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前島密マスの巻き蒸し

以前、妄想した前島密。

もう少し詳しく知りたくなり、前島密の小説を読んだ感想等を思いながらカマスを料理した記録。


材料

カマス       2尾
玉葱        1/8
モッツァレラチーズ 20g
白ワイン      大匙1
酢         小匙半分
塩         少々
胡椒        少々
米粉        適量
パセリ       少々


『ゆうびんの父』の著者は門井慶喜。
どかた家で購読している『SんK新聞』の朝晴れエッセーの選者として名前は知っていましたが、作品を読むのは初めて。
『銀河鉄道の父』というのが代表作。この作品も父の話かと思いきや、母と子の物語という面がある。
物語の始まりと終わりは母が重要な役割。


三枚おろしのカマスに塩胡椒を振る。

越後(新潟県)に生まれた上野房五郎。幼くして父を失い、母と共に生きてきた。
母は房五郎に親戚へ手紙を届けることを頼む。
房五郎こと後年の前島密が生涯の仕事となる郵便、つまり手紙を届けることが冒頭から出て来る。
この後も手紙や荷物の遣り取りと、母との絆が物語の要所に。
肝心な郵便創業の話は本当に物語終盤、残り頁も1/4程になってから。
それまでに語られるのは正直な所、房五郎の迷走人生。


米粉を振りかける。

学問で身を立てるべく醫者を志していたのですが、時代は幕末。房五郎も黑船ショックに遭遇。黑船を動かしてみたいと思ったのは坂本龍馬みたい?
操船術や英語等を學ぶのはいいのですが、房五郎はころころと師を変える。ある程度のことを學んだら、もう他の師を求める。五稜郭の設計者、武田斐三郎とか通詞の何礼之とか。
腰を落ち着けて、一つのことを究めようという風がない。悪く言えば堪え性なし。
居所も定まらず、越後を出てからも江戸、大坂、箱館、長崎、薩摩等を行ったり來たり。


巻いて楊枝で留める。

そうした旅(迷走)の中、幕末維新を彩った群像達とも関わっていく。
勝海舟、大久保利通、大隈重信。
新選組や岡田以蔵まで登場。しかし、これは明らかに読者サーヴィスだろうなという感じ。
西洋に學ぶべしという開明派の房五郎は尊攘派にとっては許し難い売国奴。
危ないメにも遭遇。そんな時に房五郎は相手を説得して逃れようとする。
命の危機に、そんなに口が回るものか?殺気立って頭に血が上っている相手が耳を傾けるか?
と疑問に思いますが、まあ、お話ですから。


蒸し器へ。

前島家の名跡を継いで幕府に仕えるようになってから、数々の献策。
実の所、私が詳しく知りたかったのは『漢字御廃止の儀』
公文書や布告などは平易な平仮名にして、多くの人が理解出来るようにすべしという献策。
この小説ではまったく触れられていませんでした。本筋とは関係ないので端折られたか。
より多くの人々が情報や知識を共有することが近代国家になる早道という考えから、庶民でも理解出來る仮名を使うべしと後に前島は『まいにちひらがなしんぶん』を刊行。しかし、これも小説には登場せず。


微塵切りの玉葱、白ワイン、酢、刻んだモッツァレラチーズを混ぜ合わせる。

前島が献策したのは幕府だけではなく、東京遷都を新政府にも献策。それが高官となった前島の教え子だった人物に届いていたことを知る場面は秀逸。
献策というのも又、手紙のような物。意志の伝達。
手紙や荷物の送達は江戸時代は民間事業。確実に届く保証はなし。小説でも房五郎が送った書物がどこかに消える。
人々の思いが籠った手紙や荷物を運ぶ事業を官営で行う。
新政府に招かれて大隈重信の下についた前島はそれこそが自分が行う仕事と思い至る。遠回りと迷走の果てにようやく『郵便の父』が誕生。


沸騰してから10分蒸した。

そこからはパイオニアの苦労。
何しろ郵便という言葉自体が前島が考えた物。存在しなかった制度を正にゼロから作った。
切手という言葉も江戸時代は換金可能な書状を示していたのが、ポステージスタンプの訳語として採用。今やほぼ郵便切手のみを示すようになった。
今でも田舎に行くと特定郵便局があり、代々、局長を勤めた家があるが、この制度も前島が考えた。
地方の庄屋とか豪農は知識欲があっても學ぶ場や人がいないということから旅人に酒食を供して、話を聞くために引き留める。全国を旅した前島はそうした経験から、地方の有力者に情報や書状が集まる郵便局長を依頼。
こうして全国に郵便を届けるネットワークを広げていった。


前島密マスの巻き蒸し

蒸し上がったカマスにチーズソースをかけて彩りにパセリを振って完成。
青魚であるカマスにはやはりDHAやEPAが豊富。チーズとダブルでタンパク質が頂ける。
白ワインと酢の酸味がよく合う。玉葱のアリシンが食を進ませる。

この物語を読んで感じたことは、かってこの國の人々が持っていた志というものをきちんと描いているということ。
房五郎こと前島密もこの國の危機を感じたからこそ、西洋の學問を修めようと志した。それは他の登場人物達も同様。
房五郎と敵対する尊攘派も國の危機を救いたいという志を抱いていた。救う方法が近代化か外人排斥かという違い。

令和の現代を生きる日本人は志を持っているのか?
現代でよく語られるのは志ではなく夢。
志とは自分の力や知恵で世界や他者に貢献したいということ。
夢とは自分がどうありたいかということ。欲と言い換えてもいい。
「金持ちになりたい」「異性にモテたい」「出世したい」
これらは夢若しくは欲。
「世界を良くしたい」「多くの人々を救いたい」「社会をよくしたい」
これらが志。
外へ自分の力を向ける志。
外から自分の内に何かを取り込もうとするのが夢(欲)

私ですか?
やはり昔は手前勝手な夢ばかり追っていました。
今は些少なりとも志を持っています。
少しでも多くの人々に日本の歴史に興味を持って欲しい。そうでなければ、この國は危ういと本氣で憂えています。
食ということの大事さについても同じ思い。それ故に二つを合わせた記事を発信しています。
志と同じく、今や死後になりつつある言葉に「もったいない」
様々な食材を無駄なく美味しく使い切る方法も提示したい。
料理のレシピだけではなく、日本國再生のレシピも考える。これが私の志。

話を『ゆうびんの父』に戻します。
誰もが情報や知識を共有し、たとえ遠方の人々とも心を通わせることが出来る仕組みを構築したい。それが人生迷走の果てに前島密が掴んだ志だった。
noteのプロフィールにも書いている通り、人生迷走しているおっさんが前島密の人生や志に共感しながら、前島密マスの巻き蒸しをご馳走様でした。

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