私たちにとって敵とは?
「ためらい」だね^^;
自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないから・・・・・・
「人生は、恐れを知らぬ冒険かそれとも無かのどちらかである。」
これヘレン・ケラーの言葉なんですよ。
ヘレン・ケラーが原因不明の病気によって、聴覚と視覚を失ったのは、まだ2歳にならないときでした。
物心がつくかつかないうちに、まったく音と光のない世界へと入ったのです。
何も見えず、何も聞こえず、何も話せない。
三重苦という想像を絶する障害です。
もちろん、彼女の心のなかには常に「ためらい」があったと思います。
自分は、どうせ目が見えないから、何もできない人間ではないか。
自分は、どうせ耳が聞こえないから、価値のない人間ではないか。
自分は、どうせ話ができないから、役に立たない人間ではないか。
しかし、彼女はその「ためらい」に打ち克ちました。
聴覚・視覚障害者として、世界で初めて大学で教育を受け、講演や著述などによって社会福祉に尽力し、世界中の人々に希望を与える人となったのです。
そんな彼女の話を思い起こす度に、目も見えて、耳も聞こえ、話ができて、何を”ためらう”必要があろうかって思います(^^)
そんな彼女が大学生の時、初めての執筆した作品が「楽天主義“OPTIMISM”」です。
とにかくすばらしい作品です(^^)
「楽天主義“OPTIMISM”」ケラー,ヘレン(著)岡文正(監訳)
明日は今日より美しい。
明後日は明日よりさらに美しい。
楽天主義はそのように信じている。
三重苦の中で生きることを想像するだけで、胸が苦しくなってしまいますが、彼女はむしろ、生きているということの幸福感に満ちていたのだそうですよ!
幸福はどこ?
目に見える物だけが本物?
彼女が若い頃、名作「青い鳥」などで有名なメーテルリンク夫人がヘレンに尋ねたそうです。
「青い鳥 (改版)」(新潮文庫)モーリス・メーテルリンク(著)堀口大学(訳)
「あなたは、ほんとうに自分が幸福だとおもっていますか」って。
ヘレンはためらうことなくきっぱりと答えたそうです。
「私は心の底から幸福だと思っています。もし幸福でなかったなら、私のこれまでの人生は無意味ですから、この場で短剣で胸を刺すでしょう」
これを聞いた夫人は、ヘレンをひしと抱きしめ「あなたはほんとうに青い鳥を探し出してくれました」と感涙にむせんで言ったといいます。
また、自分の楽天主義について、ヘレンはこんなふうに述べています。
「私の楽天主義は、世の中に悪などないという信念に立脚するものではなく、善の力や、善と協力して悪を克服しようとする意志の力のほうが、悪よりも強いと信じていることに基づく。」
「世界はまさに、善によって導かれている。だからこそ私は、自分の幸福な思想を実際の生活に用いて、知識と能力を磨かなければ、せっかく私が会得した善の成果を収穫できなくなる。」
「私は、自分や他人に対する人生の義務は、幸福になることであると信じているので、肉体上の障害よりもいっそう恐ろしく不幸な、厭世思想を脱することができたのである。」
「幸せの扉がひとつ閉じるとき、別の扉がひとつ開く。けれども、私たちは閉じたほうばかり見つめていて、私たちのために開けられた扉に気づかないことが多い。」
そして、目はめしい、耳も聾したヘレンは、プラトンの観念の世界において特別な意味を発見したんですねぇ(^^)
人々が目で見、耳で聞き、身体で触れるものはみな、実在界の事物ではなく観念であり、真の原理ではなくその表現で、実在の不完全なコピーにすぎない・・・・・・と。
盲・聾であったからこそ、不完全なコピーにすぎないものに惑わされずに、真実そのもの(それは観念である、とヘレンは言っています)を発見することができたんだと思います。
天国を創ることを体現している人が、ここにいます。
「自分の人生に何が欠けているかに焦点を当てるのではなく、今ある豊かさに感謝する方を選ぶなら、幻影の不毛の地はその姿を変え、私たちは地上の天国を体験する。」と著述家のサラ・バン・ブラナックも言っていましたね。
いま当たり前のようにあるものに、感謝できるようになりたいから、理想と現実の両方を見て、そのバランスを考えてみることも必要だね。
どちらかだけに目が行き過ぎると、考え方に偏りが出て、行動にも影響するから、自分の目をどこに向けるかと、それを感謝できるかで、気持ちは変わってくるので、現実と理想のギャップを、どうすれば早く確実に埋められるかを意識することに注意しないといけないなあ^^;
そこに気づければ、それがなくなってしまったとしても、いまあるだけでも感謝できると感じられるから、何度でも読み返したい、知恵の詰まった本です(^^)
そうだ!
みなさんは、しあわせの色って、どんな色なんだと思いますか?
たとえばいま、手の中にいたとしても。
たとえばきのう、庭の木に止まっていたとしても。
青い鳥はほんとうは、青い色をしていないから、誰の目にも、とてもわかりにくいのかなって気がします(^^)
想像していた色とはちがう、しあわせの色。
世の中には、そういうものたちがたくさんあるって感じませんか?
心を透明にすれば、心の色めがねを外せば、それぞれのしあわせの色が、もっと、もっとよく見えるはずだからねぇ。
どこかではなく、青い鳥が青ではない色をして、そっとあなたの肩にとまっているかもしれませんよ。
目に見えない幸福が一番尊いんだろうね(^^)
今日は、なんだかもう一度、モーリス・メーテルリンクの『青い鳥』読みたくなっちゃた(^^)エヘヘ
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