尾崎えり子
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能登半島に行って考えた防災授業
4月、生駒市の中学校から防災授業の相談を受けました。
過去2回は東日本大震災の現場と繋いだ授業をしてきましたが、今年は能登半島の地震を軸にしようと考えました。
5月、授業を企画するため、まず能登半島地震後に被災地にサポートに入った市の職員に話を聞くことにしました。
「東日本大震災の時に行けなかったから今回こそは、と現地入りに立候補した想い」「現地から帰ってくる時に感じた無力感」などを語ってく
「芸大の先生になりたい」から芸術活動をスタートし、ちょうど一年後、私は芸大の教壇に立っていた。
一年半前、私は芸大の卒業制作展を観に行って衝撃を受けた。
みんながスルーする社会問題を題材にしながらも、思わず楽しく触って遊んでしまい、最後に自分の無知やスタンスを痛いくらい突きつけられるような作品だった。
芸術ってすごい。
こんなものを作れる学生たちに囲まれてみたい。
「よし、芸大の先生になろう」そう思った私は芸術系大学の採用情報を調べまくった。当然、何もない私が引っかかる採用などなかった。
私の頭の中を可視化した設計図を作って、見て、着て、食べる。
私には見たい景色がある。
でも、その景色をどうやれば作れるのかわからない。
だから、自分の感覚だけを信じて、とにかく、がむしゃらに出来ることをやってきた。
社会に出て20年目。
民間学童を作って10年目。
公教育に関わって5年目の今年。
自分が子どもたちのために作ってきたものを振り返ってみたくなった。
自分が作った授業やプロジェクトを並べたら、見たい景色に近づくのか、知りたくなった。
そんな時
村で用意されていたのは「自然体験」ではなく「体験を作る体験」〜人の少なさが主体性と多様性を加速させる〜
村に教育移住したというと「自然体験」「自然学習」を思い浮かべる人が多い。
西粟倉村に移住してそろそろ2年。
我が子はここで何を体験したのだろうか?
本題に入る前に。
私は仕事でも地域活動でも「体験」をかなり作ってきた。
子育てにおいても、我が家は大学という「未来の学歴」を一旦手放し、「今の体験」に全振りしている。(選択肢として大学進学はあるが、行くことを前提とはしていない。)
私自身もお笑い養
1年間を経て、なぜ私は村で事業家でも教育家でもなく、芸術家として活動することにしたのか?
2023年6月17日。
私にとっては村デビューであり、芸術家デビューである記念すべき日を無事終えた。
むlaboのオープンデーを使って20作品を展示させてもらった。
西粟倉村に移住して今日までの約1年間、私は何も動かなかった。
私の名前すら知らない人がほとんどで、「2人の子の母親」としか認識していない。
それで良かった。
それが良かった。
その理由を、今、振り返る。
2022年1月29日
ある女子高生の一言から始まった私のウィッグ生活。半年間で見えてきたウィッグの本当の大変さ。
去年の夏休みにこんな記事を書いた。
この記事はかなり反響があり、多くの人がシェアをしてくれた。
これを機に高校の校則プロジェクトの話もいただいた。
そんな中、記事を読んだある女子高生からメッセージが届いた。
私は彼女がどこの誰だか全く知らない。彼女がウィッグをかぶる背景もわからない。しかし、勇気を持ってメッセージを送ってきてくれたのだ。
私もウィッグ生活をしてみたら、彼女と同じ景色を見ることが
【中学3年のインターン生との振り返り面談】個展を手伝ってどうだった??
凡人の天才ごっこ展のインターンにきてくれた中学3年生の響くん。
面談に入る前に、少しだけ私と彼の軌跡をご紹介したい。
彼が小学3年生の時に実施した【コペルニクスの学校】
小学校3年生の時、彼は元素記号が大好きで、1つ1つの元素にオリジナルキャラクターを作っていた。それがとても面白かったから、「一緒に授業作らない?響君が先生になってみんなに元素も面白さを伝えてみるのはどう?」と声をかけた。イベント
【ゲスト尾崎とインタビュアー尾崎のlong対談】「芸術家になったワケ」「作品について」「天才とは?」「個展後の展開」
インタビュースタート。今日はお時間をいただき、ありがとうございます。「凡人と天才ごっこ展」についてご質問をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
<ゲスト尾崎>
よろしくお願いします。なんだか照れますね。
<インタビュアー尾崎>
早速、インタビューに入りますね。
そもそも、なぜ今回個展を開こうとおもったのですか?
芸大生にも、芸大の先生にもなれない。だから、芸術家になろうと思いま