ニコチンと大学生と⑥
今まで「ニコチンと大学生と」と「ニコチンと大学生」で表記揺れがあったので統一した。
宇宙(うみ)との交信
宇宙は海と似ている。綺羅びやかに輝く宇宙は我々の故郷でもあるように感じる。暗くて温かい場所は空にもある。
我々の頭上にある宇宙は母なる宇宙。脳に宿った瞳はそれとの交信を可能にする。Blood Borneのような書き出しであるが(私の哲学というか空想はもろに影響を受けているが)、これは事実である。宇宙の内容は人それぞれかもしれない、呆然と莫大な上位のなにか。脳というアンテナが宇宙をとらえ、卒爾豁然とひらめく。アイデアが降ってくるとは至極当然な表現なのである。
まあこのように囈語をつらつらと並べるのは得意な部類ではある。次章では真っ当に最近の私の大学生活とニコチンについて認めようとおもう。
わかばそして。
最近Hi-liteとアークを吸うのをやめた。味の感じ方が変わったのだ、うるまやわかばのほうが私にはあっている。タバコにはラム酒やバニラの着香は不要な気がするのだ。できるだけシンプルに行きたい、そういう思いがタバコの嗜好にも出てきているのであろう。
タバコの味そのものが好きになって来ているのは、レギュラーのタバコくささとタバコの味が好きになってきているということである。またニコチンに依存しているのではないかと思う。ニコチンの接種が目的になっていて、余分な味が不要に感じているのではないかとも思う。
しかしここで疑問なのは、旧三級品に分類される私好みのタバコは雑味が強いのが特徴である。うるまもわかばも苦みと甘みをもつ。完全にストレートな赤マルなどとは全く違い、私は赤マルがあまり好みではない。これは余分な味わいではないのか。ここで考えられるのはお茶が好きだけど、ジュースや水が好きではないという感覚が近いのではないのだろうか。ジュースほど強くてわざとらしい味は好みではない(私はジュースが好きだが)、というのと着香がついているタバコと一緒なのではないのか。また、水は飲めるがそれよりはお茶のほうが好きというのは類比ではないだろうか。
つまりは程度問題なのである。やはり好みというのは難しい。
今回はキーボードを叩くのが楽しくて色々書いてしまった。あまり意味のないものも