うらやましいの交換
社会では「羨ましい」の交換がなされているようでならない。
「あのひとはこんなことができて羨ましい」
「あのひとにはあれがあって羨ましい」
「あのひとにあんな出来事が訪れていて羨ましい」
そんなあらゆるひとに思う「羨ましい」と言う感情は、別の言い方のひとつを掘り出すと、
「わたしにはないものがあなたにはある」
ということのような気がする。
だからこそ、その「あなた」を「わたし」は頼ろうと思って、「自分が苦手なこと、出来る人を羨ましいと思うこと」と、「相手が苦手なこと、相手にとって出来る人が羨ましいと思うこと」とを交換してお互い補い合っている。
そうやって日々の生活は成り立っているような、そんな柔らかい仕組みが社会には存在しているんじゃないかなと、思えてやまない。
時折、心のなかに「羨ましい」という感情が、他の誰かに向けて湧き上がっては覆い尽くされそうになる。
自分にないものを見つけては、急いでそれを補おうとせかせかと焦る。
でも多分そんな時に必要なのは、「羨ましい」という気持ちを受け入れて、本当に自分には「ない」ものなのかを静かに問うて、そしてそれでも「ない」と判断したものは、誰かに頼る。そういう勇気なんじゃないかな。
そんな私は今年の下半期に訪れた素敵な出逢いをくるくると紡ぐ時間を今日は過ごした。
その時間が終わってぼーっと椅子にもたれかかっていると、色んな不安が私の中から湧き上がって来た。
こういう仕組みがあれば、私の仕事を受け取って下さる方にとって便利なのでは?と思い立ってその仕組みを調べる。
そうすると関連で色んな仕組みや法律が流れてきて、その中は知らないものだらけなのだ。
やってみたいと思っている仕事は、法律違反じゃないだろうか。いやまて、ここにはこんな契約書が必要になってくるのか?
そもそも不安視しているこの仕組みは、本当にこの法律の文言に当てはまるのだろうか?
疑問を湧き水の如くとめどない。
そんな疑問が頭を巡っていたら、気づけばこんな時間になっていた。
この法律のことも知らなきゃ、あの法律のことも知らなきゃと、足らないものばかりが目につくけれど、「これってどうなんでしょう」と周りの力を頼ることに、「羨ましい」を交換することに、少しの勇気よ湧いておくれ。
そんな深夜の考えごと。
かみつれ日記 2022.11.29
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