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気持ちが主

思念そのままが世界である。浮世は一切思念の交響楽であり、一切思念が彩る絵画であり、一切思念が織りなす綾模様であり、

一切思念が建てあげる殿堂である。

これは、同一人の面貌でも、その内心の情動によって千変万化するの理を考えても分かる。

とにかく、遮二無二、一心不乱、念々慮々を清くし強くし美しくすることに努めることが何よりも肝心だ。一瞬一秒のゆるみなく、自分で自分を凝視づつけておらねば、ちょっとの油断があると虫が巣ぐいがちだ。

気持のわるい時は、私はいつも神前に出て鎮魂します。すると、間もなくスーッとして軽い気分になります。人を疑ったり、恨みがましい気持になったりする時は、かならず邪気に襲われている時です。よくよく自分で自分を見つめておらぬといけません。

気持の不快な時にしたこと、万事うまくゆきかねるのは当然であります。これに反して、気持のよい時にしたことは、楽々とできて、しかも、その結果がよいのです。すべて、気持が主であります。


お示しメモ

これまでのお示し



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