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【人生ノートMagazine】一心が神に通じぬ筈は奈い

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人生ノートの中から信仰とはなんなのか、神さまの世界について触れている部分をまとめてみました。
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#考え方

【人生ノート311】慢心と野心とは、つねに省みて、こっから先も持たぬようにせねばならぬ。

慢心と野心 真に健全なる心身でなくては、真の神人合一の境にはなり難い。 ちょっとの混りものがあっても、それが非常にこたえて心身を悩めるものである。 各人はよく常に省みて、自己がまだ不健全である時には、いよいよ万事にひかえ目に、自分はまで人間として不完全なものであるということを悟って、陰徳をつむべきである。 しかし今の世では、心身ともに真に完全無欠だという人は甚だまれである。特に善きみたまの人ほど、一時、外見が見ぐるしい場合が往々ある。 各人が副守護人の支配を脱して、

【人生ノート291】 自分のごとく他人をあらしめんと思うのは間違っている。

なぜ平和が来ないのかいろんな深遠な道理もすでに説きつくされており、いかに生くべきかという問題も論じつくされており、自分はどうしたら第一いいかということも、たいていの人なら知りつくしているのである。 しかも、それと矛盾した生活を送っているのはなぜだろうか。 人々に、真の神をみとめる信仰がなく、真へすすむ勇気がないからである。 あまりに、現界的執着と肉体的我執にみたされているからである。 瞬間に堕して、永遠に目ざめぬからである。 一小局部のみにかかわって、大局を達観する

【人生ノート288】みんながお互いに、いやだいやだと思いながら暮らしているのだもの、この世の中が幸福になろうはずがない。

なぜ平和が来ないのか いろんな深遠な道理もすでに説きつくされており、いかに生くべきかという問題も論じつくされており、自分はどうしたら第一いいかということも、たいていの人なら知りつくしているのである。 しかも、それと矛盾した生活を送っているのはなぜだろうか。 人々に、真の神をみとめる信仰がなく、真へすすむ勇気がないからである。 あまりに、現界的執着と肉体的我執にみたされているからである。 瞬間に堕して、永遠に目ざめぬからである。 一小局部のみにかかわって、大局を達観

【人生ノート277】なお殺し なお奪わんとするか ああ一尺を譲れよ人のために一椀を減ぜよ人のために

めなしかたまノアの方舟 過ぎされば夢のごとけれど 当時は真剣の悩みなりき 昔のわれのごとくに今ある人々を 顧みぬ心をわれは持たず 願わくはわが泣きしごとく 来ん世の人は泣くなかれ ○ 何千年何万年 おそれあい殺しあい うばいあい恨みあい 血の河はりの山 越え越えて今に悟らず 人のこころ なお殺しなお奪わんとするか ああ一尺を譲れよ人のために 一椀を減ぜよ人のために 行く路にゆとりあらんを 取るパンにあまりあらんを いま見、前に聞くこの苦し

【人生ノート 266ページ】祈れば光が射してくる 

つらくとも辛抱 祈れば光が射してくる 今まで見えなかった道が見え出してくる その道をお進みなさい 進むのはあなたの足で また行き詰ったらまたお祈りなさい 祈れば光が射してくる 苦しいのはつみがあるのだ 痛いのはけがれがあるからだ 苦しくても暫くだ 痛くてもちょっとだ 永遠の栄えに入るんだから辛くても暫くだ 洗濯される間はちょっといやだ しみが除れたら軽く清くなる あとはらく嬉しく有難くなる しみをすてておいたら何時までも不潔でみじめだ 辛抱せね

【人生ノート 258ページ】理屈を好まぬおだやかな、ぼんやりとしたあたたかい心が神の心である。

変通自在、千変万化自分はえらいとか、これこれの力を有していろとか、あの人は博士だからとか、大臣だからとかいうような先入感は、人と接するに際して非常な禍をなすものである。 特に人は死ぬる時までが修養の期(とき)であるから、四十になっても五十になっても、「自分はもう年がよったから … 」というような考えをおこして、ずるけたり、しょげたりしてはならぬ。人はいつになっても「わしはまだ赤子だ」と思っておればよい。ひとの毀誉(きよ)を超越して、毎日少しずつでも修養して行くべきである。「

【人生ノート 249ページ】みなそれぞれに、無理なしになし得ることを面白くなしていったらよいのだ。

興味もてる仕事を要するに、真実に自己の内心に忠実であったらないのだ。 いかに気ばったところd,英雄ならざる人には英雄のまねはできるはずはないし、哲人ならざる人が、哲人をよそおうことも到底できるものではない。 他人は他人、自分は自分、みなそれぞれに、無理なしになし得ることを面白くなしていったらよいのだ。 無理をすると、どうしても苦悩がともなう。元来、神は人間をその手足として働かせるためには、みなそれぞれに、興味あることをさえして行けば、自然に、その職能が果たしてゆけるよう

