寺社がはたした役割
 座の形成と村上源氏中院流
 当道座以前の数派
 一方派と東の市
 覚一本の成立
 当道座の成立と本文の相伝
 「平家」の流行と南北朝の政治史
 「室町殿」への正本の進上
 将軍家と当道座
 村上源氏から清和源氏へ
 将軍家の起源神話

第五章 消えゆく琵琶法師――近世以降のすがた
 応仁の乱以後
 徳川政権との結びつき
 地神盲僧への締め付け
 「脱賤民化」のための支配構造
 諸職諸道とのつながり
 三味線・浄瑠璃の台頭
 東北の奥浄瑠璃
 西日本の座頭・盲僧
 近代に残った琵琶法師
 「あぜかけ姫」の伝承
 機織り淵の伝説
 「俊徳丸」の伝承
 アルトー版の「耳なし芳一」
 おわりに――琵琶法師とはなにか

「俊徳丸」DVDについて
「俊徳丸」全七段・梗概

[ 発見(気づき) ]

青池憲司監督の記録映画『琵琶法師 山鹿良之』(1992年)は、

映画『琵琶法師 山鹿良之』予告編

「最後の琵琶法師」と呼ばれた山鹿良之(当時91歳)の生活を、彼が語る段物「小栗判官」を縦軸にしながら追った渋いドキュメンタリーである。

この映像背景、かなり生活感漂うのだが本物だからか、映像では語り手の主体が消失し、自己同一的な発話主体を持たず、物語中の登場人物に転移していく"モノ語り"の実演を見ることができる。

この映画で監修を務めている兵藤裕己氏が本書の著者だ。

本文では琵琶法師の歴史的な位置づけ、平家物語の成立の経緯を解説する。

山鹿良之の演唱する姿は、本書にも付録DVD(8cmDVD)として収められている(「俊徳丸」部分)。

兵藤氏は、1982年の出会いから1996年の死去まで十余年にわたって山鹿のもとへ通いフィールド調査を続けた人物であり、撮り貯められたビデオ(200本以上になるとか)のごくごくごく一部が収録されているのである。

『平家物語』を語る盲僧というイメージが強い琵琶法師だが、

「平家物語 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」(角川ソフィア文庫)角川書店(編)

『平家物語』成立以前から存在していた。

また、後年になると『平家物語』は一部の特権層に独占され、下級の琵琶法師は演奏を禁じられてしまう。

琵琶法師=『平家物語』を語る盲僧、ではかならずしもないのだ。

[ 問題提起 ]

本書は、琵琶法師の発祥から衰滅まで、その実像と歴史をダイナミックに描き出した一冊と要約できるが、「最後の琵琶法師」山鹿良之は、終わりを象徴する人物として登場するのではない。

著者が直に体験した、山鹿良之=琵琶法師の「モノ語り」の特異性が、琵琶法師という存在の謎を解き明かすカギとして全編を貫いているからだ。

琵琶法師の読誦は、『平家物語』もそうだったように、死んだ者たちを弔うための物語だった。

「異界」に棲む〈見えないモノのざわめき〉に声をあたえ現前させること。

琵琶法師の「モノ語り」とはそういう呪術的なパフォーマンスであり、モノ=死者に次々転移する琵琶法師の語りは、近代的な意味での「主体」とか「視点」といった概念では捕まえることができない〈絶対的な他者〉としてある。

思い出話でさえモノ語りとなり、登場人物に転移していってしまう山鹿との(ディス)コミュニケーションを通じて、著者はそのような実感を持つにいたったのである。

琵琶法師が文献に登場し始めるのは10世紀の平安中期ごろ。

貴族の邸に召されて芸をしたり、寺院に下級の宗教芸能民として所属し法会や祭礼で「散楽」(公式の「雅楽」に対する、卑俗な雑学・雑芸のたぐい)を奏したと残っているが、著者は後世の資料から「地神経」も読誦したのではないかと仮説を立てる。

「地神経」とは、大地の神(地神)を鎮めるための民間教典で、「盤古大王・堅牢地神」とその王子「五竜王」の神話に基づく「五郎王子譚」を説いたものだ。

「五郎王子譚」は、「地母」とも訳される「堅牢地神」と、その第五男子である「五郎王子」をめぐる物語なのだが、両者を混同・同一化したり、五郎が姫にすり替わっていたりする伝承があることに著者は着目する。

