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【人生ノート 242ページ】他人のために苦労することは喜びである

物には使命がある

物にはすべて使命というて、これは何すべきものか、どういう用に立つものか、ということがきまっているものであります。ものができている以上は、かならず何かの役に立たねばいかん。お三方があれば、お三方というものは、神さまに物を供えるとき供え物をのせるものであり、菜っ葉があれば、動物が食べるべきもの、水は飲むべきもの、人の生命の養いになるもの、家は人の住むべきもの、旗というものは何か目じるしに立てるもの、目は物を見るべきもの、鼻は嗅ぐもの、手は物を取ったりするもの、足は歩くもの。チャンと物があれば、かならず何をなすべきものということが、宿命的にほぼ決まっているのであります。

そうであるならば、ここに一つに国があっても、その国は世界でどういう役割をする国であるかということが決まっておらねばならぬ。日本の国が今日の隆盛をなしたこと、またいま世界的に非常に難局に立っていること、それはただ偶然に訳なしになったのでなしに、そこに意味がある。単に日本は日本のための日本でなしに、世界的な日本である。何か他のもののためにも、大きな仕事をせねばならぬ国民であり、国柄であるのであります。このことが、も少しハッキリと国民に辞関されていないと、日本に生まれた有難味もわからず、元気も出ないのであります。

他人のために苦労することは喜びである

すべて何かのために存在し、何かのために用立つ、これが惟神の天地万物の一列的使命であります。個人でも、ただ私は私のための私だと考えていると大間違い、相当に重荷を負わされており、他人のために何かをなさねばならんことを持っている。その地位、その人相応にかならず持っている。自分だけのためばかりを計るといいうことは、明らかに初めから間違っているのであります。それは草木や虫けらにも劣っている。ところが、人間は利己的なもので、他人のために心を労したりすることは損だというので逃げまわっているのが多い。それでは虫けらよりも劣っている。

虫けらでもーー知らずにでもーー何か天地に寄与しているのでありますから、人間は、も少し自覚して、真の苦労をしてはじめて花が咲き実が実るものであるということを知って、苦労を喜びとせねばならない。他人のために苦労することは喜びである、という考え方に徹底せないと、世の中はよくならない。有難いという心がおこらないのは、それは自分だけの世の中と思ったり、自分だけの幸福のために一切があるように思ったりしているからであります。世の中は、世の中のためにできている。自分は、その世の中の小さい小さい一部分である。世の中に尽くすことによって、だんだん引き上げてもらうのである。信仰したからといって、人一倍楽にお金がもうかるようにとか、はやく自分だけが良くなるように、などとそんなことばかりを考えていては信仰ではない。信仰すれば信仰するほど、世の中のため、人のために尽くそうという気になって、はじめて意義あり、心慮にかなった生活が送れるのであります。

『信仰叢話』 物には使命がある 出口日出麿著



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