【ザ・バロック】クラシック黎明期-ヴィヴァルディのコンチェルトとヘンデルのアリア
モーツァルトやベートーヴェンといった古典派の音楽がいわゆるクラシックの殿堂だとすれば、そこへ至る17世紀バロックの音楽はクラシックの黎明と言えるだろう。
バロックとは、何か。
それは、ヴィヴァルディのコンチェルトと、ヘンデルのオペラアリア。
彼らなしにバロックはありえない。
器楽の確立とヴィヴァルディのコンチェルト
なんと清々しく、エネルギッシュな音楽だろうか。
かつて、中世ルネサンスの時代、楽器の音楽(器楽)とは単に「歌の伴奏」もしくは「歌の代用」でしかなかった。
ながらく、西洋社会における音楽とは歌声であり、主役はあくまで歌であって、楽器は脇役あるいは代役に過ぎなかった。
しかし、大航海時代ないし宗教改革の時代から絶対王政の時代(おおむね16~17世紀)にかけて、状況が徐々に変わってくる。
人々は歌声だけではなく、楽器にもフォーカスするようになる。
少しずつではあるが、楽器のための作品が増えていくのである。
そして、バロック時代に入り、イタリアのアマーティ(1596~1684)やストラディヴァリ(1644~1737)といった歴史上名だたるヴァイオリン製作家が続々と現れる。
音量はより大きく、音色はより輝かしく。
楽器は歌声とは異なる、独立したサウンドを奏でられるようになった。むしろ楽器は、人の声では表現しえない、リズミカルな爆速サウンドを得意とする。速弾きはバロック以後にしか存在しない。
ついに楽器は、爆音速弾きに耐えられるポテンシャルを付与されたのだ。
こうして器楽は声楽に負けない、独自のジャンルとして確立した。
音楽の新時代を告げるヴェネツィア発のコンチェルトは、アルプスを越え、瞬く間にヨーロッパ各地へと広まっていく。
ヴィヴァルディのソロ・コンチェルト様式はこれ以後、古典派の協奏曲の原型となり、18~19世紀にかけてクラシックの一大ジャンルへと成熟していくことになる。
感情の解放とヘンデルのオペラアリア
歌は、どうか。
17世紀、メディチ家という巨大スポンサーのもと、フィレンツェで生まれた最先端の音楽劇、オペラ。
ルネサンスの精神をもっとモダンに、情感豊かに、もっと人間らしく。
キリスト教以前への人文主義的な憧憬(ルネサンス)は、古代ギリシャのリバイバルを超え、バロックにおいてむしろ先鋭化する。
イタリア仕込みのヘンデルのアリアには、そのエッセンスが凝縮されている。
三百年前に書かれた音楽とは思えないほど、ドラマティックで、ロマンティックな歌。こころの綾をかくも巧みにあらわす妙技。
もはや感情は、抑圧される必要はない。
感情を正しく惹起すること、これこそデカルト(1596~1650)に代表される近代思想が発見した革命的なアイデアだった。
カトリック的な権威や生が、史上はじめて(公に)相対化された時代、すなわちルネサンス宗教改革を経て、人々は個人の生に、ありのままの感情に気づいた。
驚き、悲しみ、喜び、不安、憧れ、怒り、安堵。
バロック時代、音楽は感情表現にますます特化していく。
ヘンデルが磨き上げたロマンティックなサウンドは、古典派の人々にそのまま引き継がれ、近代和声法(長調短調システム)として確立定式化されていく。
のちに、ロマン派の人々が長きにわたり(あるいは現代においてなお)その理論を縦横無尽に駆使することになるのは言うまでもない。
(補足)古典派ロマン派からみたバロック
いわゆるクラシック音楽とのつながりに着目(固執)してバロック時代を俯瞰すると、以上のとおり、ヴィヴァルディとヘンデルに集約される。
が、実際にはバロック時代の音楽は宮廷ごと、都市ごとに全く異なっていたので、これについては念のため附記しておきたい。