それは単なる伝承ミスなどではなく、モノ語りの本質に関わる事態であって、両義性を帯びた物語として「五郎王子譚」が現われていたところに『平家物語』の原初の姿があるというのだ。

「いわゆる「宿の者」として境界の地に住み、みずからも両義性を帯びた存在である琵琶法師たちにとって、その奉斎する神の両義性は必然的なものでもあった。

地神の信仰が可能態としてはらむ母と子の信仰は、むしろかれらによって伝承された物語において、物語を生成させる母体[マトリクス]として作用することになる」

[ 教訓 ]

平家が壇ノ浦で滅んだのは元暦2年(1185年)のこと。

それからほどなく『平家物語』は語られ始めたらしい。

平家滅亡直後、京都に大地震が起こり、8歳で死んだ安徳天皇と平家一門の祟りだと怖れられた。

そこで、平家を鎮魂するための寺院が建てられた。

「耳なし芳一」にも登場する赤間ヶ関の阿弥陀寺である。

『平家物語』の最後「灌頂巻」に、建礼門院(清盛の娘で安徳天皇の母)の夢の語りとして、壇ノ浦に沈んだ安徳天皇と平家一門が竜宮城にいること、つまり竜王の眷属(一族)に転生したことが書かれている。

先の大地震について人々は「竜王動く」と噂した。

竜王とは平清盛であり、また安徳天皇でもあった。

安徳天皇と一緒に三種の神器の宝剣も海に沈み失われたのだが、この宝剣はスサノオノ尊がヤマタノオロチの尻尾から取り出したものだった。

安徳天皇は、宝剣を取り返すために生まれ変わったヤマタノオロチであると人々は信じたのである。

安徳天皇の物語はさらに『法華経』の説く8歳の「竜女」と習合していく。

「堅牢地神と五郎王子」と「平清盛と安徳天皇」ふたつの物語で、似たような同一化と混同、両義性が生じていることに注意したい。

当時宗教界の頂点にいた僧侶・慈円も、歴史書『愚管抄』に

「愚管抄 全現代語訳」(講談社学術文庫)慈円(著)大隅和雄(訳)

「安徳帝は「竜王のむすめ」厳島明神のうまれかわりゆえに海に帰ったという説」

を書いている。

慈円が、保元の乱以降の乱世に満ちていた「怨霊・亡卒」を鎮めるために三条白河に大懺法院を建立し後鳥羽上皇に収めると、僧侶や説教師、遁世僧や下級芸能者が集った。

この大懺法院がどうやら『平家物語』編纂の場となったらしい。

『徒然草』に

「徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」(角川文庫ソフィア)吉田兼好(著)角川書店(編)

「信濃前司行長」という遁世僧が『平家物語』の作者だとする記述があり、これに依拠する人もいるのだけれど、著者はこの説を採らない。

「平家物語は、ひとりの作者によって一からつくられたものではない。

それは、当時さまざまなかたちで行なわれていた平家にまつわる物語(話材)が寄せあつめられ、編纂されてなったものである」

「灌頂巻」は建礼門院がその子・安徳天皇と平家一門を鎮める物語だが、竜王の眷属となった平家一門の女性である建礼門院もまた、当然、竜女になぞらえらた。

建礼門院には、竜女のメタファーをとおして、水土の女神である弁才天のイメージも重ねられていく。

弁才天は音楽の神でもあり、琵琶法師たちは職能の神として仰いでいた。

琵琶法師は、『平家物語』をモノ語る自分たちを、平家一門を弔う建礼門院に投影していたのである。

物語として編纂されるのにつれ、『平家物語』は琵琶法師にとって代表的レパートリーである「当道(我が芸道)」となり、同業者意識が芽生えて、利権争いや縄張り争いが生じるようになる。

そうした諍いを調停するために組織が形成され始め、やがて「当道座」としてまとまっていった。

当道座成立以前、琵琶法師のグループには、一方派、八坂方派ほかが存在していたが、南北朝期に当道座の成立を主導した一方派が以後、正統の地位を占めるようになる。

『平家物語』には異本が数多くあるが、もっとも広く読まれているのは、一方派の明石覚一によって口述されたテクストである。

「灌頂巻」は、当道座の権威を示す「秘曲」として一方派の上層部で伝授されてきたものだ。

覚一は当道座の「中興開山」と呼ばれ、初めて「惣検校(最高責任者)」に就いたとされる人物である。

自身の死後、混乱や争いが起こることを見越した覚一は、自らの語る『平家物語』を記録させ正本とした。

これが代々の惣検校に受け継がれていく。

「正本の伝来は、語りの伝承とはあきらかに別次元の問題として考えられなければならない。

平家の物語は、正本の存在さえ知らない無数の盲人たちによって語りあるかれていたのだが、しかし当道座の上層部にとっては、正本は、配下の琵琶法師にたいして、みずからの正統性を主張する拠りどころである。

