マガジンのカバー画像

【人生ノートMagazine】一心が神に通じぬ筈は奈い

47
人生ノートの中から信仰とはなんなのか、神さまの世界について触れている部分をまとめてみました。
運営しているクリエイター

#悟り

気持ちが主

思念そのままが世界である。浮世は一切思念の交響楽であり、一切思念が彩る絵画であり、一切思念が織りなす綾模様であり、 一切思念が建てあげる殿堂である。 これは、同一人の面貌でも、その内心の情動によって千変万化するの理を考えても分かる。 とにかく、遮二無二、一心不乱、念々慮々を清くし強くし美しくすることに努めることが何よりも肝心だ。一瞬一秒のゆるみなく、自分で自分を凝視づつけておらねば、ちょっとの油断があると虫が巣ぐいがちだ。 ○ 気持のわるい時は、私はいつも神前に出て

歴史が繰り返すわけ

最初の型を繰り返す傾向は一切のものにある。たとえば、鳥獣は一度通った道を、以後はからなず通過する傾向があり、人間一生の霊肉発達の経路もまた、その先祖(あるいは守護神)の型にならうものである。草木虫魚みな然りで、この意味からいって、この世の一切は繰り返しているのである。実に歴史は繰り返すのである。 しかし、かならずしも前の型どおりそのままに踏襲するのではない。分かり簡略な図形でいえば、 螺旋状により、大きくも、また、より小さくもなるのである。すなわち、急激には決して変形して

遮二無二為せ

無理からでも為せ遮二無二進めなんでもかんでも音を立てよ 思い思い言いに言いなしに為せよ 消極は地獄であり 積極は極楽である 瞬時も休むことなく宇宙はまわる 何事でもよい思い立ったことを 全力をあげて全心をかたむけて 全身の全細胞にねじ鉢巻をさせて 全身の全血管に涙立たせて 見かけはどんな卑しいことでもよい 見かけは遊戯のように見えることでもよい 面白く愉快に興味にみちて 為しさえすれば真の生活だ 理屈はどうでもよい 他人はどう解しようがままだ し

肉体は一つでも、主人公はいろいろと変わる

見よう聞こうとあせらなくても、その位置にさえ進めば、自然に聞こえてくるのだ。世の人々は、適当な位置にわが身を進めるという先決問題を忘れて、いたずらに、見んとし聞かんとしてあせっているのである。 しからば、その位置に身を進めるということは、どういうことであるかというに、一口にいえば、真に自己をいつわらぬ生活をなすべく努力し、精進したらよいのである。 ○ 何ごともお蔭であると、善意に有難くすべてを解して、その日その日、その時その時の最善をつくせよ。神にさえ任しておけば、悪い

天の声

人がきて、なにげなく話していくことのなかに、ふだん気づいていないことを教えられることがあります。それは、自分と関連のない話のようであっても、なにかの意味をもっていることがあります。 意味なく人がきて、意味なく話していくということは、ほんとうは、ありえないことではないかと私は思います。人がなにげなく話していることのなかに、天の声がさしはさまれているかもしれません。 めんどうでも、さっそく実行しなければならない場合もありましょう。かりに徒労におわっても、その徒労がありがたいこ

悟りなければ永久に闇

人の心の魯鈍にして傲慢なる、あきれはてたる次第なり。同一の愚をくり返してあかず、しくじれど悔むのみで悟らず、三つ子の癖を百まで持ち越している者のみ。これ、真に省みるということを知らない世の中ゆえなり。省みざれば悟りなし、悟りなければ永久に闇なり。 真にすなおに、わが非を非とし、わが過を過とすべし。この度量と内省力のなき人は、いかほど賢(さかし)げな顔をしていてもダメなり。 同一の肉体を有志し、同一の平面上に住するかぎり、われわれはあく迄も人間にして神にあらず。とくに、他に