【人生ノート 177ページ】 ほんとうのものを作り出すには、ほんとうの苦しみをしなければいけない。
鍛錬ということ
ほんとうのものを作り上げようとするには、それだけ苦しまねばならぬ、それだけ鍛錬されねばならぬ。今の考え方は楽に大きな所得を得たいという安易な考えが非常に流行しております。ほんとうのものを作り出すには、ほんとうの苦しみをしなければいけない。今のように、親の臑をかじって遊び半分でものを教えられ、習っているようなことでは、魂にしみ込んだ荷物も得られない。人間を浅薄な浅いものにしてしまう。実地にぶっつからねばものが身につかない。
今は知ることだけに一生懸命、頭だけ豊富にしているが腹ができぬ。物でも事でも人でも、鍛錬されたものでなければ本当にものにならぬ。鍛錬の途中においてはバカげたこと、損をしたことように思うこともある。しかし苦労せず、うなぎ登りに楽に登ったようなものはダメである。また登り得ようはずはない。感恩を情とすれば鍛錬は意である。今はこの二つとも非常になおざりになっている。
情の教育、これがだんだん冷たく薄くなっている。これは一つは鍛錬ということをやらさぬからであります。水は自然に湧くもの、お日さまは勝手に照るもの、親は勝手に自分を生んでくれたもの、米も麦も自然に生(な)ったもの、そういうふうに、何でもありがた味というものを持たない、恩に感じない。苦しんだ覚えがないから、物をつくった覚えがないから、これではいけない。そういう者にかぎって不平をいい、少し不平が通らず自分が困ると、すぐに死にたいとかやけくそになる。こういうような人間を何ぼつくったところでダメである。
『信仰叢話』一、鍛錬 出口日出麿著
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