見出し画像

花言葉はソラシド(4.金木犀が真実)


 29歳になった。4年前のラッシュに続き、今回も皆が30代までに何とか滑り込もうとする。
 自分も例外ではなかった。それもその筈、つい最近、年下の恋人にフラれたのだから。
 〈大事な話〉がプロポーズだと信じ込んで「実は別れ話でした」なんて、ありきたりなストーリー、いつまでも主役になれない人生。
 

 そこに、あれがやってきて、心の中で「ざまあみろ」と思い、捨てられた方をこちらが拾って遊び半分で構うと、何度も感謝される(本当はハッピーエンドへ向かうのに、寄り道をしている暇はないけれど)。
 

 ブログも削除したって、スクリーンショットが撮られたら?
 インターネットには半永久的に残り、最早ただの離婚では済まなかろう。



 昔から一定の距離を保たなければ、というかひとりでいたいのにも拘らず、人に囲まれてしまうようなところがあり、孤独な佑には分かってもらえると高を括ってーー必ずしもそうではなく、家族を欲しがるとは思わぬ誤算だった。


 ほんの一時の在宅勤務で、これ幸いとばかりに連日、入り浸っては帰ろうとしない彼の前で溜め込んだものが流れ出る。
「自分の気持ち、押し付けないでよ!」
 全力で向き合ってくれて、私のことを世界で一番、愛している夫が日を追うごとに、洗濯機と壁の隙間に落ち、挟まった靴下のように思えた。

 このせいでいまいち同居に踏み切れず、妻が怒りっぽく変わっていけば、幸せからは遠ざかる。


 だが、基本的には仲良しな夫婦として過ごし、同じ熱量を持って接したくとも、応えられない自分が、数年後に悲鳴を上げた。


 春先に佑から、桜の香りをイメージしたらしいヘアマスクを貰う。
 所謂〈バズり〉の商品で、発売間もなく入手困難となり、流行に乗り遅れて買えなかった私に
「はい、プレゼント」
ぽんと差し出す辺り、何かがおかしいと感じる。
 彼は美容に疎く、加えて限定品よりロングセラーを選ぶタイプだ。

 
 ひょっとして浮気では(そういえば最近、金回りと機嫌がいい)?
 考えに至ると、心の臓に冷たい物が当たった。疑惑の種が芽吹き、急きょ「久しぶりに佑の部屋に泊まりたい」と強請る。

 しかし、即答で「嬉しい」と返ってきたおかげで胸がじゅくじゅく痛む。
 一見、純粋で喜びに満ちた表情の裏を読もうなど、私は醜い。


 掃除したての、フレッシュな消臭スプレーの匂いに包まれ、開きっ放しの窓、普段通り漫画が積まれた真っ白いローテーブルにはお馴染みの液晶ペンタブレットと、ノートパソコンがあった。


 以前の佑は創作系ウェブサイトによくイラストを投稿して、私も追い掛けるように毎回ブックマーク、活動を見守っており、てっきり再開予定なのかと思ったが、不用意にもノートパソコンの電源が入ったままで、伏せられた画面は別の文章媒体で。


『盗撮されて庇われる』『藤棚の下で運命的な再会』『すっぽかしの花火大会に駆けつけてくれた!?』『人から崇められるレベルの美女と交際0日婚へ』等、片想いしか経験がなかった男の赤裸々なエピソードがコミックエッセイとして世間に公開されている。

 本人が調理中の出来事で、マウスのクリック音は換気扇に吸い込まれていった。

 ふたりだけの秘密は1万人のフォロワーを抱えた〈ファレのブログ〉から垂れ流し、たかが欲によって無断で結婚生活を描かれ、一歩踏み込んだ音声配信の有料コンテンツで収益化、ファンから寄せられたコメントで贈り物を決め、つまり愛する世にも美しい妻は飾りに過ぎない、強い衝撃を受ける。


 藤紫。あの、小恥ずかしい呼び名すら読者に親しまれて、様々な感情が入り乱れた果てに、ぷつんと切れた。
「別れましょう」
「んー?」
 ダイニングテーブルに次々と私の好物が並べられる。
 本日のブログは『手作りピザで胃袋を掴め』で何だか、た、す、く……が、歪んだスローモーションに……。


 白々しい笑顔も、ゆるキャラに成りすましたストーカーのようで、全てが生理的に受け付けず、まともな(自分にとっての)世界がひっくり返った。


 意外にも彼に悪気はなく、職場の先輩に勧められて始めたら〈伸びて〉しまったのだと言う。
 なお、一度失った信用を取り戻すのは途轍もなく大変で、私たちは離婚を選び、無理にSNSで報告させると、わんわん泣かれる。
(こちらが悪者とでも?)
 瞬く間に鳥肌が立ち、嘔吐を催し、嫌悪感に襲われた挙句、佑を突き放した。


 パスワードを変えすぎてログインできなくなるような過去形の大好き。真相を素直に綴ってブログは炎上(知らんがな)。


 そこで彼の祖父がどうも記憶が怪しいとかで、祖母のみに任せておけない状況に陥る。『僕がいなきゃだし、地元帰るね』のメッセージを『了解』スタンプで遇らう私は、差し詰め誰かを心から愛せない女なのだろう。
 哀しみはどこかに放り投げ、涙さえ枯れて出なかった。


 到頭、唯一ありのままでいられた相手と離れ離れ。ぽっかりあいた穴を埋めるべく、仕事に打ち込むも、そろそろ容姿を活かし、自社ブランドのモデルになりませんか、と声が掛かってげんなりする。


 帰路にて、電車の曇った窓ガラスに映る自分の顔がこうでなければ、結末は違ったのかも知れないと思いを巡らせた。
 例えるなら『よかったら会お?』の連絡をちまちまと送ってくる峰みたいな。