ソウルを歩き回る幽霊たち――ぺ・スア『Untold Night and Day』
欧米を中心に高く評価されたぺ・スア(Bae Suah、裵琇亞)の2013年の作品『알려지지 않은 밤과 하루』――英訳では『Untold Night and Day』――を、乱暴に要約すれば、28歳の元女優の【アヤミ】が、消えた知人を探して真夏のソウルを歩き回る物語、ということになるだろう。タイトルの通り「1日と1晩」のできごとを描いている。アヤミが回遊するソウルは、別の街に幾度となく姿を変える。ある種の平行世界――アヤミがアヤミでなかった世界――「こうであったかもしれない世界」に。
夢と現実が入り混じる謎かけのようなこの小説を読んでいる間、様々な現代海外文学の記憶が呼び起こされる。たとえば主人公を取り囲む世界が徐々に別の様相を帯びていくという構成は、トマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』と似通う。いずれも女性の主人公で、年齢も近い。探偵小説的、だが最終的に何も明らかにならない枠組みはポール・オースターの初期小説を思い出させるかもしれない。こちらは映画だが、全体の雰囲気はデヴィッド・リンチの諸作品と通ずるところがある。悪夢めいた超現実性。様々な伏線めいた台詞や描写が次々に現れるものの、それらはやはり最後まで回収されることはない。
ただ、最後まで読み終えてみると、これらすべてと似ているようで異なる、ほかにはない、特別なスタイルがあると感じる。
前半に印象的なシーンがある。アヤミは勤務先の文化センターで、正体不明の奇妙な男性と出会う。男はガラスドアに手を押しつけ、内部へと入ろうとしている。そのとき、なんの前触れもなく、彼女の心の中に「感情」が湧き上がる。
物語が始まる時点でアヤミは「オーディトリウム」と呼ばれる、おもに視覚障害のある人々向けに朗読劇などの録音を上演する文化センターで勤務している。アヤミはかつて女優として一度だけ映画に出演したが、うまくいかなかったらしい。特段の目的もなくこの施設でスタッフとして数年間働いてきたが、運営元の財団がすでに閉館を決めた。アヤミに将来の展望はない。(ちなみになぜ彼女が日本名の「アヤミ」なのかについては、いくつか伏線と思われる描写もあるが、やはり明示されない)
その最終日、誰もいないホールでアヤミがぼんやりと座っていると、壁の奥から聞き慣れない音声が聞こえてくる。天気予報のような、船舶の無線のような音。その音が契機となって、アヤミの夢とも現実ともしれない1日と1晩が始まる。
アヤミが探すことになるのは、かつて自身がドイツ語のレッスンを受けていたドイツ語教師の【ヨニ】。その捜索の中で、あるいはそれに続く場面で登場するのが、オーディトリウムの【ディレクター】、地方出身の中年男性の【ブハ】、ドイツからヨニを頼ってきた【探偵小説家】といった男たち。彼らはアヤミと詩や美術について議論したり、共に街を歩いたり、あるいは単にすれちがったりするが、特に物語を大きく動かすわけではない。そしてアヤミ自身、どうやら彼らにそれほど関心があるわけではないらしい。
ソウルが幾度となく姿を変えるということはすでに書いた。前触れなく暗闇に包まれたりするだけではなく、突然、かつてそうであった戒厳令下のような様相を帯びたりするのだ。この世界でアヤミはヨニを探しているが、どうやらこの世界と別にある「もう一つの世界」では、二人は同一人物であることも示唆される。別の世界の入り口は至る所にある。自分と他人、「こちら」と「あちら」の境界はふとしたきっかけで溶け出し、判別不能になっていく。しかしやはり、アヤミはそのことに少なくとも表面的には、興味を持っていない。
端的にいえば、アヤミのこの無感覚さ、根本的な世界の関心のなさによって、この小説は特徴づけられている。幽霊のような無関心さによって。
