鮪のアラ木村重
魚から刺身や切り身を取った後の部位、頭や尻尾、血合い等はアラと呼ばれる。
あまり顧みられない部分ですが、料理次第で美味しく頂ける。
多大な犠牲を払いながらも信長から逃げ切った裏切者を妄想しながら、鮪のアラを料理した記録。
鮪のアラ 1パック
葱 1本
生姜 半欠け
醤油 25cc
味醂 15cc
酒 10cc
水 50cc
天文四年(1535)摂津(大阪府)に誕生した十二郎が後の荒木村重。
両親が十一面観音に祈願して、灯火から飛び出した火が腹に宿るという夢を見た母が産んだ子。十二郎という名前はここから來ているのか?
子供の頃は大食漢。父がそれを嗜めると、
「筋力がなくては話になりません」
と答えて碁盤に父を乗せて持ち上げたという。
腹が減っては力が出ないということか。
荒木家が使える池田家には勝正と知正という後継候補者。
正統な嫡男は知正ですが勝正の方が有能。
勝正に付いた村重は知正の家臣を謀殺。勝正を池田家当主に持ち上げる。池田勝正は織田信長に臣下の礼。
村重は決して忠臣ではなかった。
三好家から謀反の誘いがあると、今度は知正を押し立てて勝正を追放。
知正は三好家や将軍、足利義昭方だったが、村重は信長に乗り換えることを画策。
今度は知正を追放。池田家を完全に乗っ取った。
池田家中は下剋上により荒木家中になったことになる。村重にはそれだけの実力や魅力があったのか?
更に奇妙な話ですが、追放された知正は後に荒木九左衛門と改名して、村重に仕えている。完全に主従逆転。しかも自分を追放した家臣の家臣に?
やはり荒木村重とは器量が大きい人物だったのかもしれない。若しくは追放した主君に多少は後ろめたい気持ちがあったのか。
そうでなければ、知正も他家に仕官しただろうし、村重も知正が寝首を掻くかもしれないと警戒しそうなものです。
そして信長と対面。
信長にしてみれば、自分に臣従していた池田勝正を凌いで伸し上がった下剋上の申し子である村重にいい印象がある訳がない。
饅頭を刀の切っ先に突き刺して、村重の鼻先へ。
「これを食え」
村重は大口で饅頭を頂き、汚れた切っ先を自分の袖で拭いた。
これを氣に入った信長は村重の臣従と摂津國三十七万石の支配を認めた。
信長配下となった村重は足利義昭、石山本願寺との戰い等で活躍。
信長の信頼を勝ち取り、嫡男の村次は明智光秀の娘と婚姻。
中國地方で毛利家と戰している秀吉の援軍を命じられた村重は突如、有岡城に籠り、信長に反旗を翻す。
信長にとっても青天の霹靂ですぐには信じられない風だった。
村重謀反の理由は諸説あり、はっきりしない。
足利義昭や本願寺に通じた。毛利家に調略を受けた等。
昨年、公開された映画『首』では衆道のもつれのような描かれ方。↓
村重配下の中川清秀が本願寺に兵糧を横流ししたという話があります。
これで荒木家中が本願寺側に寝返ったと信長に見られてしまうことから謀反に踏み切った。というか、私は黒幕は中川清秀だったのではないかと疑っています。
当初、信長は村重に母親を人質に出し、安土へ釈明に来れば許すと伝えています。
それに反対したのが中川清秀。
「信長は裏切った者を決して許しません。行けば殺されます」
これで村重は籠城続行。光秀の娘も離縁して親元に返した。
清秀ですが、自分できっかけを作って主君を焚きつけておいて従兄弟の高山右近と共に織田方に降ってしまう。
村重の有岡籠城は一年以上に及んだ。それだけ難攻不落だったのか、荒木家中の結束が固かったのか。
その結束が崩れる時が來た。それも村重自身によって。
四、五人の側近と共に村重は密かに城を出る。家族も家臣も置き去りだが、大事にしていた茶壷だけは持って行った。
そのまま毛利家に匿われた。
怒り心頭の信長は村重の一族や家臣達を軒並み処刑。磔や斬首、農家に押し込めて焼き殺す等々。その数は六百人を超えた。
中川清秀はこれを待っていたのかもしれない。これで荒木一族や村重の家臣達を一掃。摂津の旗頭になろうとしていたのではないか。
村重が下剋上で成り上がったのを真似た。野心で成り上がった人物は野心を持った者に引きずり下ろされる。因果は巡る。
清秀という人物は野心や野望があったと妄想。
ところが本能寺の変で信長が消えた。
清秀にとっては当てが外れた。村重にとっては命拾い。
信長死後の覇権争い、山崎の合戰で清秀は秀吉に味方。
戰勝後、
「瀬兵衛(清秀の通称)、骨折り」
と秀吉は下馬せずに清秀に聲を掛けて通り過ぎた。
「秀吉の奴、もう天下人気取りでいやがる」
と清秀は舌打ち。
この逸話からも清秀が野心ある人物だったことが窺われる。
その後の村重は剃髪して、自虐を込めて道糞と名乗った。(料理しながら使うべき字ではありませんが)
親族や家臣達を犠牲にして生き残ってしまった村重は、秀吉に御伽衆として出仕。
茶道に造詣が深く、利休七哲つまり七人の高弟の一人だったことを買われた。
この時に、その名前ではあんまりだということから道薫と名乗るようになった。
血合いが多いのですが鮪は鮪。湯を掛けて生姜醤油と酒で煮込んだので臭みもなし。それどころか生姜の風味が血合いの部分によく合う。
煮くたれた葱のアリシンが食欲を倍増させる。
血合いの部分ということは鐡分豊富。タンパク質にDHAやEPAと鮪の栄養をしっかりと頂ける。
村重の一族はほぼ殺されたのですが、当時二歳の末っ子のみが乳母の機転で難を逃れた。その子は成長して浮世絵の元祖と呼ばれる絵師、岩佐又兵衛になった。
村重と又兵衛親子、一度だけ対面。しかし二人とも終始無言。
家族を見捨てて一人だけ生き延びた父、父に見捨てられてどうにか生き延びた子。どちらも複雑な感情があり、言葉にならなかったのだろうと妄想しながら鮪のアラ木村重をご馳走様でした。