語りの正統を文字テクストとして独占的に管理することで、惣検校を頂点とした当道座のピラミッド型の内部支配が補完されたのだ」

[ 結論 ]

当道座は足利将軍家という権力と結びつき、正本の管理も足利家に委ねられた。

幕府の支配下に繰り込まれたわけだ。

このころ「平曲」(『平家物語』を語ること)はすでに庶民から離れており、上層の盲人たちが武家階級相手に演じるものになっていた。

江戸時代に入り徳川政権が発足すると、『平家物語』はあらためて源氏将軍家の式楽として位置づけられた。

全国の盲人の一元的な支配を幕府から任された当道座は大きく再編されることになる。

当道座は盲人たちを細かく格付けした。

「地神経よむ盲人」は、琵琶法師そもそもの出自であるにもかかわらず底辺に位置づけられた。

同時に、脱賤民化をはかるべく他の賤民との交渉が断たれていく。

芸能民のたぐいは、当道座への出入りを永久に禁ずる最低ランクの卑しい職業として排除された。

こうして「平曲」は、国家権力と結びついた伝統芸能へと変貌していったのである。

「当道座がほかの芸能民と配下の盲人との交わりを禁じ、さらに諸職諸道の者たちの「筋目」「忌筋」の詮議だてをはじめるというこの倒錯した構図こそが、近世の当道座のありようを端的に象徴していた。

/近世初頭以来、ひたすら脱賤民化をはかってきた当道座(その上層部)のゆきついたすがたである」

中世『平家物語』を語っていた琵琶法師たちは、16世紀末頃から三味線に持ち替え浄瑠璃を演じるようになっていった。

盲人が琵琶を弾く芸能が残ったのは九州・中国地方西部だけだったようだ。

そもそも「地神経」を読むことから始まったこの地では、

「琵琶に託された宗教的・呪術的な役割が、三味線との交替を困難にし」、

近代まで「段物」(琵琶で語られる浄瑠璃)の習俗が残存したのだ。

山鹿良之は、その最後のひとりだったのである。

琵琶法師の盛衰紀は以上のようだが、この歴史は、前近代的「モノ語り」が、近代的「テクスト」によって抑圧、駆逐されていった歴史と読むことができる。

「山鹿の琵琶演奏と語りの声には、聴いている「私」を根底から襲いゆるがすような力があった。

それは、ことばにならないモノ、ことば以前の非ロゴスから語りのことばが分離・発生してくるまさにその現場だった」

正直に感想を述べると、評者は映画やDVDから、著者が強調するほどの「力」を感受することはできなかった。

むしろ、著者が「テクスト」の解読として示す、近代的「主体」や「視点」成立未然の語りの「力」のほうが、現代のわれわれにとっては琵琶法師の「モノ語り」を想像するよすがになるように思われる。

それは著者の功績にほかならないが、やはり皮肉な事態であるといわねばならないだろう。

[ コメント ]

1185年、壇ノ浦合戦で入水した安徳天皇の死霊に呼び出されて平家物語を弾き語った琵琶法師の伝説は、ラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一の話」により広く知られている。

「耳なし芳一・雪女 八雲 怪談傑作集」(講談社青い鳥文庫)小泉八雲(著)黒井健(イラスト)保永貞夫(訳)

盲人が琵琶を弾き芸能や祭祀に携わる習俗は中国から伝わったらしく、琵琶法師の存在は10世紀から知られる。

平家一門が滅んでまもなく、死霊の祟りが囁かれる中、平家物語の編纂が始まる。

琵琶法師が平氏鎮魂と源氏政権誕生の演唱で平家物語のテキスト生成を担ったのは、異界と俗界を結ぶ司祭者としての役割によると著者はいう。

14世紀初頭には読み本の延慶本が生まれた。

語り本は、1371年に検校覚一が口筆をもって正本を書写させ、相伝されるに至った。

室町時代には琵琶法師の組織、当道座が確立し、足利将軍と関わりを深め、平家物語は武家政権の起源神話として機能したことが指摘される。

琵琶法師はまた、死と再生、流浪と復活を主題とする語り物も広めた。

最後の琵琶法師の一人が弾き語る「俊徳丸」の映像を収めた付録のDVDでは、評者も、なかなか見られないその世界に触れることができた。

[ 本書より ]

