【宿題帳(自習用)】ふと目を向けた風景、しゃがんだ時に見えるもの。
富久浩二さん撮影
いつもの日常の中で少し視点を変えただけで、小さな発見、感動に世界は、溢れているのかもしれません(^^)
普段の自分と違う視点をもつということ。
視点を変えて物事を見る。
確かに、意識するだけでは、難しいように思えるかもしれません。
ですが、じつはちょっとした工夫で、それができてしまうのです。
例えば、以下の様に、視点を変える方法が幾つかあります。
①創造力豊かな人物になりきる:クリエイティブステレオタイプ効果
②考える対象になりきる:パーソナルアナロジー
③意図的に視点を切り替える:シックスハット法
④異質なものを結びつけ統合する:シネクティクス法/類推法
そう思っていても、うっかりしていたり、気が付かない時も多くあって、水を飲もうとしてコップばかりを探していて、目の前の水道から飲まないことってありませんでしたか?
ちょっと発想や視点を変えれば、いくらでも代替案を見つけることができるのに、ね^^;
発見ができない理由の一つに、人間は、記号に振り回されるということがあります。
これを、ハイデッガーは、「“として”構造(Als-struktur)」と呼んでいました。
前述の例で言うと、コップ「として」しか考えていなかった訳だし、水を飲むモノを欲しいのに、水「として」あるものを求めていたのです。
人は、既に、意味づけられた世界の中に住んでいるのであって、自分で意味を作るのは、至難な場合が、日常に多く存在しています。
内容よりも、形式を優先させてしまうために起こってしまう現象です。
一歩下がって見れば分かるのですが、エサとの間にガラスを置かれるとニワトリは、前にしか進まず、エサにたどり着けません。
また、仏教に「横超」という言葉があります。
突破できない厚い壁にぶつかった時に、いったん曲がって、道を横に逸れてみることを意味しています。
【参考記事①】
【参考文献①】
つまり、一歩下がるというマイナスの勇気が必要なのだと教えてくれています。
例えば、眺める高さによって、事態は違って見えるものですよね。
鳥瞰図というのは、古来から描かれてきたものですが、ベトナム戦争の頃、虫観図の必要が言われていました。
上空から爆撃する鳥の目ではなく、爆撃される虫の目で見よう、と。
クリティカルシンキングとは、すなわち、多面的に、しかも論理的に考える事です。
分かり易く言えば、虫観図的視野から鳥観図的視野へと物事の見方を広げることです。
ときに宇宙からの目、いわば宙観図で眺めてみるのもいい、とカール・セーガンは語っていましたね。
「人間の独善の愚かさを教えてくれるだろう」と。
【参考記事②】
【参考文献②】
そうそう、大切な点として、視点を変える前に、視点というものをもたなければなりません。
アメリカのメジャーリーグは、今でこそ、大谷翔平さん他、多くの日本人が活躍していますが、野茂さんが行くまでも中継していたのですが、つまらなかったのは、視点がなかったからです。
イチローさんが行ってから、視点が大きく変わりましたね。
視点というと大げさかも知れませんが、要するに、自分の関心の在処のことです。
例えば、旅行した後、その町への愛着が、行く前と帰ってからと違うようなものです。
メディアは、常に視点を変えなければなりません。
反対側の視点からのコメントがなければ、中正に欠けると非難されます。
多数の意見だけでなく、少数意見も伝えなければなりません。
ゲームでも、勝者を讃えるだけでなく、敗者の視点も大切です。
黒人女性で初めてアカデミー賞を取ったハル・ベリーは、3年後に、「キャット・ウーマン」で、ゴールデン・ラズベリー賞の最悪女優に選ばれて、何と授賞式に参加していましたね。
そのスピーチで彼女は、「良き敗者になることができなければ、良き勝者になることもできない」と語っていたのが印象に残っています。
そして、「あなたたちには、二度と会わずにすみますように」と言って会場を後にしたそうです。
藤子・F・不二雄さんのSF「ミノタウルスの皿」は、食べる側、食べられる側の視点を逆にしていて、名作です。
「ミノタウロスの皿 藤子・F・不二雄[異色短編集] 1」(小学館文庫)藤子・F・ 不二雄(著)
視点を変えるのが上手な人もいて、河合隼雄さんは、『「出会い」の不思議』の中で、
「河合隼雄セレクション 「出会い」の不思議」(創元こころ文庫)河合隼雄(著)
兄の河合雅雄さんが、梅棹忠夫さんからウサギの行動を見て、「道徳の起源」をやれ、といわれた時の話を書いていました。
個々の事実の精密な検討と、突然の視点の飛躍というのは、梅棹学のひとつの基本となっていると思います。
自分の目で見、自分の足で歩き、自分の体で感じる。
対象に密着してのきわめて具体的な確かめが行われた後に、それを離れて見る視点が、常人と次元を異にするのであろうと考えられます。
梅棹さんの名を有名にした『文明の生態史観』などには、それがよく出ているのではないでしょうか。
「文明の生態史観-増補新版」(中公文庫)梅棹忠夫(著)
そう言えば、宮柊二さんの短歌に、
「あたらしく玉取換へし眼鏡にて仰げば空の春の星青し」(「独石馬」より)
「宮柊二歌集」(岩波文庫)宮柊二(著)宮英子/高野公彦(編)
という歌があるのですが、眼鏡を買い換えた時に、周りの風景が全く違って見えてきて驚くことがあります。
