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カルボぞうす伊勢宗瑞

カルボ雑炊までは妻の命名。伊勢宗瑞は私のこじつけ。
ということで、残り物を美味しく頂く料理をしながら、關東の戦國時代の先駆けとなった人物を妄想した記録。


材料

残ったご飯 茶碗2杯分位
昆布    10センチ位
豆乳    500から600㎖
厚揚げ   1丁
青海苔   適量
粉チーズ  好きなだけ
塩     小匙1
醤油    大匙2
味醂    大匙2
葱     お好みで

伊勢宗瑞といってもピンとこない人が多い。彼のもっともよく知られた名前は北條早雲。しかし生存中に自身がそう名乗ったことも人からそう呼ばれたこともない。
元々の名は伊勢新九郎盛時。出家した後の法号が宗瑞。
伊勢氏は室町幕府の政所に出仕する一族。現代風に言うなら財務官僚。備中(岡山県)に所領を持つ家の出身。
従來、氏素性もない牢人が五十を過ぎてから關東下向、大名に成り上がったと言われてきましたが、どうもそうではない。


厚揚げを適当な大きさに切る。

新九郎自身も九代将軍足利義尚の申次衆として幕府に出仕。
転機となったのは手紙。
新九郎の姉は駿河の守護、今川義忠に嫁いでいたが夫の死後、家督争い勃発。弟に救援依頼。
義忠死亡時、北川殿と呼ばれていた姉との間に龍王丸という子がいたが、まだ六歳。とても守護は務まらないということからしゃしゃり出て來たのが義忠の従兄弟、小鹿範満。
今川家の家督争い調停のために新九郎は東へ。
姉や甥のためでもあるが、幕府から命令も受けていた?


昆布を細かく切る。

小鹿の後ろ楯になっていたのは扇ガ谷上杉家の家宰、太田道灌。
道灌と協議の上、新九郎は調停を取り纏めた。
龍王丸が成人するまで小鹿が今川家の家督代行。
これで仕事は終わったが、新九郎はそのまま駿河滞在。
惡い予感があった?
十年後、予感的中。
小鹿からすれば代行とはいえ一旦、権力を握ってしまえばどうにでもなると最初から思っていたか、或いは守護の座に味を占めたか、龍王丸が成人しても当主の座を譲る氣配なし。
太田道灌についてはコチラ。↓

非難したり闇雲に攻撃を仕掛けても勝てるかわからない。そこで新九郎は幕府に事態を報告して、将軍から家督を龍王丸に譲れという御教書を取り付けた。
駿河に居ても幕府とのパイプは維持していた。
これを大義名分として兵を集めて今川館を襲撃、小鹿親子を自害に追い込み、甥に今川家を継がせた。
もう一つ勘繰ると、この事件の前年、太田道灌は主の上杉定正により誅殺。
新九郎が背後で唆した?
氏親と名乗って今川家当主となった龍王丸は頼りになる叔父、新九郎に伊豆との境にある興国寺城主を任せた。


豆乳と調味料、厚揚げ投入。沸騰しないように温める。

伊豆には堀越公方という足利家の一族。
關東統治の為に鎌倉公方という役職があったのですが、色々あって古河公方と堀越公方に分裂。
堀越公方は足利茶々丸という人格破綻者。
名前からして常識外れ。茶々丸とは幼名。諱とか通称が伝わっていないというより、まともに元服すらしていない可能性。何故なら長男ながら父から家督相続者には不適格と見做されて、牢屋に幽閉されていたヤバイ人。
父の死後、脱獄。父から跡取りと指名されていた弟の潤童子と母親を殺害。(茶々丸の生母ではない)強引に堀越公方に就任。
身内ですら殺す人ですから、領民には恐怖政治。


湯気が出て来た位でご飯投入。

奇妙な巡り合わせ。
茶々丸にはもう一人の弟がいましたが、その人物は室町幕府十一代将軍に就任した足利義澄。
自分の母と弟を殺した異腹の兄、茶々丸に怒り心頭。討伐命令。
誰に?
勿論、頼りになる男、伊勢新九郎に。
幕府からの討伐令を大義名分に伊豆討ち入り。この頃に出家したらしく、法名である「早雲庵宗瑞」と署名した文書が見られ始める。
關東公方が二つに割れていたように、補佐役だった關東管領の上杉家も扇ガ谷と山内のニ家に分裂。
茶々丸は山内家と結び、新九郎改め宗瑞は扇ガ谷と同盟。
同盟の友誼で山内家との合戦に参陣。しかし川を挟んで対峙中、扇ガ谷の当主、定正が落馬により死亡。宗瑞は撤兵して伊豆侵攻に専念。
臭いな。
余計な戰に付き合いたくないので、ついでに扇ガ谷上杉家を衰退させるために落馬するよう仕向けた?


いい感じに煮えてきたら、青海苔と粉チーズ投入。

ついに茶々丸を追放。伊豆を手中に収めると宗瑞は韮山城へ拠点を移した。
頭の回転が速く、恐ろしく切れる謀略で敵対する者を屠ってきた宗瑞だが、やらなければやられるのが武家の倣い。その代わり権力争いとは無縁の領民には善政。
税率は四公六民。米の取れ高が良くない年には免除も。
多くの大名が恐怖による支配を行っていた中、慈悲を示すことで下の者達に慕われ、ついて行きたいと思わせる尊敬による統治。
この頃、二本杉の根本にいる鼠が幹を齧り、杉が倒れると鼠が虎になった夢を見たという。
事実上の關東の支配者、扇ガ谷と山内の両上杉家を子年生まれの自分が倒す吉夢と捉えて、虎の印鑑を用いるようになった。


カルボぞうす伊勢宗瑞

味噌汁の出汁を取った後の昆布だが、まだまだいい出汁。細かく刻んで残さず頂く。粘り成分のフコイダンがとろみっぽい。残りご飯を用いた雑炊に刻み葱を掛けて爽やかさを演出。実は豆乳もチーズも半端に残っていた物。新たに買ったのは厚揚げだけ。残り物だらけの料理だが、正に残り物には福がある。
チーズと豆乳、とろみがカルボナーラソースを思わせるということでカルボ雑炊。
チーズと厚揚げと高タンパク食。

宗瑞は更に東へ向かう。
次の標的は相模の小田原城。
城主の大森藤頼に贈り物攻勢。
物くれるいい人と思わせた頃に、宗瑞はお願い。
「狩りをしていると鹿が小田原に逃げ込んでしまうので、勢子をそちらの領内に入れることを許して欲しい」
その位ならばと大森は承諾。
日が暮れた後、何頭もの牛の角に松明を結んで小田原城へけしかけた。
火牛の計というやつ。それを先導に勢子に扮した将兵。
音と光に、大軍が攻めて來たとビビった大森達は城を捨てて逃亡。こうして宗瑞は小田原城を奪取。
この城を拠点に宗瑞の子孫は關東に巨大な領国を形成していくことになる。
宗瑞自身は韮山で生涯を終えた。

北條と名乗り始めたのは宗瑞の息子、氏綱。
伊勢氏は鎌倉幕府執権だった北條高時の遺児、時行の子孫という伝承があり、先祖の姓に復したということ。關東の人々にとっては馴染ある北條を名乗ることで統治を円滑にという狙い。
戦國時代、關東に覇を唱えた北條氏の始祖となった伊勢宗瑞を妄想しながら、カルボぞうす伊勢宗瑞をご馳走様でした。

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