ぼくは0点? 第二章 中2②
2年7組は春のクラスマッチも、秋の運動会、合唱コンクールでも圧倒的な強さを誇り、常に優勝、準優勝の好成績を収めていた。男子女子の仲も良好で、昼休みも皆が普通に輪になって弁当を食べ、会話していた。リコがそう呼ぶので、秀雄はクラスの女子からは自然と「ヒデくん」と呼ばれるようになり、中1の時のような革命を起こす必要はなかった。
「ヒデくん、今度の新アニメの放送時間、教えて」
2学期になると、毎月、アニメの月刊情報誌を購読している秀雄に、リコが話しかけてくることが増えていた。瞳をくるくるさせながら、真っ直ぐに見つめてくるので焦る。
釣り、洋楽、プロレスよりも秀雄はアニメが好きだった。秀雄にしてみると、好きという意識はなく、昔から観ているものを今も観ているだけなのだが、気づくと同じ話題で話せる友達はいなくなっていた。アニメの話ができる相手ができたのは楽しかった。
いつリコに話しかけられてもいいように、秀雄はアニメ雑誌を以前よりも熟読するようになった。
「あのアニメのオープニングの歌詞、英語で何て言いよるかわからん。ヒデくん、わかる?」
「今月号に歌詞が載っとったけん英語はわかるけど、意味はわからん」
「じゃあ、辞書引けばええやん。一緒に調べよ」
「ええわ。リコが調べて、わかったら教えてくれ」
さりげなくお互いの名前が会話に出てくると、くすぐったいような気持ちになった。
部活中、新体操部の練習している方向にリコがいることはわかっていながらも、レオタード姿の女子をどう見たらいいのか分からず、いつもゴロチの器械体操部の方に手を振りながら、横目で追うだけの自分に秀雄が気づくのは秋も深まる頃だった。
行事続きの忙しい中、11月には山奥の廃校を改装した訓練施設での1泊2日の宿泊訓練が行われた。くじ引きで秀雄はリコと同じ班になり、昼はオリエンテーリングや手打ちうどん作りに挑戦した。夜にはキャンドル・ファイヤーの点火係として、2人で一つのキャンドルを持って会場を一巡した。学年中からやんやの喝采を浴びて、顔から出る火で点火できるのではないかと思うくらい恥ずかしかった秀雄が、その喝采が男子による秀雄へのものより、女子によるリコへのものが多かったことに、気づくはずもなかった。
この訓練で秀雄は、ゴロチがボディソープなるものを、多田くん筆頭の野球部軍団が整髪料なるものを使っていることに驚かされた。まだ坊主頭を続けていた秀雄は野球部とも仲良くなっていたのだ。この世にそんなものが存在していることさえ知らなかった秀雄は、家に帰った当日に、散髪屋で無理やり「ツーブロック」を頼み込み、その帰り道にスーパーで、全く同じボディソープと整髪料とを購入した。大人の階段を一段くらい上った気分だった。
2学期期末テスト
国語90点:数学88点:社会89点:理科100点:英語58点
音楽74点:美術79点:保健体育65点:技術家庭80点
合計723点:平均80.4点
クラス順位41人中8番:学年順位317人中65番
コメント欄より
秀雄:努力してない割にはまずまずの成績だ。でもまだまだである。目標は近い。明日が輝いている。がんばんべぇ~。
大西先生:期末でも平均80点をこえましたね。すばらしい。目標というのは学年で50番以内をねらっているのでしょうか。
◆3学期 天上天下
3学期、クラス投票により学級委員に選ばれたのは、なんとリコと秀雄だった。
クラス会の準備や学校行事の打ち合わせなど、放課後に2人で残ってやることも多くなり、以前にも増して会話が増えていった。この時期、秀雄はどの教科でも、授業中にあてられて返答に困ることはなくなっていた。数学はいつでも正解が出せるようになり、英語は音読も、訳すことも、ほとんど詰まることなくできるようになった。それでも満足できなかったのは、リコに「ここ、教えて」と言われることがなかったからだ。教えてもらうのはいつも秀雄の方だった。はっきり聞いたことはないが、クラスで1位を争っているという話から考えると、リコは学年では10番以内ではないか。秀雄は自分がそれに全く届いていないことを歯痒んでいた。
(3年生になっても一緒のクラスにならんかのー)
そんなことを思う3月になった。
その日は学年末テストの最終日、最終科目のテストが終わった後は通常授業が再開し、放課後にはテスト期間中は休みだった部活も再開された。
「久しぶりやと、体がなまっとるんがようわかるの」
「俺はそれよりも防具の臭いがきついわ」
剣道の防具は基本、洗わない。まめな部員は陰干しなどをするが、秀雄はこの2週間近く、自分の防具を部室の棚に放置したままだった。
部員たちと久しぶりの練習、久しぶりの防具に文句を言いながらも、汗をかいた体が心地よかった。練習を終え、部室で着替えをすまし、ドアを開けて外に出た。まだまだ肌寒い。
6時過ぎで薄暗かったが、すぐにわかった。目の前にリコが一人で立っていた。
「な、何?」
必死に平静を装おうとしたが、自分でもびっくりするくらい声が上ずっているのがわかった。暗がりのせいで、リコの表情までは見えない。
「…」
(俺、汗くさいかも?)