さて、具体的に、どんな風に視点を変えることができるだろうか?と考えてみた場合、次のような視点が考えられます。
①近づいて見る
②離れて見る
③斜めから見る
④裏側から見る
⑤裏返して見る
⑥逆さまにして見る
⑦鏡に映して見る
⑧透かして見る
⑨立体的に見る
⑩フィルターをかけて見る
⑪比べて見る(似たものや違ったものと)
⑫壊して見る(切って見る)
⑬形を変えてみる
⑭並べて見る
⑮地と図を反転させてみる。
⑯なくして見る
⑰ぼんやりと見る
⑱歴史的に見る
⑲科学的に見る
⑳五感を使ってみる(食べてみる、触ってみる、音を出してみる等々)
これ以外にも、その状況下において、適切な視点が存在すると推定できますが、何よりも知ってほしいのは、視点は一つではない、ということです。
それを実証する本として、美術史家ジョン・バージャーの『イメージ』は、“Ways of Seeing”というのが原題で、見方には、いくつもあるということを強調したものです。
「イメージ―視覚とメディア」(ちくま学芸文庫)ジョン バージャー(著)伊藤俊治(訳)
本書には、美術を見るときには3つの法則があり、以下の通りです。
一つは、作者の意図。
二つ目は、見る側の要因(とりわけジェンダー)が関係。
三つ目は、女性は、常に見られる側で、男性は、見る側だったことを忘れてはいけない。
月は、空に高く上っている時は小さく見えますが、地平線近くにあると大きく見えます。
この視点は、比較するものがあるかないかで、見かけの大きさが違うのだということを表しています。
裏返して見る、の典型は、赤瀬川原平さんの「宇宙の缶詰」ではないでしょうか。
「超芸術トマソン」(ちくま文庫)赤瀬川原平(著)
【参考記事③】
これは、ただのカニ缶の外のラベルを内側に貼っただけのものですが、私たちのいる側の全宇宙が、そのカニ缶の中に入ってしまったことになります。
鏡の世界が不思議だというのは、ノーベル賞の朝永振一郎さんの本にある(片目で見ても左右反対なのに上下はどうして反対にならないのか?)のですが、鏡像にしてみると違ってみえることがあります。
「鏡のなかの世界」朝永振一郎(著)
また、安野光雅さんは、右手を描く時に、左手を鏡に映して描くと書いていました。
形を変えてみるというのは、人間とコーヒーカップの共通点を見つけることですね。
これは、位相幾何学(topology)の問題なのですが、人間はドーナツと同じ構造だと気づくことなんですね。
【参考記事④】
並べて見ることや、地と図を反転させて見るというのは、ゲシュタルトです。
【参考記事⑤】
見るというのは、実は、とても受動的な事なのですが、描くということで、見方を提示するのが画家です。
実は、一点透視法(透視図法)を見つけるまで、人類は、さまざまな描き方をしていたそうです。
【参考記事⑥】
遠近法は、西欧文明がルネッサンスの時代に発明したもので、我々が見たとおりに表現しています。
一方、イコンに象徴的に示される逆遠近法は、原始性を持ち、複眼的であり、その意味で、イコンは、本来、日本の漫画や浮世絵にも近いと言えるかも知れません。
【参考記事⑦】
但し、西欧的な遠近法的な視点で見ると、平面的なイコンは、西洋人からすれば幼稚な芸術に見えてしまう場合もあるのですが、霊的に素晴らしいのだと、パーヴェル・フロレンスキイは語っていましたね。
「逆遠近法の詩学―芸術・言語論集」(叢書・二十世紀ロシア文化史再考)フロレンスキイ(著)桑野隆/高橋健一郎/西中村浩(訳)
さて、やっと、ここから本題です(^^)
2024年1月から始まった大河ドラマ「光る君へ」。
1000年の時を超えて読み継がれる「源氏物語」の作者・紫式部の人生を描いています。
【大河ドラマ「光る君へ」】オープニング(ノンクレジットVer.) タイトルバック | 大河ドラマ「光る君へ」| NHK
日本では、例えば「源氏物語絵巻」等の王朝絵巻は、「吹抜屋台(ふきぬけやたい)」という手法で描かれています。
「源氏物語絵巻―伝・藤原伊房・寂蓮・飛鳥井雅経筆」(日本名筆選)
これは、文字どおり、屋根や天井、間仕切りの壁や建具の一部を取り払って、斜め上方からのぞき込むように屋内の人物や調度を描くものです。
主に、屋内にいる主人公や男女の機微を、手に取るように知ることができる描き方なんですね。
【参考記事⑧】
さて、世界最古の長編小説の一つである源氏物語は、「すべてを語らずに、読む人が語る人の気持ちになって類推する」、すなわち、行間を読むコトを前提に書かれた小説で、宮廷という密室内でおきた出来事は、いちいち主語を書かなくても、誰のことを言っているかはすぐにわかります。
読者は、その曖昧な書き方の美しさに惹かれ、想像を逞しくさせて、登場人物の気持ちにのめりこんでいきます。
言うまでもなく「源氏物語」は、壮大な作品ですが、長さだけでない、その世界も深淵です。
そして、源氏物語の現代語訳だけを読んでいたのでは、気がつかなかったであろう、紫式部の暗示やしかけを、「視点・視野・視座」の違いを利用して、くっきりと浮かび上がらせることで、大河ドラマ「光る君へ」の観方も、少し変わってくるかもしれませんね(^^)
【参考図書】
「源氏物語 物語空間を読む」三田村雅子(著)(ちくま新書)
【参考記事⑨】
【参考文献③】
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