【人生ノート 248ページ】とにかく理想に向かって突進すべきである。できる出来ぬは問題ではない、でかすべく努力することがよいのだ。

できる範囲で玉石混交のメチャクチャな世の中がいやになって、こんなことでは、とても一代や二代の間にはどうにもこうにもおさまりはつきそうにもない。自分ひとり、どれほど気張ってみたところで何になる。いっそのこと、どうなりこうなり自分の身だけが無事に食ってだけゆければそれでよい。まア、生まれ変わるまで待たなくては、とても良い目を見ることもできまい。この世の使命はとにかく、こうやって縮こまって、めぐりの借銭なしをしておればよいのだ。と幾度か思うけれども、また一方、 「いや、そうでない

【人生ノート 246ページ】 つねに腹の底から笑い得る人間ほど、神に近いのである。神の国は笑いに充たされている。

笑う人間ほど神に近い どうも、一番最初にフト思い浮かんだことが正確らしい。後から、いろいろと迷って、いろいろと理智の力をかりて訂正してみるが、かえってそのために間違っている場合が多い。 ○ ある一つの世界から他の異なる世界へ行く時には、人間はちょっと面倒と苦痛とを感じるものである。これは、境遇の変化にともなう必然的の手段と苦痛とであって、ぜひもないことである。 人が死ぬる際、少なからぬ煩悶と苦痛とが伴うのもこれがためである。日本に住んでいたものが急に英国へ旅行した場合

【人生ノート 243ページ】 至公至平に自分というものを見つめることを怠ってはなりませぬ。

信仰は体験で固まる「現界では、その魂の型をくりかえす」ということは、間違いのないことです。たとえば、前生において女で失敗った人は、今世でもまた、ある機械にきっと同様の問題が怒ってくるものです。しかし、ただこの場合、前にしくじったと同じ程度に、今度もまた必ずしくじらねばならぬかというに、決してそうではありません。この場合、その人の信仰と覚悟のいかんによって、前の型はホンの真似だけですんでしまうこともあり、ヘマをやってまごつくと、却って、まえの失敗よりヒドイことをやる場合もありま

理想を見つつ、現実を離れず

理想を見つつ現実を離れず、しかも現実を一歩ずつ向上させねばならぬ。 永遠を仰ぎつつ現在を離れず、しかも現在を一歩ずつ向上させねばならぬ。 無限法界を解するとともに今界を会得し、しかも一歩ずつ今界を向上さすことい努めねばならぬ。 ○ 無限に為し 無限に省み 無限に悟れよ 出口日出麿著『信仰覚書』第三巻、無限に悟れ これまでのお示し 

苦しい時には神を頼め

苦しい時には神を頼め、人が誠心誠意に祈願する時には、かならず神霊界へ通じるのである。 医師へ行くまえに、まず、うぶすなの神さまへ参れ。腕を組んで考え込むまえに、まず、暗祈黙祷せよ。やけくそを起こすまえに、まず、神言をあげよ。 神は見透しであり、神の慈悲は無限であり、神のみ力は無辺である。 つねに自力のみによって、すべてを解決せんともがくのは、ちょうど、赤児が四斗俵をかたげんとし、蟻が汽車を曳かんとしてあせっているようなものである。自分の思慮と力とにおよばぬことは、どうし

公平に自他を観る

 自分を知るためには他人を知らざるべからず。周囲の人々と自分とを仔細に比較省察してみて、はじめて自分というものがクッキリと浮き出してくるなり。自分自身に自分がはっきりと分かってくれば、めったに、めくら滅法なふるまいはなきなり。適宜な道が進めるなり。進退、そのよろしきを得るなり。でしゃ張りもしなければ、怖じ気もせぬなり。 自分を知るということは、他人を知ることなり。他人を知ることは自分を知ることなり。 ○ どう考えても、お互いに容(ゆる)し合うということよりほかに、この世

反省と忍耐

導かれる方の人は、決してあせってはいけない。一日一日、一歩一歩と悟ってゆき、進んで行くようにせねばならぬ。これらの人々にとっては、反省と忍耐とが何よりである。この二つを忘れぬように、そして導かれるままに、一心不乱にすすんで行きさえしたらよい。 反省することは、真に“知る”唯一の手段である。内に省み外に省み、ここに始めて自己を知り他を知り、やがて神を知ることができるのである。反省のないところに改悟はなく、自らの改悟のないところには新生はない。 永久に同一世界にうごめいている