今まで「ニコチンと大学生と」と「ニコチンと大学生」で表記揺れがあったので統一した。 宇宙(うみ)との交信 宇宙は海と似ている。綺羅びやかに輝く宇宙は我々の故郷でもあるように感じる。暗くて温かい場所は空にもある。 我々の頭上にある宇宙は母なる宇宙。脳に宿った瞳はそれとの交信を可能にする。Blood Borneのような書き出しであるが(私の哲学というか空想はもろに影響を受けているが)、これは事実である。宇宙の内容は人それぞれかもしれない、呆然と莫大な上位のなにか。脳という
ソーダ水 が冷たい夏 肺が汚れる 日々に いつも底 で溺れる奈落。 虚空 飽和水蒸気量の90%が水蒸気が漂う中、虚空を見つめ煙を肺に溜め込む。ここからどん詰まり、院試も近いのに何も手についていない。寂滅、涅槃、無常の風、そういった言葉がやはり脳裏にちらつく。 こういった鬱々とした考えがよぎることをわかりながらもタバコはやめられない。奈落に溺れ、微睡むこういう毎日はなぜ終わらないのか。 いつも 非生産的、頽廃的な毎日。自身に失望する。
有益性については議論の余地あり。 自身について 自身の分かりやすいスペックとしては北海道大学総合理系現役合格、TOEIC一発890点、大学ではほぼ単位を落とさない生活を続けてました。 勉強についての考え ここでは勉強では予習復習が~とか、この暗記法が~とかは言いません。 やれるときにやる。ただそれだけです。 やれないときは休んでください。それだと一向に進まないじゃないか、と思われるかもしれませんが、やりたくないときにする勉強ほど無駄なものもあ
ニコチンを辞めるのは難しい。 夏 皆がまつりの屋台で財布がゆるくなるころ私は青空(正確には上の階のベランダの下)でタバコを吸っていた。減煙とはいったものの達成できていないどころかひどいときは一日一箱吸っていた。 こうも、タバコを辞めるとは難しいことなのだ。特に私みたいにメンタルが不安定だと吸いたい気持ちが抑えられず、人生が衰退してゆく。 きらめき 見出しは外の光をみて思い立ったことだ。太陽から降り注ぐ圧倒的なニュートリノが窓から私を貫く。聞いているお気に入りのTEMPL
勉強に関する記事、自慢記事になりそうで恥ずかしい。
こういう日誌みたいな適当な記事って需要ある? 自身は忘備録として使えると思った。 エピキュリアン 丁寧な暮らしとは真反対、快楽主義的である私は少しそれにあこがれている。いつもルバイヤートの一節のような生活をしている私は、もっとしっかり体調管理して生きることを目的としたほうがいいのかもしれない。 生まれつき体と心が弱い私は、丁寧に節約したり掃除したりしっかり生活するべきなのか、と私は考えた。それがいまの心の枷を軽くするのであれば試してみるべきである。 タバコと其害毒論
実家で真夜中に抜け出して520円の煙の味をかみしめた。 夜半の煙 目が覚めた。思いたった。出かけた。 年の瀬の深夜1:30頃、実家を抜け出してコンビニにハイライトを買いに繰り出す。少し歩いた先にあるそのコンビニで、マッチとタバコを買った。そして私はしばらく夜半の煙をたてた、節煙中にも拘わらず。まあ、いつもより本数減ってるけれど……。手の冷たさを感じながら寒さでよりおいしくなったタバコを味わう。 「騒ぐ血を抑える」というよりも、監視下より離れて自由をかみしめたかった。
三が日休んだので、ちょろちょろかきはじめます。
新しいプランを考えた。 新しい概念、減煙。 減煙 前回書いていた予定の減煙。読んで字のごとくタバコを減らす、タバコダイエットとでも言おうか。今まで無制限に吸ってきたタバコを減らすことを目標にする(具体的には月二箱から始める)。それからどんどん減らしていって、最終的には0本を目指す。 私はタバコをやめると周りに公言していたので、プラン変更であるとかはいくら君子豹変といえども、沽券にかかわる。内密に家と大学の中だけでタバコを少し吸うだけにとどめたい。 寒煙 飲酒と
ちょうどいい記事かけたけど、もう見る人いないのかな。
私は2024年から禁煙(減煙)する予定のヤニカスである。 私は喫煙可能になったころに喫煙を始めた。 きっかけは好きな人が吸っていたとか、単純な興味とか、からとかだったと思う。常喫はアークロイヤルとかハイライト。私は今日も馥郁たる紫煙を燻らせる。 紫煙 ある冬の朝、くゆらせたタバコの煙はそのまま雲の中へ。するとやにわにとある考えが降ってきた。「いつタバコやめよう?」 もともと、老齢になったところで吸ってる自分を想像できていなっかた。人生設計になかったのだ、タバコは。脆
お久しぶりです。 記事同士の聯絡は無いほうが良いと知っている。 精神病に罹るということ 自らの経験からの精神病に関する思索。(とある鬱病患者の視点) 一般的なことではない。 ドラスティックな変化 鬱病になって、信条が劇的に変わった。 それは所謂"多感な時期"と銘打たれた、心身の発達時点において精神を病んでしまったからだろうか。 客観的には私は19歳の頃に大鬱病と診断され、今は寛解ともとれる容態にある。主観的には希死念慮と罪責感を伴う気分の抑鬱が、17歳の頃から顔
Cookie Clickerしながら記事描いてます。 頑張ってしあげるよぉ~!
1.文体迷走中。 2.更新頻度しっかりします。まずは提供し続けること。
粉薬が苦い。
まず、初めての試み。いろいろを試すということ。 自己紹介 鮎野鱗(あゆのうろこ):ライターを名乗るにはあまりにも稚拙で、学生を名乗るにはあまりにもエピキュリアンで魯鈍すぎる。noteを書くことで抱える鬱屈とオサラバするという間抜けな目標を掲げる。禍福糾纆が座右の銘だと思われる。 生年月日や趣味などは追々。 タイトルと内容の関連について 初投稿のタイトルは手元にあった画像を参考に決めた。 画像はほぼ自身に著作権があるいつかにとった写真を採用して、問題が起こらないように