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人生くらべ



中学生の頃、仲の良かった友人が勧めてくれた本があった。

詩人の銀色夏生の本だった。
その頃は、あまり詩の意味等を求めずに眺めては、銀色夏生を読む自分に酔いしれていた。

そんな中で、つれづれノートという作品に出会った。

これは、彼女が日記のような形式で日々を綴っているものだ。
◯月◯日 晴れ という風に本当に日記の様な文章が続いている。

私はこの作品をよく読むようになった。
人の日記を見ている様な妙な感覚があった。

気軽に読めるのもあり、何度も何度も読み返した。その内に銀色さんの日々と自分の生活を照らし合わせる様になった。

凄く悲しい事があった日、彼女はどんな1日を過ごしていたんだろう。

同じ日にちを探して読んでみる。

私は今日、あまり良い日ではなかったけれど、彼女は家で何事もなく過ごして1日終わったんだな。

今日は何だか私は好調な日だったけど、彼女はどんよりしていた日だったのか。

こんな風に同じ日にちを探しては自分と照らし合わせていた。

だからどうしたという事はないのだけれど、自分ではない誰かの日々を通して、喜びや悲しみを共有していた様に思う。

日記はその人の人生年表だ。
私は彼女と全く違う人生を送っていて、何の接点もない。
だけど、比較する事で明日へと思いを馳せる希望が持てた。

悲しみに暮れている時、自分だけが、どうしようもなく暗い場所にいる様に思えるけれど、今の自分と同じように悲しい日も嬉しい日も、誰にだって訪れているのだと実感できた。

この本を読んではルーティンの様に日付を辿り、ここではない何処かにいる誰かの今日を探した。

10代の頃に出会い、大人になるにつれ、その本からいつしか遠ざかってしまっていた。

すっかり忘れかけていた頃に、本屋でたまたま目に入った懐かしい表紙。

実に数十年の時間が経っていた。
シリーズはまだ終わってはいなかった。今もずっと続いていたのだ。

あぁ、彼女の人生って続いてるんだな。
そりゃ、そうか。私だって今生きてるんだし。

そんな事を思いながら本を手に取ってページをめくる。
彼女の生活をまた垣間見る。私の知らなかった時間が何冊もの本になっている。

私の人生もまた進んでいるのだ。

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