物は少ないほうがいいー苦しみに飲み込まれそうな自分の、その想像力を称賛する。
仕事のために、地球を半周した。もう戻らないつもりで綺麗にしてきていた部屋は、物が少なく、とても心地よかった。きっと、私がいまこの時期にここに戻り、毎瞬クリアな自分になるために、3か月前の私は準備を促されていたのだろう。
毎朝、毎瞬いまと思ったときに瞑想している。とても気持ちが良い。
起き抜けの瞑想をすべての人に心から薦める。
一か月ほどで変わった自分を体感する。これは本当のことだ。
3か月前はぐちゃぐちゃだった。眠れない夜、考えすぎて不安と心配に飲み込まれる毎日だった。手放し瞑想し、いま心地よい私の中心を捉えている。
朝は不安になり、ぐるぐると止まらない考えに飲み込まれそうになることも、ある。ただ知っている。これは一時的なずれで、安らかな光の源泉はいつも私のなかにあることを私は知っている。だからどこかで「大丈夫」と思えている。これは明らかなる違いだ。
考えていることは、大概起きていないのだ。想像の産物。
目の前にない想像をありありと感じ、苦しみにさいなまれるほどの自身の想像力に感心してみてはどうだろう。取りつかれている最中に、ふとその考えが幻想であることを思い出し、それに踊らされるほどに苦しんでいた自分の想像力の逞しさに面白みを感じるのだ。信じやすく純粋な自分がとても滑稽に、愛おしく思えてくる。嵐や泥水のようにぐるりと頭と心をめぐっている考えと、自分の魂との間に距離をつくるのだ。隙間があるから、それを確認するのだ。
すると、あ、幻想だった。映画を見ているようなもの。とてもリアルだけれど起きていない。だから映画館を出て、お茶して元の私に還ろう。
そんな気分になる。
何もない部屋と、アロマと、瞑想。私が私に還る道に居る頼もしい仲間。
今日もありがとう。楽しかった。