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【読書の秋2022】愛があるなら


正しいタイトルは『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』です。ごめんなさい!

読みながら思い出したのは、
『アデル、ブルーは熱い色』という映画や『シガテラ』という漫画。
主人公のフランシスをはじめ、ボビー、ニック、メリッサは誰もがチャーミングで美しい。深い深い内省や、悲劇的な過去や、普通の人がなかなかしない経験を現在進行形で重ねていく。

でも、物語全体を覆うトーンはどこまでも「日常」でしかない。
この本がいかに面白かったかを話して聞かせている友人が、実は秘密で同じような体験をしていたとしてもおかしくない、そんなリアリティが横たわっている。

チャット、会話、電話など「カンバセーション」が主体となって進む独特の文体がそう思わせるのかもしれないが、それ以前に作者のサリーの視点にすごく良い意味で湿度が無いからだと思う。

辛いシーンを「辛いでしょ」熱のこもったシーンを「抒情的でしょ」エンターテイメントはついついそうやって、書き手の想いを上乗せして世界を作ってしまうし、それは人の感動を呼ぶ確かな方法ではあるけれど、こうやって「事実」として目の前にポン、と放り出された出来事の方が、生々しく痛みや熱を感じることもある。誰かの想いが乗っていない空のトレーに、無意識に自分の経験や感情で乗せられるものが無いか頭の中を探し回っている。

社会の歯車になりたくないけどそれが何を意味するか、までシリアスに考えきれないままモラトリアムに溺れるフランシス。創作表現を通して何者かになりたいことは伝わるけど、何故なりたいのか、なって何がしたいのかは描かれない。それはきっとまだ「無い」からだ。「何者」かになりたいけど、実は「何者」でも構わない。そんな自分に気付いて落胆したことが1度でもある人は、彼女の思考回路を覗き見るとき自分の過去に思いを馳せずにはいられない。そして、そういう人間は大抵一生自分の中に空白を飼い続けていく。普段大人しくしていても、弱った時、調子に乗った時、夫が気付かない家事をこなしている時、不意に顔を出して私の腰をつついてくるのだ。

その空白を埋めるように物語は動き出すし、一定の速度のまま止まらない。日々はただ続いていく。「まるで小説みたい」と思い出しては恍惚する程度の山と谷が繰り返されながら、結局は何も外れ値を出さないまま続いていく私たちの日常と同様に。


#読書の秋2022

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