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【随筆】墨の色彩

[参考図書]
「墨に五彩ありー墨の不思議な魅力」綿谷正之(著)

[参考記事]

雁来紅(第11首)
「からすみ を いや こく すりて かまづか の この ひとむら は ゑがく べき かな」(会津八一)
(唐墨をいや濃く磨りてかまづかのこの一叢は描くべきかな)

歌意は、唐墨を充分に濃く磨って、葉鶏頭のこのひとかたまりは描くべきであると詠っている。

雁来紅(がんらいこう)は、漢名で、雁が飛来してくる秋になると、その葉が美しい紅色に染まるのでこの名がついたそうだ。

和名は、葉鶏頭(はげいとう)、鎌柄(かまつか、かまづか)など。

会津八一の雁来紅第11~16首迄は、

雁来紅(第12首)
「かまづか の あけ の ひとむら ゑがかむ と われ たち むかふ ふで も ゆらら に」
(かまづかの朱の一叢描かむと我立ち向かふ筆もゆららに)
歌意:葉鶏頭の真っ赤に色づいたひとかたまりを描こうと私は立ち向かっている。ゆったりと筆をかまえながら。

雁来紅(第13首)
「かまづか は あけ に もゆる を ひたすらに すみ もて かきつ わが こころ かな」
(かまづかは朱に燃ゆるをひたすらに墨持てかきつ我心かな)
歌意:葉鶏頭は真っ赤に燃えているが、私は黒い墨でひたすら描いたのだ。心の底から。

雁来紅(第14首)
「すみ もちて かける かまづか うつせみ の わが ひたひかみ にる と いはず や も」
(墨もちて描けるかまづかうつせみの我額髪似ると言はずやも)
歌意:墨をもって描いた葉鶏頭を現在の私の前髪に似ていると人は言わないだろうか、いや言うだろう。

雁来紅(第15首)
「かく の ごと かける かまづか とりげ とも かや とも みらめ ひと の まに まに」
(かくのごと描けるかまづか鳥毛とも萱とも見らめ人のまにまに)
歌意:このように私が描いた葉鶏頭を、見る人は思いのままに鳥毛とも萱とも見るであろう。

雁来紅(第16首)
「むかし わが ひと たび かきし すゐぼく の かの かまづか は た が いへ に あらむ」
(昔我一たび描きし水墨のかのかまづかは誰が家にあらむ)
歌意:(四天王に)踏みつけられていた邪鬼たちは今も変らずこのように残っているが、仏たちは焼失して行方知れずになっている。(なんと皮肉なことだろう!)

水墨画の歌である。

彼は、真っ赤に燃える葉鶏頭を、墨一色で燃え立つように書こうとしたそうだ。

「墨に五彩(濃・焦・重・淡・清)あり」という中国の言葉がある。

墨の中にも、多彩の色がある、という古来から語り継がれてきた言葉である。

確かに、黒の伝統色も色とりどりである。

薄黒(うすぐろ)

鉄鼠(てつねず)

墨色(すみいろ)

相済茶色(あいすみちゃいろ)

紫黒色(しこくしょく)

黒色(くろいろ)

黒羽色(くろはいろ)

黒橡(くろつるばみ)

黒紅(くろべに)

黒紅梅(くろべにうめ)

漆黒(しっこく)

濡羽色(ぬればいろ)

檳榔子黒(びんろうじぐろ)

呂色(ろいろ)

思い浮かぶ色は、黒のイメージがある。

しかし、同じ、

「黒」

でも、それぞれの墨に、豊かな色彩が含まれていることは、これらの短歌を読んでみることでも、その墨の不透明感の捉え方の違いによって、

藻のあはひ鯰もひそむ襖絵の墨にも息あり夜の屋敷は
(山科真白『鏡像』より)

杉山に雪降りつづきなんでこう水墨画めく視界であるか
(なみの亜子『ばんどり』より)

