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東京探索記 31 大田区田園調布
真夏の暑い盛りに田園調布へ。
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この日は東京でも最高気温が38度と、体温越えの暑さとか。そんななかを歩くのは無謀とも思えるが、以前からの計画でもあり、この街の特性を知った上で準備して計画通りに街歩きを決行。
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この街の特性とは?
田園調布は言わずと知れた日本を代表する高級住宅地で、渋沢栄一も関係した会社が東京市郊外に計画的に住宅を開発・提供したことに端を発していて、現在ではさまざまなディベロッパーの開発により、大田区田園調布x丁目、世田谷区玉川田園調布x丁目、世田谷区尾山台x丁目に広がる高級住宅地を広く田園調布と呼んでいる(とわたしは思っていますが、もしかすると地元民の感覚は違うかも)。
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そしてこの田園調布は実際に足を運んでみるとわかるのだが、最初からモータリゼーションを意識して作られた街のようで道幅広く、住む場所専用の街としてつくられたので戸建て住宅ばかりあって、スーパーマーケットや商店街もなければ、コンビニもない、自動販売機もない。
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これが街歩きする者にはつらいところで、水分・糖分補給やトイレ休憩をまかなえるコンビニがないということは、マラソンでの補給所がないようなもの。自動販売機がないということは箱根駅伝でたすきをかけた走者に部員が走って水を届ける補給がないようなもの。さらにいえば2階建て住宅ばかりなので日陰もない!ということで街歩きにはかなり向かない場所がこの田園調布。
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前置きが長くなったが、歩く対象の街のこのような特性を理解した上で、冷えたペットボトルを駅前で購入、帽子、サングラス(カッコつけているわけではなく、紫外線での目の日焼けはマジやばい)、日焼け止めは顔、腕、手の甲、首回りにもたっぷり塗り込んでいざスタート。
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そんなにしてまでなぜ行くのかといえば、そこにスリバチがあるから…
具体的に書くと、大きな谷頭と谷戸があり、そこを上り下りする坂や階段がある。下へ降りていくと丸子川という川があり、ところどころで川へ合流する小川が見られる。これが素晴らしい、だから何度も訪れたくなる。
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田園調布に大きな谷頭、谷戸があると書いたが、その最も大きいのが籠谷戸(かごやと)と呼ばれる谷戸。かつて奥沢城(今の九品仏浄真寺)への物資の荷揚げ場の川湊があったとされるところ。
いまでは住宅がびっしりと建っているが、それでも大きな谷が残されているのが一目でわかる。
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ここと途中で合流している谷戸が田園調布雙葉のある谷戸。こちらも急激に削れた谷となっている。
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これらの谷戸を下りて行った先では、住宅と住宅のあいだに透き通った水の流れる水路がみられる。上流の崖上に降り注いだ雨が地面に浸み込み、流れ出てきたのだろう。
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低地の丸子川に沿って歩くと八幡神社に出る。境内に入る手前を丸子川が横切っているので、神社という聖と手前の俗を分け隔てているように感じられ、こころなしか橋を渡るときに背筋が伸びる。
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神社の手前で丸子川に並走するかのように六郷用水が流れてきている。ここでは開渠となって顔を出しているが、いまはほとんど暗渠化されてみることはできない。水も流れていないようだし。
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八幡神社の裏の丘をのぼる。
坂の名前はずばり「急坂」…坂下に八幡神社があるのだから「八幡坂」とか候補になかったのかと思うけど…
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となりは馬坂(うまざか)。田園調布の住宅開発が始まってから開削されたと考えられる急坂に対して、こちらの馬坂は名前と坂道の自然な曲がり具合から江戸時代からの旧道ではないだろうか。
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その馬坂から急坂へとつながっている坂道が22%の傾斜でヤバいくらいに急で萌える(*^^)v
傾斜はもっとあるように感じるけど…
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続いては、穴八幡の下の谷へ。穴八幡がどこにあるのか探せなかったのだが、ここも大きな谷戸だ。ちなみに早稲田の穴八幡ではありません。。。
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谷戸の向こう側へ行くには台地の縁に沿って歩くか、谷を渡る道がある。のでここを下りて上るか。
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宝来公園の見えるV字谷の形。車道となっている低いところは川跡だった。
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ここからは多摩川台の古墳群を歩いて台地の先端へ。途中に古墳展示室があったので涼みがてら立ち寄る。すると大田区の古墳一覧地図あり。あるある!すごい数の古墳。かつて武蔵国は古墳大国でもあった。
涼んだあとは円墳群の横を通って台地の先端の多摩川浅間神社へ。ここも古墳の上に建てられた神社だとか。
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見晴台から川崎方面を眺める。東横線、武蔵小杉のタワマンの群れが西陽に照らされていた。
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相互乗り入れの相鉄線の濃紺ボディの車両が橋を渡っていた