誰しもコントロールされたくない
今日は自分を振り返って気がつきたいことがいくつか思いつきましたので、そのお話を。
人間は、あれこれコントロールしたいと思いつつ現実的にできないときもある、と気づきたい。
とくに、典型的な例としては、他人。
意外に自分が誰かをコントロールしようとして四苦八苦していないでしょうか。
誰かをコントロールするのは無理、とわかっていても意外にコントロールしようとして、でも結局できないから現実とのギャップに自分で勝手に苦しんでしまう、というもの。
自分だけならまだしも、なんで相手は思っているように動いてくれないのか、なんて相手に腹を立てたり、誰かに八つ当たりなどし始めたら、もう大変。
また、コントロールといわないまでも、たとえば誰かに良かれと思ってするアドバイス。
こんなのは日常茶飯事。
それを相手が受け入れてくれるかどうかで右往左往するのも、実際には相手が自分の思うとおりになって欲しい、コントロールしようとしているのと似ています。
もちろん、アドバイスする以上、それを受け入れてくれたら嬉しいものなのですが、相手が他人である以上強要はできません。
自分がコントロールしようとしているかどうか、チェックするには、ひとつシチュエーションを考えてみます。
誰かが悩んでいるとして、その人に何かアドバイスしたり、こうしてみたら、と言ってあげたりしたとき、その人がその通りにしないとき、あなたならどう感じるでしょう。
せっかく言ってあげたのに、なんでやらないんだろう?と思いますか?
それから、あなたが言ってあげたことではなくて、他の人が言った通りにしたとしたら?
なんであの人のアドバイスをとるの?
なんて、ちょっとさびしかったり、ちょっとココロにひっかかる?
「なんで私の言った通りにしないんだろう?」
なんて気持ちがふとよぎるとき、無意識に自分の思い通りにならないことが気にくわない、ということになるかもしれません。
でも、こんなことは誰にでもあるので、意外に私たちはコントロールフリークの一面を持っているとも言えます。
こんなとき、逆の立場で考えてみましょう。
人からのアドバイスは助かりますし、嬉しいですし、でも強要されるものだと、困りませんか?
アドバイスをお願いしたけど、結局違う人のアドバイスに従っちゃったから、悪いかしら?とか合わせる顔がない、なんてことは?
こんな風に、自分の目の前のことだけで手一杯なのに、アドバイスしてくれた人にまであれこれ気遣っていたら、自分のための選択や決断もできなくなったりします。
もちろん、気遣ってアドバイスくださる人に対して礼儀は大切ですが、そのことと自分のための選択をするのは、別のお話です。
結局、自分も含めて人からコントロールされたい人はいないものです。
たまに、その方が楽だからとコントロールされたい人もいますが。
そのことに気づくと、自分が持っている変なこだわりというか、コントロールしようとしている自分を少し手放せるはず。
そう、自分の感情をコントロールする上で最も大事なことは、「第三者の視点」を持つことだと思います。
言い換えると、コントロールすべきは、自分の人生ではなくてその時の心持ちなんですよね。
他人が自分のことをどう思うかなんて気にしないことです。
気にしたところで、相手の気持ちをコントロールすることなんてできないのですから。
考え方が成長しなければ、ものの見方と受け止め方は変わらないから、起きている出来事に振り回されずに、自分の気持ちをしっかりさせることで、どんなことが起きても、考え方がしっかりしていれば、乗り越えられるはずです。
自分ではコントロールできないことを、どんなに気にしても変えることはできません。
自分がコントロールできることに意識を向ける。
自分の努力で変えられることに目を向けて、自らの力で前進していく。
そして、自分の思いをコントロールできるようにしていければ、どんな状況でも、自分の思い次第で、考え方を変えていくことはできる様になってきますので、コントロールすべき対象を間違えないでくださいね。
いつもどんな気持ちでいるように心がけていますか?
自分の思い通りに進むために、どんなことを意識していきますか?
自分でコントロールできないことを気にしすぎていませんか?
あなたが最近コントロールしようとしてできないと気づくことは何(誰)でしょう?
何をどう考えたらコントロールしようとする自分を手放せますか?