秀雄はその場にカバンを落とした。
「あの…」
「…」
「…好きです」
「…」
「…お、俺も」
「…」
「…好きや」
暗がりなのに、リコがにっこりしたのが見えた気がした。と思ったら、そのまま彼女は向こうに走って行ってしまった。走っていった先で女子の歓声が上がるのが聞こえた。
その夜、電話がかかってきた。母親が玄関にある電話を取った。
「電話やで。伊藤さんっていう子」
アニメのように食べていた夕飯を吹き出しそうになりながら、急いで電話を替わる。携帯電話などまだない。電話コードの長さの限界ギリギリまで居間からは離れた。
「ヒデくん?」
「うん。よ、よう電話番号わかったの」
「クラスの名簿、見てかけとるけん。今、大丈夫?」
「ぜんぜん大丈夫や」
この時代、クラス名簿に生徒や先生の電話番号が載っているのはごく普通だった。
「今日はうれしかった。ありがとう」
「び、びっくりしたわ、ほんまに」
「ごめん」
「いやいやいや、俺もうれしかったし」
「…」
「…」
「ほんでの、ヒデくんに言わんといかんことがあるんよ…」
(な、なんや???)
「私…」
3学期学年末テスト
国語85点:数学90点:社会78点:理科99点:英語82点
音楽68点:美術85点:保健体育52点:技術家庭89点
合計728点:平均80.9点
クラス順位41人中7番:学年順位317人中64番
コメント欄より
秀雄:家で勉強しない、テスト発表中もしない、成績が上がるはずない。復習しないといけないのに長続きしない。授業も真面目に聞いてない。毎日、勉強するくせをつけないと泣くのは自分だ。がんばんべぇ~。
大西先生:英語が80点以上になりましたね。私はうれしくて泣きますよ。
春休みに入ってすぐ、リコとは一度だけ会った。駅で待ち合わせて、やってきたリコの私服姿にどきどきした。秀雄が思っていたのより(それ以前に女子がどんな私服なのか想像もできないのだが)、ボーイッシュな装いで最初は戸惑いつつも、似合っていると思った。それから2人で電車に乗り、2人で高松のアーケード街を歩き、2人で映画館に入った。大入り満員の話題作で立ち見となり、2人で映画館の壁にもたれて鑑賞した。指定席制や定員・入れ替え制などはまだない時代の映画館の話だ。上映時間中、秀雄はずっと、手をつなぐことしか考えられなかったので、ほとんど映画を観ていない。結局、手をつなぐどころか、肩さえ触れることはなかった。
映画の後に喫茶店に入った。喫茶店に子供だけで入るのは初めてだった。
「ほんまはリコにテストの順位で勝ったら、俺から好きやって言おうと思っとたんや」
「えー、そんなん気にせんと、はよ言うてくれたらよかったのに」
「嫌じゃ。俺の方が頭悪いって、カッコ悪いわ」
「男の子ってホントにそんなん、気にするんやね」
「おたくが頭良すぎるせいなんですけど!」
「そんなことないわぁ。大抵は多田くんがトップやで」
(それは、ときどきはあなたが1位っていうことですよね!)
「でも、ヒデくんの伸びはすごい!ってババコ先生も言うとったよ」
「ババコ先生?」
「大西先生。先生は女子の前ではいっつもヒデくん推しやったわ。『あの子はええ男になるで』って」
「なんやそれ」
「ヒデくんやったら絶対1位になれる。東京行っても応援する。手紙、書くけん…」
リコはこの春休み中に、父親の仕事の関係で東京に引っ越すことになっていた。
(会いに行くわ!)
本当はそう言いたかった。しかし、小学6年生の修学旅行で京都へ行った以外、四国から出たことのない秀雄にとって、東京はあまりにも遠かった。遠いというよりも、自分がそこに行くことを全く思い浮かべられない場所で、その意味では、東京も北海道もアメリカもイギリスも秀雄にとっては大差ない。気軽に「会いに行く」と言えるところではなかった。
結局、それが最後になった。
泣いてしまうから見送りには来なくていい、と言われていた。喫茶店を出た後、どこで、どうやって別れたのか、秀雄は覚えていない。
映画なんか観なくてもよかった、手なんかつなげなくてもよかった、それより、もっといっぱい顔を見ておけばよかった、もっといっぱい話せばよかった、もっといっぱい一緒に歩けばよかった…。
生まれて初めてのデートは秀雄にとってほろ苦いものとなった。