ハロウィンとコスプレ〜嗚呼、我が青春の黒歴史
こんにちは、OgAzです。
夏休みも終わり、世の中がハロウィン一色になりつつありますね。私はクリスチャンでも何でもないのですが、ハロウィンに必ず出てくるカボチャ「ジャックオーランタン」が可愛くて好きで、今みたいな定番の秋行事になる前からハロウィンの飾り付けをしていました。自作の絵本に登場させるくらいには好きですね。
さて、秋といえばハロウィン、秋といえば仮装みたいな世の中ですが、何を隠そうこの私、大学を卒業してから数年、ガチのコスプレイヤーをやっていました。今のように世間がオタクに寛大でなかった時代、コスプレイヤーはアングラの存在としてコミケなどのイベントのみに生息しており、私もその一人だったというわけです。ハロウィンの時期になると毎年「もうそんな時期か〜」「私もやってたな〜」と懐かしく、そしてやや恥ずかしく思い出します。
ということで今回は、ハロウィンというかコスプレ時代のことを振り返りつつ、やや昔の写真など引っ張り出しつつ、私の黒歴史の一部をご紹介します。若い人にはぜひ、「みんな!若気の至りって怖いんだぜ!」と反面教師にしていただければと思います。
結婚式でコスプレ
奇抜な色や服が好きだった私、自分の結婚式で絶対に着ようと心に決めていたドレスがありました。それが、『ファイナルファンタジー10』のヒロイン・ユウナが着ていたミニスカドレスです。詳細は過去の記事で書きました。写真付きなので、興味のある方はぜひ。
このドレスは女子のレイヤー(=コスプレイヤー)さんに非常に人気の衣装でして、イベントに出かけると必ず1~2人は見かけたものです。「いいなあ!」と目を輝かせつつ、心の中で(私はこんなコスプレじゃなくて、本物のドレスを着るのよ!)と思っていました。そして、そのために一生懸命貯金をし、夢を実現させたというわけです。
結婚式は人生最大のコスプレである。
コスプレにハマったきっかけ
私がコスプレにハマったきっかけは、新卒で入った会社(超絶ブラックなITの中小企業)で仲良くなった親友がコスプレをやっていて、イベントに誘われたことでした。
今でこそ「ホワイトカラーが!」とかやたら叫ばれるようになり、若者たちは「は?残業?なにそれ美味しいの?」的な態度を取っていますが、当時のエンジニアは超絶ブラック。ブラックの王様です。終電は当たり前だし、土日出勤も当たり前。たまに夜10時に退社したら「こんなに早い時間に帰っていいの!?」と不安になるような職場です。男も女も関係なく疲弊しており、体を壊して辞めていく人が続々、心を壊す人はもっとたくさんという、何ともデッドオアアライブ状態。IT業はサバイバルだったのです。
私も例にもれず残業で疲弊していた上に、女性上司にネチネチと服装などをチェックされ、「化粧は薄く」「服装は控えめに!」と注意されまくる日々でした。まあ、確かに派手だったのは認めるけどさ。
体はしんどいしストレスはマックス。極限状態を打破するべく、親友に誘われたイベントにコスプレ参加したのでした。ちなみにイベントは、乙女ゲーム『遥かなる時空(とき)の中で』(通称『はるとき』)2のオンリーイベントでした。懐かしい。
友達に衣装を借りた役は「シリン」という鬼でした。今見たら、「妖艶な美女」(笑)という設定だったらしく、なんかごめんなさい。乙女ゲームは興味なかったので全然知らなかった・・・。
イベントに参加して、写真を撮って撮られてキャッキャウフフしている間に、ある種のゾーン状態に入った私でした。その後ズブズブとコスプレ沼にハマっていき、衣装を自分で手作りしたり、ヤフオクで買ったりして、2年ほどコスプレイヤーを楽しみました。休日出勤があっても、イベントのある日だけはなんとか死守。神戸がメイン、たまに明石、大阪、京都に行っていました。あの激務のなかでも何とか乗り切れたのは、ひとえにコスプレのおかげ。ストレスの逃げ場になっていたんですね。
私がコスプレをやっていた当時(2002年~3年くらい)、当然ながらSNSなんてものはなく、ガラケーだし、デジカメが流通し始め、「インターネット」「Eメール」という言葉がようやく一般的になり始めたころでした。みんな個人で自作のホームページを持っていて(自分でHTMLを勉強して作ったり、またはホームページビルダーを買って作っていた)、今考えてみると「何を世界に発信することがあるのか」みたいな内容のものを書いていました。コスプレイヤーもみんなホームページを持っていて、自分の写真を中心にイベントの写真を掲載するのが一般的でした。そう、何を隠そう、私も持っていました。今より個人情報の扱いがずっと緩い時代だったので、写真も普通にアップしていましたね。これぞデジタルタトゥー。ああこわい。
