【適応障害】好きだったことが、まだ出来るようにならない。
生まれてこのかた
私は音楽とともに生きてきた
特に洋楽は
私の気持ちの調整を
一番に助けてくれてるものだったので
生きてく上で
なくてはならないものだと信じていた
が……
適応障害になってパッタリと
洋楽が聴けなくなったのだ
哀しい。
今日は、そんな
好きだったことが、好きじゃなくなった
そういう病気でもたらされた変化に対して
自分がどう向き合ってるかについて
書いていきたい
洋楽が聴けなくなった自分
正確にいうと
聴きたいと思わなくなった、というかんじ
「うるさそう」
というイメージに変わってしまったのだ
あんだけ好きだったのになぁー
さびしいなー
でもやっぱ、うるさい
と感じるので
今はきくことができないのだろう
代わりにきくようになった音楽がこちら
Relaxing Music ~♪
歌詞がないので
ことばで脳が邪魔されることがない
ペース感がゆったりしているので
リラックスできる
朝にきくのはこれ
夜にきくのはこれ
読書中はこれ、と
タイミングややることによって曲を変えてる
リラクシングミュージックは
ほんと気分の調整に一役買ってくれる
感謝×2だ
Spotifyプレミアム
休職中だけ利用しようと思ってたけど
これからも末永くよろしくー、となってる
大好きだった洋楽さんに対する、今の思い
長男も洋楽好きで
昨日もヘッドホンつけながら
ノリノリで勉強していた
そんな長男をみて
「あー自分もあぁいう感じだったなぁ」
と思う
郷愁感というか
けど
「また洋楽好きな自分に戻りたいか?」
と問えば
ぜったい戻りたい!、とまでは思わない
もし今後
ききたいなぁと思って
いざ聴いてみて「やっぱ最高ー」って戻ったら
あぁやっぱ、好きだったのねーとなるだろうし
戻らなくても
まぁ、リラクシングミュージックに心地よさを感じる
新しい私が誕生したってことかぁ
となるだろう
そうやって
病気でもたらされた自分の変化に
慣れていく
なじんでいく
その過程も、不思議と嫌じゃない
病気になっても変わらない部分
きっと、以前の私しか知らない友人や同僚と再会したら
「あれー?なんか変わったー?」
と言うだろう
もしそうやって声をかけてくれたら
ここぞとばかりに
「そうよ、変わったんよ、話きいてくれる?」と
適応障害の
サバイバーぶりを
熱弁するだろう
そう思うと、
病気によって
音楽の好みが変わった部分はあるけど
病気になる前もなった後も
感動を分かち合いたい、という姿勢は
変わらないのだなと思った
自分、どんまーい
では、今日もゆっくり
ぼちぼちでいこー (*^^*)