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【復職NG・休職延長宣告】虚無感にたいしてどう向き合うか。

先日、心ずたぼろな状態で記事を書いた

読んでくださった方、ほんとにありがとうございます 泣

あれから無事、診察を受けることができ
ドクターから
「復職NG」「休職延長12月末まで」の宣告を受けた


その瞬間、「ガ―――ン」となり
落ち込んだものの

一日たち、諦めがついたのか

付き物が取れたかのように
静かにものを考えられるようになった


ということで、次回以降の記事では

・復職NGとなった際のDr.との会話
・その結果を受けての職場とのやりとり
・今後について

など、備忘録がてらすこしずつ書いていこうと思う

*****

今日は、上記の出来事をうけて
あらためて、自分の虚無感とじっくり向き合ったので
その中で考えたことをつづりたい


※実務的な内容は何もなく、ただ私の思考の流れをだいぶ暗い文面で書いてあるので
ほんとに興味のある方だけ読んでいただけるとうれしいです







母なのに、死を思う自分


私は抑うつ状態がMAXだった時
よく死を思った
子どもがいるにもかかわらずだ
その事実が、より私を苦しめた


以前、母という立場で書いた唯一の記事

このなかで
必死に「子どもの心を守ろう」とする心情をつづったが
その一方で、自分の心には、死を思う感情があった


こうした相反する感情が同居してる状態
この状態に耐え続けるのは
まーしんどい



昔、男友達の奥さんが自死した

抑うつ状態がしんどかったとき
20代の頃、男友達の奥さんが
2歳の娘さんをのこして自死したことを思いだした

当時、その友人は私に
「なんで娘がおるんに死ぬんや。意味わからん」と言って
私は何といえばいいか分からず、
ただ「そうやな…」とつぶやいたのを覚えている


あのころの会話をふっと思い出して

今、奥さんの気持ちがほんの少しだけ分かる気がした



この奥さんには
優しい旦那さんがいようと、かわいい娘がいようとも
それを凌駕するような虚無感、埋められない自分の存在のむなしさというものがあったんとちゃうか?

そう思った




虚無を自覚すること


以前の日記にも書いたが
私は「むなしさ」というものをずっと感じて生きてきた
精神科医がきいたら「それは精神症状」というかもしれない


でも、こういう虚しさ
虚無の存在に気づいてることが
まず大事なんじゃない?と
今回、自分の内面をみて思う

なぜなら、
虚無は亡びに導くパワーがあるから
それを自覚できていなかったら、
扱うこともできないし

その先はほんとに滅びしかないように思うから


なので、自分の虚無をしっかり所有すること
そこで初めて
真新しく広がる心の世界って
あるのでは?と思う

その世界がなんなのかは後述する




虚無の隣にあるもの


長々書いてきたけど
私は結局、これをいちばん書きたいんだと思う


虚無のとなりに神がいる

なんでそう思ったんだろう?


休職延長宣告をうけて、ガーンとなり
「お先真っ暗」と思って座り込んだとき

しばらくしてふっとそう思った



もうちょい詳しく書いてみたいんだけど
がんばって言語化をこころみたんだけど
感覚的なものゆえか
まだ言葉としてぴったり浮かんでこない

でも、この感覚は
私の信心から来ているものだとも思うので
読んでいただいてる方には
「あーそうなんだなぁ」と
思ってもらえたらと思う




休職延長をうけて、考えてること

自分っていう人間って何だろう?
妻、母、心理士をとっぱらった
私という人間そのものが、分からなくなった

思考の流れがぶっ飛んでるかもしれないが

私という人間を理解するまえに
まずは、人間をつくられた神を知りたい。

ずたぼろで真っ暗な私の心の隅にあった、
隣に神がいるという感覚

あの感覚は
私のなかで主観的に事実で

暗闇の中にあった感覚に
私は光を見い出したいのかもしれない


適応障害になって
あまり読めていなかった聖書

もう一度立ち返って、読んでいきたいと思う






…ということで、今後の私のnoteは
休職日記のみならず、魂の日記にもなっていきそうな予感

発信媒体を変えた方がいいのか悩んだが。。

休職日記も、魂日記も
どちらも私の心の歴史ではあると思ったので

しばらくnoteで書いていこうと思う

ご興味のある方がいらしたら
ひきつづきよんでくださるとうれしい ^^