夏、或る質問への答え
逆説的ですが、わたしの解釈としては、つくることは壊すことだと考えております。
それは、今まで信じて疑うことのなかったことを問い改めて、自分の中で固まっていた価値観や考えを崩す姿勢だったり、あるいは自分を形成していると思うもの、周囲が自分に抱いているであろうイメージや自分が自分に抱いてる期待やプライド、それらを壊すことだったり、途中までつくったものに対して何か違和感を感じたときに、ズレを抱えたまま進むんじゃなくて、まっさらな状態に戻して、一から作り直すことだったりします。
とにかく壊すことに躊躇をしていたらつくることはできません。
世界の構成要素というのは原子というわけですが、たとえば、1円玉をつくるとなったときに、アルミニウム原子から生成しようとはならないと思うのです(たぶん人類はまだその域に到達してません)。自然に存在するアルミニウムを一旦溶かして型に流すなり、彫刻・切断なりすることで、新たな形を宿すことになります。
これと同じように、作品をつくるというのは、原子や出来事を0から1に新たに生み出すことではなく、既に自然に存在するもの、日常的なこと、自分が美しいと心打たれること、悲しいこと、トラウマなど、自分の力ではどうしようもない人知を超えた働きがもたらす現象を再解釈し、新たに意味づけをして、自分の視点から見えた物語をつくることだとおもうのです。
どんな悲劇もいかように塗り替えられる。もっと悲しいものにも美しいものにもできる。それは、自分が思いたいように好きなように再解釈できるということで、どんな形であれど、そういった自分の視点を確立することそのものが、自分が遭遇したすべてのことへの肯定になると思います。そこには不条理もきっと含まれるでしょう。
それが創作なのではないでしょうか。