墨壺ゆ引き上ぐるとき筆先は暗黒宇宙を一滴落す
(三井修『汽水域』より)

物や風土が人を育てもするが、得体の知れぬ不安や焦りに心が支配される夜に浸食されたりもする。

その視点の鋭さに驚かされる。

また、この世には、

「名墨」

というものに拘る人がいて、中谷宇吉郎のエッセイ

を読んで頂けると、人の心を吸いとるところがあるようで、更に、驚かされる。

また、目に見える色は、この世に限りなくあるが、墨は、あらゆる色を含んでいるという意味でもある。

つまり、空の青さは、

「青の絵の具」

よりも、太陽の赤は、

「赤の絵の具」

よりも、

「墨」

が真実の色を表現しえる、と言っているのである。

どういうことかと言えば、墨は、目に見える色を、人の想像力で、心の色に置きかえることができるからだと、篠田桃紅は語っていた。

「四季それぞれに流れている目に見えないものを可視化する」

とも。

そうだとすれば、真実の色は、それを見たいと希う人の心の中でしか、再び、会うことはできないのかもしれない。

話が逸れるが、自然界には、絵の具のチューブから出したような真っ黒な色は存在しない。

あらゆる波長の電磁波を吸収する物質を完全放射体(黒体)と呼ぶ。

黒い物体であっても、可視光線を全く反射しない物質は存在しないため、完全な黒体(完全黒体)は、現実には存在しない。

反射率との関係で完全なる黒を考えると、完全なる黒とは、

「照射された光をすべて吸収してしまう、反射率0%の色」

ということになる。

しかし、画像表面の光沢などにより、一様に反射される光が少なからずあるため、限界が生じてしまう。

では、暗い色を使いたい時は、いったいどうすればいいのだろうか?

救世主は、藍色、または、青も代わりになる。

もし、夜の印象を「黒≈暗」だと思ってしまえば、心象風景も、その「黒」で混色してしまうから暗く、濁ってしまう。

それは、暗闇を「黒」で描いた絵画が、生き生きとした絵にならないことからも、明白ではないだろうか。

もしも、心象風景を描く「黒」に、自らを解放できる好きな「墨」を創造して、思いっ切り使ってみることができたのなら、篠田桃紅に、ほんの少しでも近づくことができるかもしれない。

最後に、「墨」に関して、彼女の書く「書」のように、

篠田桃紅「瞬」(紙に墨・彩色 1999年作)

凛とした佇まいをみせる素晴らしい文章の数々が載った本を紹介しておく。

「日本の名随筆 (27) 墨」篠田桃紅(集)

【内容目次】
會津八一  拓本の話
安東次男  硯と水滴
飯沢匡   草字体で書く
石川淳   無法書話
宇野雪村  天漢の簡
大岡信   崇徳院、王羲之、空海の書
加藤周一  光悦覚書
加藤楸邨  邯鄲に筆乗りゆけば
神田喜一郎 禅僧の書
北大路魯山人   良寛様の書
栗田勇   書について
小杉放庵  水墨
駒田信二  顔真卿
小松茂美  写経(抄)
齋藤茂吉  筆
榊莫山   墨
篠田桃紅  富士と墨
竹西寛子  墨
谷崎潤一郎 文房具漫談
陳舜臣   身辺筆墨のこと
永井龍男  書と人間
中川一政  硯と墨
中川一政  墨色の富貴
中西慶爾  『草枕』の硯
西川寧   書-三題ばなし
東山魁夷  水墨画の世界
福永武彦  会津八一の書
富士正晴  貫名海屋に思うこと
水上勉   萩筆の秋
武者小路実篤   いい墨 [巻頭詩]
武者小路実篤   墨絵其他に就て
森田子龍  書くということ
安田靫彦  書を想う
山本健吉  『子規遺墨』序
吉野秀雄  長谷川等伯の「松林図屏風」

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