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【人生ノート 237】大人の知恵で、子供の無邪気さにかえりたいというのが自分の念願なのだ。

皆させられている


おなじ霊統の人同士が一緒におるほど、この世に幸福なことはない。それは絶えず相互に霊を充たし合うことができるからである。

この霊統を整理し、それぞれにキチンと目鼻をつけるのが、今度の大神業なのでだ。

この頃は神懸りもなく、小さい肉体心で、しかし、わりと落ち着いて子供のように暮らしている。実際、あどけない子供ほど気持ちのよいものはない。大人の知恵で、子供の無邪気さにかえりたいというのが自分の念願なのだ。

しているのではない、みな、させられているのだ、ということがはっきり分からねば、神のことは分からぬ。霊界ではみなチャント定まっていることなのだ。それが現界に出てくるまでだ。

肉体でしているように思うことが、第一の間違いだ。それは決して抽象的に論断するのではなく、わたし自身が今まで一々の事件につき、ふかく省察してきた体験上の結果なのだ。

外見上は、自分で一生懸命あがき苦しんで通過してきたような経路も、実は、神界からつぎつぎに与えられていたまでなのだ。

だから、人は過去をいつ迄もクヨクヨと思うことと、それから未来をいろいろと案じることとは、実際、この上もない無駄なことだ。現在のベストをさえ尽くしていたら、それでよいのだ。どうなるのも、みな、神からのことだ。いくら人間がジタバタあせったところで、よくならない時には、断じて良くなるものではない。いわゆる、運の向いた時には、何をしても、うまくゆくようになっているのだ。
『信仰覚書』第三巻 出口日出麿著

【これまでの振り返り】



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