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武器になる哲学 第5回

どうも、地方公務員のばたやんです!

今回は、変化のスピードがとても速く何もかもが不確実なイマをどう生きるか、生き方についての哲学をご紹介します。

🔷アンガージュマン
~人生を「芸術作品」のように創造せよ~

ジャン・ポール・サルトル(1905~1980)
フランスの哲学者、劇作家、小説家で代表作は「嘔吐」。
右目に強度の斜視があり、1973年にはそれまで読み書きに使っていた左目を失明した。自分の意志でノーベル賞を拒否した最初の人物。

〇サルトルの思想「実存主義」
Wikipedia 実存主義
Wikipediaにはとても難しく書かれていますが、要は「私はどのように生きるべきか?」という”Howの問い”を重視する立場だ、ということです。

〇”Howの問い”に対する答え
この答えこそが「アンガージュマンせよ!」という事なのですが、アンガージュマンって何ですか?となっていると思います。
本書では、アンガージュマン = 「主体的に関わることにコミットする」 としています。

〇何にコミットするのか?
サルトルによれば、2つコミットすべきものがあるとのことです。

①私たち自分自身の行動
現代の民主主義社会では、私たちに自分の行動を主体的に選択する権利が与えられています。「何をするか」「何をしないのか」という意思決定について、自分で責任を取る必要があり、サルトルの「実存主義」においては”自由”はとても”重たいもの”として位置づけられています。
サルトルはこれを指して「人間は自由の刑に処されている」と言っています。

②世界
サルトルによると、私たちは、自分たちの能力や時間、「人生そのもの」を使って、「企て」を実現しようとしており、私たちに起きていることはすべて、その「企て」の一部として引き受けなければならない、ということです。
戦争を例にあげて、「人の一生のうちに”偶発事件”などというものは存在しえない」とさえサルトルは言います。

戦争を人生の外側からやってきた事件のように考えるのは間違っている、その戦争は「私の戦争」にならなくてはいけない、何故なら私は反戦運動に身を投じることも、兵役拒否して逃走することも、戦争に抗議することもできたはずなのに、それらをせず世間体を気にして、あるいは単なる臆病さからか、あるいは家族や国家を守る主体的な意志によって、この戦争を「受け入れた」からである。

あらゆることが可能であるのに対して、それをせずに受け入れた以上、それはあなたにとっての選択である。これこそが「人間は自由の刑に処されている」ということです。

〇外側の現実と自分
私たちは外側の現実と自分を2つの別個のものとして考えるクセがある。
サルトルはこの考え方を否定します。

外側の現実は私たちの働きかけで「そのような現実」になっているので、「私たちの一部」であり、私は「外側の現実の一部」で両者は切って離すことができないということ。だからこそ、その現実を「自分ごと」として主体的に良いものしようとする態度こそがアンガージュマンである。

サルトルは、目の前の組織や社会から突き付けられるモノサシによって自己欺瞞に陥ることなく、自分自身の人生を完全な自由から生まれる芸術作品のように創造することで初めて、自分としての可能性に気づくことができるのだといいます。

この記事の内容が誰かの力や気づきになれれば幸いです。

それでは、地方公務員のばたやんでした。