序章より:

「耳からの刺激は、からだの内部の聴覚器官を振動させる空気の波動である。

私たちの内部に直接侵入してくるノイズは、視覚の統御をはなれれば、意識主体としての「私」の輪郭さえあいまいにしかねない。

そんな不可視のざわめきのなかへみずからを開放し、共振(シンクロナイズ)させてゆくことが、前近代の社会にあっては、〈異界〉とコンタクトする方法でもあった。」

「モノ語りを語るとは、見えないモノのざわめきに声をあたえることであり、それは盲人のシャーマニックな職能と地つづきの行為である。

そして声によって現前する世界のなかで、語り手がさまざまなペルソナ(役割としての人格・霊格)に転移してゆくのであれば、物語を語るという行為は、近代的な意味でのいわゆる「表現」などではありえない。」

「物語を語るのは、不断に複数化してゆく主体である。

その声も、

(中略)

現実の聴衆よりも以前に見えない存在へむけて発せられる。

そんな複数化した主体によるモノローグのような語りの声を聴衆は傍聴しているのであり、語られる世界と聴衆とのはざまにあって、盲目の琵琶法師は、たしかにあの世とこの世の媒介者(メディエーター)である。」

「山鹿良之は、一九九六年六月に他界した。

九州に残存した琵琶弾きの座頭・盲僧のなかでも、その放浪芸的な活動実態といい、全貌を把握しがたいほどの段物の膨大な伝承量といい、山鹿はまさに日本最後の琵琶法師だった。」

「聞こえてくるのは、日常の言語活動にとってはノイズとしか思えないような声と四弦(しげん)のざわめきである(ちなみに、琵琶法師の琵琶には、意図的にノイズをひびかせるためのサワリとよばれる独特の仕掛けがある)。

山鹿の琵琶演奏と語りの芸について、私たちのことばでわかりやすく語ってしまうまえに、その存在の異質性、ないしは「異形(いぎょう)」性が語られるべきだろう。」

第二章より:

「平家滅亡後の十二世紀末の社会にあって、安徳天皇と平家一門の怨霊のたたりは、貴族社会を中心に怖れられていた。」

「水土をつかさどる神霊として、地霊の五竜王は海底の竜王ともなるのだが、そのような竜王の眷属となった平家の怨霊が、大地の異変をひきおこす。

(中略)

そんな竜王の眷属となった平家一門のなかでもとくに恐れられたのは、「竜になりてふりたる」とうわさされた「平相国」清盛であり、また八歳で海に沈んだ幼帝安徳の御霊である。」

第三章より:

「琵琶を弾いて物語や歌謡を演唱し、また民間の宗教祭祀にたずさわった聖なる司祭者でもある琵琶法師が、いっぽうで「乞食・非人」や「川原者」と同等の身分の者として卑賤視されていた。

聖と賤、聖なるものと穢れとの錯綜した関係がうかがえるが、穢れと聖性とのこの錯綜した関係に、異形の司祭者たちの呪力の根源もあったろう。

メアリ・ダグラスによれば、多くの民族のあいだで穢れと認識される対象は、その社会における秩序の整合性を脅かす余剰物、ないしは非秩序であるという(『汚穢と禁忌』)。

健常者で構成される社会にあっては、「五躰不具」の者は、その「不具」性・異形性ゆえに非秩序である。

だが、非秩序は同時に秩序がつくられる以前の混沌(カオス)を表象する。

今日行なわれる祭礼でも、秩序の規範から逸脱した異形の装い(性別を越境した異性装など)が祭りを活性化させることは、よく目にするところである。

非秩序=穢れの体現者は、原初の創造的なカオスを創出したアナーキーな力を体現する者として、祭儀においてしばしば聖なる呪力を行使することになる。」

「日常の生活空間では罪=穢れの指標となる身体の欠損や異形性が、祭儀の空間では世俗的秩序を超えた聖なるもの(ヌミノース)を顕現させる。」

「異形の司祭者の主宰する祭儀空間において、世俗的秩序は反転し、非秩序(=穢れ)の荒々しい力が聖なるものを顕現させるのだ。

たとえば、盲目の「らい者」となって流離・放浪する異形のしんとく丸(俊徳丸)は、やがて神として転生するだろう。」

「舞の本や古浄瑠璃の「景清」では、頼朝の命をねらう景清は、からだに漆(うるし)を塗って「らい者」を装う。

まさに日常の世俗的な秩序をおびやかす闇のパワーを形象化したような存在だが、しつような暗殺者である景清は、みずからの目をえぐったのち日向に下り、「日向勾当」と名のって「平家」を語ったという。

