A N

純文学が好きです。書き始めて三年になります。noteはほかのSNSでは公表していない大切なひみつの場所でもあります。

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最近の記事

応募するよ(やっと)

金曜日のあさはやく「グループを抜けます」ってLINEがきた 純文学(概ね)グループを結成して1か月、男性2名•女性2名(わたし含)のうち女性メンバーからのLINE その理由が「扱いがフェアじゃない、……意地悪……」と書かれていて、そのあとも悲しい言葉が延々と続いていた それを読んだとき泣いた だってわからない 状況がわからなかったから泣いた 突然すぎてショックで泣いた 涙のせいで見えない画面に震えながら必死になって長文を打って三つ送った それはただのわたしの言い訳として在っ

    • 逃げてる感

      最後から2回めの推敲をしている途中だけど、どうしても横道に逸れたくなってしまう。集中力がないことが原因でもあるけど、逃げる自分を見て見ぬふりしている感じがひどくなっている気がして落胆するので、仕事前に(仕事始まってる……アップだけ許して)すこし書いてみた。 私はたぶんいつも逃げてる。逃げる先に種類があるとすると、意識が飛ぶ方面のもの、種類。みんな同じなのかなぁ。 例えば会議中の間延びした時間や今話しても仕方ないことが話されているとき、誰かと話しているあいだに興味がない話題

      • テーマ

        初めて、女性と読み合い 同年代の女性の作品を読んで テーマの重さを受け取った 受け取って そうだ、私は幼稚なんだ、と思い出した 彼女のテーマに生と死があった 私は書けない 自分が年単位(月単位になることもある)で 生を考えているからかな 今年(月)は生きた でも、来年(月)はわからない 存在を消したいときがあって 家族のことを考えたら消せない 生命を延ばしている みんなそうなのかな よろこびだって嬉しさだってある世界にいるのに ただ、生、命、を粗末に、はしていない

        • 決めたこと

          最近よく、自分が書いているものが純文学と言えるんだろうかって考える 純文学がこのうえなく好きだって思って生きてきたけど、なんとなく、私の書いているものが、私の思う純文学のその域に達するような絶対的な鋭さを持ち合わせていない気がしていて(たぶんすごく正しい) その鋭さを表出させるためには、いま持っていないなんらかの感覚を見つけないといけなくて、見つけるまではきっとひとつも出てきてはくれないんだろうなって思う そのことを言い訳に、ではないけれど、純文学以外のところにも応募してみ

          八月

          八月が終わると夏が終わるのかな 残暑がひどい日々はきっと続くから虫の声が涼しく聴こえたとしても夏はまだ終わらないだろうな 暑くてもいま頃の夜は好き 最近ずっと平和だなと思う 音とか光とか風とか自然をそのまま受け取り 知らないことを知らないとはっきり言えて 詳しいひとに教えてもらえたり、経験したりできている そして今年の八月もふだん会えないひとたちと会って話せた こういうことを深く掘り下げて考えるべきなんだろうな、書くうえでは…… 周りの現実はそんな内容ばかりだったけど 打

          満月のよるにおもうこと

          正解なのかは分からないけれど、どこかを目指すという目標が一時的になくなったので好きに書けていると思う どうしてこうなったのかは分からないけど 日光のあの場所で木々の隙間から太陽の光を見たからかな この間の大雨でずぶ濡れになったあとかも 書きたい、がなにより上回って ちゃんと納得のいくように、書きたい いつだって「痛み」を書きたい 私だけの「痛み」では意味がなくて誰かの心のうちにも存在する「痛み」を書きたい そうそう、そうだよね それでも私は生きてるよ 正解なんて見えなくて常

          満月のよるにおもうこと

          映画『哀れなるものたち』

          5月は書くこと読むことについてなんとも表現できない1か月でした(まだ終わってないけど) ということで今日観た映画の感想を。 『哀れなるものたち』 映画.comの説明によると 「女王陛下のお気に入り」のヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンが再びタッグを組み、スコットランドの作家アラスター・グレイの同名ゴシック小説を映画化。2023年・第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で最高賞の金獅子賞を受賞。 不幸な若い女性ベラは自ら命を絶つが、風変わりな天才外科医ゴッ

          映画『哀れなるものたち』

          夜だから言えること

          重度のファザー・コンプレックス それは現実では誰にも言っていないけど 強烈に 私が プロットをたてないで書いたものを 読んでくれたひとには 気付かれてしまったかもしれない 今回も 父親の冷たさに 拗ねたままの私がいて ぜんぶ私の感情の 露呈と行程だった プロットをたてないと いつもそうなる 父親への感情が滲んでしまう 青白くて細くて神経質で 難しい言葉ばかり言って 本ばかり読んでいる冷たい父親からの愛情が ずっと欲しかった 言えなかったから押しつぶしていた 今は恥

          夜だから言えること

          締切まであとすこし

          締切まであとすこし、のいま 書いて表現するって難しいなと思ってる 今ごろ 相手の目を見て、相手の顔色をうかがいながら話すのとは違う 悩んで考えて表現したとしても 届いたひとの脳内でどんな感じで広がるのか 脳内に入る前にもう拒絶されているのか すこしも分からない 優しくあって 優しく広がってほしいと思っても それはただの願望にすぎない うちの庭には変なところにモッコウバラのアーチがあって それは私がそこに設置したのだけれど 薄く紅茶が香る白い花が窓の近くにあって、良くて 『

          締切まであとすこし

          抜けたのかな

          中編について、とりあえずの推敲ができました。 くらいトンネルからは抜けたのかな。 理解して欲しかった人に理解してもらえたかどうかは別として、ですが。 今回は11月から書き始めてずっと苦しかった。 このままの状態で書き続けたらどうなるんだろうという苦しさ。 それなのに続きを書きたいから、隙間からそっと覗くような日々。 中学の頃、水泳部にいたからか、たいてい、感覚がみずのなかの感覚に変換される。 プールまわりのコンクリはちゃんと足の裏が熱く感じるくらいの日、青い空の下、水の

          抜けたのかな

          いま起きていること

          このnoteの存在をどこにも公表していないので どなたかに読んでもらえるのか どなたにも読まれないのか 分からずに書いてます (公表する勇気がでないんですよね、どうしてかな) 今とても行き詰まっています 理由は分からないです 考えること自体ができていない そして常に逃げたいと思っている こういうとき起死回生というか 元気になるために観ていた 『プラダを着た悪魔』も いまは自分を責めてしまう 鋭い棘になってしまいそう 完璧に描写された小説もそう 長く細い棘になりそう だか

          いま起きていること