コスプレ沼の果て
親友とコスプレを楽しんでいくなか、だんだん違う欲求が出てきました。それは「イベントの外でもコスプレを楽しみたい!」ということ。当時はまだ「オタク」と呼ばれる人たちに市民権はなく、イベントの外から一般人の冷ややかな目が注がれていたものです。でも別にそんな目で見られるような悪いことをしているわけじゃないんだし、ドン引きされてもいいから、コスプレして公道を歩けないものか!?親友とあれこれ話し合った結果、出した結論は。ゴスロリでした。
イベント会場でも時折見かけたんですよ、ゴスロリファッション。女子の永遠の憧れですね、あれは。一方の私はといえば、白やピンクを着ると親友に「なんかエロい。売れないアイドルかAV女優みたい」と言われたわけで(言い方ヒドくない?)、まあ黒ならアリかなと。黒いゾロっと長い服とか唇青いのならイケんじゃね?ということになりました。
結局、コスプレイヤーは卒業して、ゴスロリ服で大阪のアメ横を練り歩く日々を一年ほど過ごしました。あれは楽しかった。私の変身欲求をすべて満たしてくれたと言っても過言ではありません。黒いゴスロリ服、ゴシックなパンク服からメイド服まで、いろいろ着られて本当に幸せでした。お金はかかったけどね・・・。アメ横で客引きしているお兄さんに声をかけられ、仲良くなったりしたのも今ではいい思い出です。若いってすげえな。
ゴスロリの日々は楽しかったのですが、昔ほど仕事に対するストレスが無くなってきたのと(慣れてきて)、お互い彼氏が出来て週末の予定が合わなくなったりして、何だかんだしているうちにやらなくなっていきました。あんなに楽しかったのに、終わりはあっという間に来るものなのです。
持っていたゴスロリ服は今はもう全部売ってしまったのですが、実は夫との結婚当初、私は小さな野望を持っていました。「女の子が生まれたら、あのゴスロリ服を着てもらうんだ!」というもの。しかし結果はどうですか、男ですよ。二人とも男だったのです。性別が判明したときの私、がっくりと肩を落としたものです。夢は儚く砕け散った・・・。夫いわく「神様が『それはやめとけ』って言ってるんだよ」だそうです。神様のイケズ。
私のコスプレアルバム
ここまで書いておいて写真を載せないのもどうかと思ったので、昔の写真を引っ張り出してきました。ちょっと見るに堪えなかったので顔はモザイクをかけましたが、アレです、衣装を見てください衣装を。無駄に頑張っていた若かりし姿を、どうぞご笑納ください。
◆『遥かなる時空の中で2』
◆『ファイナルファンタジー10』
※参考:ルール―とユウナ
◆『ファイナルファンタジー10-2』
※参考:ユウナとレン
◆『ファイナルファンタジー7』
◆その他
他にもまだまだ種類はあるのですが、なんというかこう、我ながら見るに堪えなかったので、ここらへんまでで。自作が多いですが、ミシンを持っていなかったので全部手縫いで作っていました、すごいだろう!仕事のストレスは常識を超えるのです。一体私は大切な青春時代を何に費やしていたのか・・・まあ楽しかったからいいのですが。
◆おまけのゴスロリ
結び
人に歴史あり、ということで。黒歴史を晒すことで次に生かす・・・ことは別にないですが、まあネタの1つという感じで今回投稿してみました。こうやって残してみると、出来はともかく「頑張っていたな私」と改めて思うわけで、振り返りって大切だなと感じました。若かったよね。若気の至りって、年を取ってから見ると顔から火が出るものだということを知りました。
パンデミックでやや落ち着きを見せていますが、近年のハロウィンの様子を見ていると、もとレイヤーとしては複雑な気持ちになります。人には誰しも変身願望があり、それをハロウィンという形で実現しようという風潮は「さもありなん」と思います。その楽しさは誰よりわかっているつもり。でも、バカ騒ぎをして人様に迷惑をかけるようではよくないですよね。ルールを守って、節度を守って楽しむことが大事ですし、せっかくだからみんなでハロウィンのコスプレを楽しんでほしいなあと思います。
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