宮崎市内には景清を祭神とする生目(いきめ)八幡社があり、景清は、九州地方の盲僧・琵琶法師のあいだで始祖として仰がれていた(『太宰管内志』一八四一年)。」

「山科の四宮河原に住んだ異形の皇子蟬丸が、平家物語で醍醐(だいご)天皇第四宮とされたのは、柳田国男が指摘したように、宿神(しゅくじん)の信仰との関わりから理解される(『毛坊主考』)。

四宮を音読すれば、シクである。

柳田によれば、宿(シュク・スク)は、サカ(坂・境)、サキ(崎)、セキ(関)、ソコ(塞)などと音がかよい、河原・峠などの村はずれの境界の地を意味したことばであり、したがって宿神は、ほんらい境界にまつられる神だという。

猿楽芸能民によって宿神がまつられたように(金春禅竹(こんぱるぜんちく)『明宿(めいしゅく)集』)、宿神が諸芸諸道の神とされたのも、諸芸諸道の家が、もとはシュク、すなわち村はずれ・町はずれの無主・無縁の地に住んだいわゆる「宿の者」だったからだ。」

「河原(境界)において石塔でまつられる第四宮とは、守宮神すなわちシュク神である。

異形の王子神は、石塔で標示される神であり、それは境界の地にまつり鎮められる御霊のヨリシロだった。」

「異形の王子神が、琵琶法師たちの職祖とされる。

かれらの職能は、日常の秩序世界と向こう側の混沌(カオス)とのはざまにあって、異界のアナーキーな力と交流することであり、それは聖なる闇のパワーをこの世に媒介することにほかならない。」

「異形の皇子平清盛の「悪」の物語にはじまり、海底に没した幼帝安徳の鎮魂で終わる平家物語とは、たしかに霊威はげしい御霊の語りとして発生したのだ。

「平家」のモノ語りを語り、荒ぶる御霊をまつり鎮める琵琶法師たちは、やがてみずからの職能を、清盛の娘であり、荒ぶる御霊若宮の母である建礼門院の物語に同化させてゆくことになるだろう。」

「地母神が同時に水の女神であり、それを竜蛇形とする観念は世界的なひろがりをもつ(エリアーデ『大地・農耕・女性』ほか)。

わが国の盲人芸能者のばあい、水土の女神は、しばしば竜蛇として示現する弁才天と同一視され、また、『法華経』巻五「提婆達多品」で説かれる娑竭羅(しゃかつら)竜王の八歳の娘、すなわち『法華経』の功徳により「変成男子(へんじょうなんし)」して成仏したとされる竜女(りゅうにょ)と習合することになる。

そしてこの竜女=弁才天の系譜につらなるのが、平家物語では、幼帝安徳の母建礼門院である。」

「寂光(じゃっこう)院にはいった建礼門院は、わが子安徳帝と平家一門の菩提をとむらう日々をおくる。」

「竜王の眷属となった清盛以下の平家一門の霊は、一門の女性すなわち竜女である建礼門院によって鎮められなければならない。」

「水土の女神とその王子神を奉斎する琵琶法師によって、「平家」のモノ語りは伝承されてゆく。

母と子の神という対は、モノ語りする主体としての琵琶法師のありようと相似形をなしている。

母と子の神をまつり、父なるもの(規範、掟)を他者としてもたないかれらは、「我」という主体を規定する根拠の不在につきまとわれるだろう。」

「要するに自己同一的な主体形成の契機となる父なる神(他者)が不在だということだ。

そこに形成されるのは、自己同一性の不在において、あらゆる述語的な規定を受け入れつつ変身する(憑依する/憑依される)主体である。

みずからの帰属すべき中心をもたない主体は、ことば以前のモノ、この世ならざるモノをうけいれる容器となるだろう。

異界のモノのざわめきに声をあたえるシャーマニックな主体は、ことばが分離・発生するそのはざまを生きる者として、本質的に両性具有的である。

ことば以前のモノのざわめきから、ことばが立ちあがる機制は、比喩的にいえば変成男子である。

その両性具有的な主体こそ、非ロゴスの狂気のざわめきに声をあたえ、言語化・分節化されないモノから語りのことばが出現する現場(中略)を、その発生のはざまにおいてとらえるモノ語りの語り手である。