ぺ・スアは1965年生まれの58歳、ソウル出身。大学では化学を学んだが、その後1990年代から複数の短編小説と十作以上の長編を発表。おそらく冗談だと思うが、英『ガーディアン』紙の取材に 「タイピングの訓練をしようとしていた時に、偶然短編小説を書き始めた」と話している。2001年頃ドイツに滞在してからは韓国と行き来する生活を続けているといい、ドイツ語圏の作家ーーカフカやゼーバルトなどーーの翻訳者としても活動している。2003年には韓国の「韓国日報文学賞」を受賞。2016年に英訳された『Nowhere to be found』がアメリカの「PEN翻訳賞」や「Translation Book Award」などを受賞し、英語圏でも注目される。
『Untold Night and Day』の英訳を担ったデボラ・スミス氏は、日本でも出版されたハン・ガンの『ベジタリアン』(2011、クオン)も手掛けた韓国文学の紹介者。同作は国際ブッカー賞を受賞した。1987年生まれのスミス氏がぺ・スアの作品を手掛けるのは『Untold Night and Day』が4作目。同じく翻訳者でもある作家の作品について、「(ブラジルの小説家)クラリッセ・リスペクトールのようにスリリングな」と現代文学の最前線を行く作家として高く評価している。(The White Review, 2017)
最近まで日本語の翻訳はなかったが、今年1月に白水社から『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』が韓国語から翻訳され、日本での最初の本格的な紹介となった。作家の生い立ちや過去の作品については翻訳者の斎藤真理子氏によって詳しく解説されているので是非参照してほしい。斎藤氏はペ・スアが「それ自体が一つのジャンルといえるほど強い存在感を放ってきた」として、本来ならばもっと早く紹介されるべきだったとも語っている。
『遠きにありて・・・』が、よりストイックな言語的な探究――斎藤氏の言葉を借りれば「テキストの可能性を広げようとする」試み――といった趣きであるのに対し、『Untold Night and Day』は【アヤミ】という人物の冒険譚的な感があり、一見異なる印象もある。しかし読み込んでいくと、形を変えながら繰り返し現れるモチーフなど、「スタイル」としか呼ぶことのできない一貫性を感じさせる。
小説の前半部分、意識をもうろうとさせるような真夏のソウルの暑さについて描写される箇所で、それまで基本的にはアヤミの視点から三人称で物語を進行させていた文体に突然、詩のような、異なる文体が差し込まれる。
暑さは、小説の通奏低音になっている。暑さは人々の意識から思考を奪い、感覚を失わせる。昼と夜の境も曖昧になる。立ち上る陽炎と風のない熱気の中で、僕たちは感覚のない、目的なく歩き回る動物となる。そうして「こうでもあったかもしれない」世界が現れ、そこに迷い込む幽霊となる。
小説からは「韓国的」あるいは「アジア的」な要素は、少なくとも表面的には浮上しない。むしろ巧妙に排除されているとさえ感じられる。英訳で読んだことが影響している可能性はあるけれど、アヤミが歩き回るソウルの街は東京にもベルリンにも、ハノイにも似ていると感じる。あなたが都市生活者であるならば、舞台の匿名性は、小説を親密なものとするかもしれない。しかし当然だが、ディテールに目を凝らしたり、背景に思いを巡らせたりすればそこにはローカルなモチーフが現れる。ひとつ挙げるならば、それは38度線をまたいだ「あちら側」にある北朝鮮の存在だ。翻訳者のスミスも指摘しているが、冷戦の負の遺産が世界でほぼ唯一今も残る半島の「北側」への意識は、作品のあちこちに影を落としている。それに思いを巡らせると、この小説は、国が分断されている/された経験のある二つの国を行き来する作家であるからこそ書くことのできた、稀有な作品であったのではないか、そんな気もしてくるのだ。
書誌情報
Bae Suah, Deborah Smith(Translated)
Untold Night and Day
Vintage, 2021
https://www.penguin.co.uk/books/439434/untold-night-and-day-by-bae-suah/9781529110869
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