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人に「やさしい」ということについて考えていたこと

私はよく他人から優しい人といわれますが、
優しいわけでは無いのです。

他人に関心が無い

というのが正直なところです。
生活の中で他人に対して感情的に言葉を発したりすることが人より少ないようで、それをもって私のことを「優しい人」という人がいます。これに堪らなく違和感があります。
私自身ではそんなに自分が優しいとは思えません。

たとえば、部下の失敗に対して怒る上司がいたとして、その人は優しくないのでしょうか?

その部下の成長を願って叱咤してくれている人がいます。もちろんこれは優しさだと思います。

一方で、その部下の失敗に対してガッカリしてしまい感情を爆発させる人もいます。
この人は一見自己中心的に見えますが、私はそうは思いません。
ガッカリするということは、その裏側には部下への期待、うまくいってほしいという想いがあってこそであり、根本には愛情があってこそだと思います。他人に期待し、成功を願う。そんな人はやっぱり優しい人なんだなと、私は思ってしまいます。

私は他人にどうにかしてほしいなどと期待なんてしたことがありません。
自分に何ができるか、それしか考えていません。

相手に対して怒りを表現すること、
苦言を呈すること、それらは極めてエネルギーを消費する行為です。
私は他人のためにそこまでのエネルギーを割いていられません。

只々、自分のことで精一杯。

そもそも、他人に対して何かを要求すること自体がとても効率の悪い事だと思っています。

人が他者に対して強い言葉を発するとき
その多くは自分が不快な思いをしないように、または不利益を被らないように、相手に主張や価値観など変えてもらうよう働きかける行為
だと思います。

私は相手に変わってもらうことなんて期待していません。
家族はまた少し違いますが。
それ以外の友人やビジネスパートナーなどに対して自分の価値観を押し付けて変化を求めるようなことは、そもそも傲慢な考えだと思うし、自分が変わる方が簡単でとっても楽です。

そんな意識があるので自分のことを優しい人だとは思っていません。
もちろんビジネスシーンでは譲れない部分について諦めずに交渉することはありますが、それは優しさの話とはまた違う話だと思います。

本当に優しい人は、どんなに効率が悪くともしっかりとエネルギーを割いて、相手と向き合う人だと思います。
私の恩師はそんな人間でしたが、言葉がきついので厳しい人と皆から言われていました。

でもとても優しい人だと私は思います。

もう一つ、別の優しさの話。
私の好きな曲にブルーハーツの「ながれもの」という曲があります。
この歌詞が本当に優しさを深く表現していると感じます。

愛することだけ考えて
それでも誰かを傷つける
そんなあなたが大好きで
そんな友達が欲しかった

甲本ヒロトはなんて優しい人なんだろうと思います。

人が悪気なく行なってしまう失敗、不器用さ、
そんな人間を「許してあげよう」という価値観は過去にもいくらでもあったと思います。

相田みつをの「人間だもの」も、
そんな「許し」を表現した詩だと思います。
でも、「許してあげよう」ってちょっと偉そうですよね。金持ちが貧乏人にお金を恵んでいるのと同じような傲慢さが見え隠れします。

でも甲本ヒロトは、
「そんなあなたが大好きでそんな友達が欲しかった」
とまで謳った。
不器用な人間を、その等身大の姿ありのままを大好きだという甲本ヒロトの言葉には前述のような傲慢さは一切感じません。
これほど優しさを言い表した詩は後にも先にも私は知りません。
辞書の「優しさ」にはこの歌詞載せたらいかがでしょうか。