変成男子する両性具有の神は、異界のざわめきとそのアナーキーな力をこの世に媒介する琵琶法師たちにとって、たんなる比喩をこえてまさに職能の神なのであった。」

第四章より:

「平家物語における「本文」と語り、文字テクスト(を管理する寺社)と盲人との関係は、「耳なし芳一の話」で、芳一をこちら側の世界に帰属させた「経文」の役割を想起させる。

芳一が身に帯びてしまうモノ(死霊=穢れ)の力を封じるのは、芳一を庇護(支配)する僧であり、僧の世界に属する経文である。

文字テクストは、モノ語りの不定形とそのアナーキーな力を整序づけ、そこに支配・被支配という権力関係を刻印する媒体として機能したらしいのだ。」

第五章より:

「「耳なし芳一の話」を執筆していたころのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日が暮れても、部屋のランプをともさないことがあったという。

妻の節子が、あるとき、襖をあけずに隣の部屋から、「芳一、芳一」と小声で呼ぶと、「はい、私は盲目です。あなたはどなたでございますか」といって、そのまま黙りこんだ(小泉節子『思い出の記』)。

ランプを消した部屋にひとり座っていたハーンは、異界の声が琵琶法師芳一の名を呼ぶさまを追体験していたのだろう。

ハーンの『怪談(KWAIDAN)』が、ボストンとニューヨークで出版されたのは、一九〇四(明治三十七)年である。

その六年後の一九一〇年に、パリでフランス語版が出版された。

そのフランス語版の「耳なし芳一の話」を読み、リメイク版の短編小説「哀れな楽師の驚異の冒険(L'ETONNANTE AVENTURE DU PAUVRE MUSICIEN)」を書いたのは、現代の演劇と思想界に多大な影響をあたえつづけているアントナン・アルトーである。」

「目のみえない芳一は、大気の「戦慄」や、海面が洩らす「死者たちのもののような溜め息」に耳をこらしている。

そして「魔物や伝説的な平家の者ども」がとびかうときの「不思議な衝撃」を肌に感じていた芳一の耳に、とつじょ自分の名を呼ぶ声が聞こえる。

芳一を呼ぶ声は、「あたかも事物の本質から立ちのぼって来た声のように」とある。

それはことばとしての分節化を拒否するような声であり、常人には聞こえない死霊の声である。」

「声を発する主体は、それじたい分節化されないモノとしてある。

私たちの生は、ことばによる分節化を拒絶するなにかだが、にもかかわらず、ことばによって生に切れ目を入れ、世界を分節化・言語化して生きざるをえないところに、ホモ・ロクエンス(ことばをもつ人)としての人間の生のかかえる根源的な矛盾もある。

それは、「器官なき肉体(コール・サン・ゾルガーヌ)」すなわち分節化されない生そのものを表象=上演しようとして、舞台の上でことばにならないうめきや叫び声を発しつづけたアルトーじしんがかかえたアポリアでもある。

そのようなアルトー版の芳一にあって、たとえば、海面が洩らす「死者たちのもののような溜め息」というエロティックな死のイメージは、未生以前の世界への誘惑である。

母胎という原初の無垢・無差別からの分離に、ことばの世界への組みいれの体験の原型があるとすれば、私たちは遠い海鳴りのざわめきにさえ、死への誘惑を感じることはあるだろう。」

「盲目という身体の刻印ゆえに流離・遍歴の境涯を余儀なくされた琵琶法師は、しばしばベーシック・トラスト(原母子関係)の欠損という心理的な外傷を負う者たちだったろう。

血縁や地縁の共同体をはなれ、通常の意味でのペルソナ(役割としての人格)の形成を阻害されるかれらにとって、母なる水土の女神は、失われた世界の代償でもある。」

「母なる水土の女神は、モノ語りの発生する原郷が人格神化された存在でもある。

母胎からの分離に、ことばの世界への組みいれの体験の原型がある以上、たとえば、平家物語に頻出する慣用句、「あはれなり」は、人としてこの世に組みいれられてあることの根源的な矛盾とその哀感の表白である。

琵琶法師の声とともに生成した平家物語は、たしかに人であることの哀しみの根源のようなものにふれているのである。」

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