30代独身女、適応障害になりました。
はじめまして。Midoriです。
タイトルの通り、30代独身女適応障害になりました…。
8月初旬に診断されて休職2ヶ月目に入りました。まだなりたてホヤホヤ新人です。どうもどうも。
みなさまお手柔らかにお願い致します。
病院で適応障害と診断されて以降、ネットで同じ病気になった方の経験を検索しまくりました。
みんな休職中どうしてるんだろう、
ていうか復職するの?できるの?退職?
これって私が悪いのかな?
以前の私に戻れるのか…、どうなんですかー?
と不安いっぱいで。
きっと同じ様な方も多いのでは、と思います。
ここは私自身が気持ちを整理するために自分の心の中を吐き出しつつ、そんな悩める同志にとっての1つの情報源になればいいなと思いはじめました。
徒然なるままに今の気持ちや自分の経験、学んだことを書いていくつもりなので、どうぞよろしくお願いします。
ではさっそく、まずは私が適応障害になった原因についてお話しさせてもらいます。(こういうのは投稿を変えた方がいいかよくわからないのでとりあえずどんどん書いていきます)
私は元々総合病院で看護師をしていました。
その職場は入った時には派閥が2分していたり、動く人が主に働く雰囲気だったり、師長さんが仲良い人の訴えばかりを聞いていたり、悪口が多かったりで(もちろん良い人もいたんです。でもきつい人も多くて…。)そんな人間関係は私にとってしんどいものでした。
ある日、「みんなわたしが仕事が出来ないって言ってるよ。」という言葉が聞こえてきました。
(いま考えると、言った奴も性格悪いじゃないかー!てかみんなって誰だよ、信じるなー!と思いますが当時を振り返るとショックだった気持ちだけ覚えています。)
私は少し抜けてるところもありすごく仕事ができる訳ではないけれど、頼まれたことは真面目にやっていたし患者さんとの大きなトラブルもなかったので、真面目に捉える必要はなかったのかもしれません。
ただ、コロナ禍もあり忙しく働く中でのその言葉は、私に大ダメージを与えました。
何より、自分自身に自信がないからこそ、響きました。
辞めようか迷いながらも1年働きましたが、もう無理だと思った際に、以前働いていた医師からオープニングスタッフとして働かないかと声をかけて頂きました。
私は、総合病院で働く前にワーキングホリデーでオーストラリアに住んだ経験があり、辞めたら海外移住に向かって挑戦するつもりだったのですが、新しい職場をみんなで作り上げる事は中々できるものでもないし良い経験になるだろうと思い、「働かせてください!」と伝えクリニックの立ち上げに携ることになったのでした。
ここでも別の意味でハードな生活が待っているとは…
つゆ知らず……。
(ちなみにまだまだまだ原因に辿り着いてませんが目が疲れてきたので後半へ続かせます。笑)
後半へー、続くー。(ここ、ちびまるこ風で)