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アナウンサーたちの戰素麺坦々

頂いた素麺がまだまだ残っているが、そろそろ冷たい麺の季節も終わる。
ということで温かく料理しながら、観た映画と情報やメディア等について妄想した記録。


材料

素麺     2把
出汁つゆ   100㎖(二倍濃縮)
豆乳     300㎖
トウモロコシ 1本
豆板醤    小匙1
胡麻油    適量
粒状大豆肉  大匙2

映画というよりもドラマっぽい作り方をしているなあと感じながら観賞した映画。

それもその筈。元々はNHKがドラマとして製作した作品を劇場版にしたという。
聲を電波に乗せて世界中に飛ばすラジオ。その草創期に活動したアナウンサー達の苦悩や戰争との関わりを描いた映画。

女性アナウンサーの草分けとして日本放送協会に入局した大島実枝子(橋本愛)は伝説のアナウンサーとも呼ばれる和田信賢(森田剛)と出会う。
新人研修の講師として和田が一同に告げたのは
「虫眼鏡で調べて望遠鏡で喋る」
それだけ。
二日酔いで現れて、意味を問われても自分で考えろとしか言わない。
実枝子は呆れかえっていたのですが、和田が喋った靖国神社で行われた招魂祭の実況に一同は感じ入る。
英霊が乗り移ったかのような語り口。


素麺を好みの硬さに茹でる。

和田は元々、スポーツの実況を得意としていて双葉山が敗れた取り組みの実況は語り草。政府が返上しなければ、東京オリンピックの実況を担当する筈だった人物。
時代は昭和初期、軍靴の響きは一層に高まっていき、アナウンサー達にも國威発揚や戰意向上への協力が求められる。つまり國家のプロパガンダの一翼を担わされたということ。
そして昭和十六年(1941)和田は大本営からの対米開戰の第一報を受け取り、新進気鋭のアナウンサー、舘野守男(高良健吾)が力強く読み上げた。
日本軍が東南アジアに占領地を廣げていくと、現地にラジオ局が開設され、アナウンサーや技術者も海を渡る。
現地邦人向けの放送や現地の日本化に向けた放送、更には米英軍を攪乱させるための放送。つまり偽情報を電波に乗せた。
真実を傳えたいという志を抱いていた筈のアナウンサー達が、嘘を電波で拡散。


豆乳、出汁つゆ、豆板醤、粒状大豆肉を煮る。

日本に残った和田達も大本営発表という華々しい戰果を読み上げるものの、大本営発表ばかりか自らの行いにも疑問を感じていく。
妻となった実枝子に励まされて、マイクに向かう日々。
それまで徴兵を免れていた学生を戦地へ送る学徒動員。壮行会の実況を任された和田は早稲田大學の野球部員達に會い、話を聞く。
和田が言った
『虫眼鏡で調べて、望遠鏡で喋る』というのはこういうこと。
「國のために出陣することは幸せ」と語っていた學生達も、
「君達の本当の聲が聞きたい」という和田の問いについに本音を語り出す。
親に育ててもらった恩返しもしていない。やりたいことやなりたいものもあるのに戰争に駆り出される。
怖さや悲しさ。
そんな生の聲を踏まえて用意した原稿を、果たして和田は壮行会で読み上げることが出来るのか。


胡麻油を混ぜる。

多くの國民にとって対米戰争はラジオから流れた臨時ニュースで始まり、ラジオから流れた玉音放送で終わった。
和田は奇しくも両方に関わることになった。
戦時下、電波戰士として情報戰の最前線に立たされたアナウンサー達の苦悩がよく描かれた映画でした。
予告編や宣材写真にも使われている雨に打たれながら叫んでいる和田の姿は神宮外苑で行われた学徒出陣の壮行会のシーン。
森田剛の演技は鬼気迫るものがありました。
放送局が戰争に協力し、嘘を放送していたという事実を日本放送協会の後身であるNHKが映像化したのはちょっと驚き。
しかし、昔はこんなことがありましたが、今のNHKは違いますよというプロパガンダかもしれない。
受け取る側がメディアの言うことを鵜呑みにせず、よく考えることが必要。


アナウンサーたちの戰素麺坦々

茹でた素麺を坦々スープに入れて、茹でたトウモロコシの粒を投入して完成。
お好みでもやしや葱を入れてもいいかもしれない。
程よいピリ辛感を豆乳のマイルドさが包み込む。
スープのベースが出汁つゆなので素麺にもよく合う。
本物の担々麺のような濃厚さはなく、割とあっさりな坦々スープ。
コーンの粒々がいいアクセント。
トウモロコシには食物繊維やカリウム、豆乳や大豆肉からタンパク質補給。
豆板醤の辛みで體も温まる。

劇中、実験段階にあったテレビも登場しています。
現代はラジオどころか更に強力なテレビという洗脳兵器が存在。
音声だけのラジオでさえ多くの人々が一喜一憂し、踊らされたのとは比べ物にならない。何しろ映像という武器。
戰時下という時代や風潮に踊らされた或いは強いられた面があるとはいえ、結果的に嘘を電波に乗せてしまったアナウンサー達。
「報道は真実ではなかった」というキャッチコピーが映画のチラシに載っていますが、これは今でも変わらない。それどころかもっと巧妙でひどくなっている。
日本の放送法は、放送の公平中立を謳ってはいますが、現実は違う。
都合の惡いことは報道しないし、事実を曲げていることもあり得る。
民放ならば、スポンサーに不都合なことは放送しないし、公共放送となっているNHKも政府や支配者層にとって都合が悪いことは放送出来ない。
放送や報道には、それを伝える側の主観やバイアスが必ずかかっている。情報の受け手がそれを鵜呑みにせずに、一旦は受け止めて自分の頭で考えることが必要。
この映画が伝えているのは決して昔話ではなく、現代にこそ通じる教訓。
私はそのように受け取りました。観た人がどんな風に受け止めたか、聞いてみたいものです。

映画のラスト、子供の何氣ない一言に和田と実枝子が凍り付くという場面。
情報の受け取り手がよく考えないと、悲劇がまた起こり得ると暗示しているようにも読み取れる。そんな妄想をしながら、アナウンサーたちの戰素麵坦々をご馳走様でした。

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