【日常茶飯事】青空をみると何だかハッピーな気分♪
人が喜ぶことをする。
それは、とても良いことだと思います。
大切な人の幸せをココロから願うキモチ。
茶の湯で、すべての客を、一生に一度しか出会いのないものとして、悔いのないようにもてなせ、という教えが一期一会です。
私たちは、出会いの連続の中に生きています。
自分一人で生きているのではなく、たくさんの人と、
「今」
という大事な時間を共有しながら生きています。
「たそがれてゆく樹木らもしばらくは影暖かし人のごとくに」
(大谷雅彦『一期一会』より)
「雨の日のさくらはうすき花びらを傘に置き地に置き記憶にも置く」
(尾崎左永子『夕霧峠』より)
「流れよる雪のひとひら幸あるは少女のうすき手のひらにのる」
(秋山佐和子『半夏生』より)
自分がしたことで、大切なあの人が喜んでくれたら。
自分が気配りしたことで、職場がうまく回ったら。
それは、とても嬉しいこと。
だって、自分を認めてもらえるっていうことですもの。
でも、気をつけて!
大切なあの人のために、みんなが気持ちよく仕事できるために、もしも、そういう気持ちでしているとしたら?
あの人が喜んでくれなかったとしたら?
こんなにあなたのためにしているのに。
職場の誰も、気付いてもくれなかったとしたら?
どうして、誰も気付いてくれない訳?
そんな風に思ってしまいませんか?
そうです。
「誰か」のためにすることは、無意識のうちに見返りを求めてしまうもの。
したことが報いられなかったとしたら、不満ばかりが溜まってしまうでしょう。
だから、大切なあの人のためにすることは、
「あの人のため」
じゃなくて
「自分のため」
なんです。
喜んでくれてもくれなくても、あの人のために、それを出来ている自分が嬉しいから(^^)
職場のみんなのために気配りすることは、
「みんな」
のためじゃなくて
「自分のため」
なんです。
気持ちよく仕事したいのは自分だから。
責任を、相手に求めないこと。
毎日を、気持ちよく生きるコツかもしれませんね。
そして、今の状況を、自分を、ありのままを、さらけ出して、客観的に見つめるということは、そこで感じられた内容のすべてに、私が責任を負うということを意味しています。
それは、決して、私の弱さをさらけ出しているわけではなく、そういうことができるほど、強くなったということなのだと、そう思います。
勘違いしないで欲しいのは、選択して責任を引き受ける方法は、いくらでもあります。
みなさんなりの方法でかまいませんので、回復への道と、自分の人生に、深くかかわるような何かに対して、どんどん責任を引き受けながら力を注いでみては如何でしょうか(^^)
「責任を引き受ける」
ということは、私が回復し続け、私が私の人生を歩み続けるために、必要不可欠なことのひとつではないかと考えられます。
そして、その方法のひとつが、
「書く」
ということなのだと思っています。
空を見上げれば、もやもや気分も吹き飛んじゃう☆
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