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拒食症のおわり

前回は拒食になってから、こんなことが辛かったよということを簡潔に書きました(結局書ききれてない)が、

今日はその拒食がよくなるきっかけとなったことや、少しずつよくなる過程を書こうと思います。

拒食症になって、摂食障害を知って

拒食から過食になる人が多いということを知りました。

でも、あんなに、食べないことを徹底できたのだし、大丈夫だと、勝手に思っていた。

「なんなら、病気じゃないし」と。

そのスタンスからして病気や根本の原因を理解できてないので、アウトですね。

過食がいます、背後に。確実に。



拒食をどうやって乗り越えたか

一日に、飴一個とかで過ごしてた時もありました。

意味わからんですね。

食べない食事を目の前に出され、

箸を持てども食事と睨めっこの時間。

地獄です、まじで。本当によく覚えている。

あの張り詰めた時間。

ごちそうさま、というまでピンと糸が張って空気が最悪。

結局食べないから、その後も空気が悪い。

食事の時間も苦痛になってました。

いつからだろう、食事が楽しくなくなったのは。

食べ物が全部数字(カロリー)になる。

(そのおかげで今もお菓子や菓子パン、飲み物などなんでも買うもののカロリーを見て覚えてしまう。)

お米一粒だって怖い。

味覚や嗅覚も研ぎ澄まされ、過敏になる。

料理に使ったお醤油が変わっただけでも気づくレベル

(後々わかったけどHSPの特徴ですね)

そこから、普通に食べられるまで、、、長い道のりですね。


勉強や部活をやらねばならないのに

そのために食べなくてはいけないのに

その一口が、食べた瞬間ぶくっと脂肪に変わるような気がして

このお魚で、お肉で、一瞬でデブになる気がして

炭水化物はもってのほかで。。

食べたらいけないものとして、脳が認知し、視界から消してました。

自分ルールで食べられるものが少なかった。

そんな娘を見て、母はまた食べなかったと毎日肩を落としていました。

口では言わないけど、分かります。

そういう人です。


たまに耐えきれないようで

「もう少し食べたら?」とか

「これとこれは食べたら?」言われました。


不安だし食べてほしい母と、食べたくない私は、

当たり前だけどぶつかりますし

母は不安定になりました。

なので、全てを知っているおばの家に滞在することになりました。

うちは母子家庭で(家のことは今度書こうと思う)

母は日中仕事で家にいないので、

もし何かあったら困るという医者のアドバイスを受けてしばらく専業主婦のおばの家に行くことになったのです。

おばさん、と言ってもまだ若く、昔からお姉ちゃんと呼んでいました。

おじのことも大好きでしたし

小さい娘(私の従姉妹にあたります)もいる、3人家族でした。

私はとにかく昔からその従姉妹が可愛くて可愛くて、

ひとまわり違う従姉妹のおむつを変えたり、

ご飯をあげたり、手が痺れるまでだっこしたり、

お昼寝をさせたり、本当に全部やりたがりました。

(そのあとも他にいとこが産まれて面倒を見たいお姉さんと面倒を見てほしい大人で利害が一致、世話焼き小学生の誕生)

そのおかげで赤ちゃんの扱いが上手い、人生何回目だ、一回子育てしてきた雰囲気あるのなんで、、と子供や赤ちゃんをみるのに定評があります、自分の子供いないのに笑。

それましたが、その可愛がっていたいとこの家でしばらく暮らします。


「食いたくないって言ってる時に無理やり食わすな」

母は仕事が終わったら来て、ご飯を食べて、自分の家に帰っていきます。

そこでの生活は、とても幸いなことに、私にとても合っていました。

おじのスタンスとして

「食いたくないって言ってる時に無理やり食わすな」

「食べれないのに無理に食べなくていい」

「食べたいときに食べたいものを食べればいい」

と言った感じで、あれ食えこれ食えはありませんでした。

ピリピリとしている私の母を「そんなに心配しすぎなくたって大丈夫だ、あいつ(私)はそんなに馬鹿じゃない」となだめてくれてました。

おばは心配してるようでしたが、叔父と一緒に見守りスタンス。

かといって突き放す感じではなく、少しでも食べられるように、家でクレープパーティーをしてくれたり、タコパしたり、でっかいファミリーアイスを買ってみんなでパフェを作ったり、蕎麦を打ったり。

そんな家族の豆まきは鬼は的、正座して、受け身。痛みを伴います。

豆まきの様子。いじめてません笑


そんな楽しいお家ですごし、

食事はいろいろと楽しい工夫をしてくれました。

大好きで可愛いいとこもいて、食事の時間が苦ではなくなりました。

そしてだんだん楽しめるようになってきました。

とてもありがたかった。


「いいな、こんなお父さんとお母さんがいて、うらやましい」とひとまわり下のまだ幼稚園の従姉妹に嫉妬していた昔の私がいたことは秘密です。

そこから、食べてみよう、が増えて、

少しずつ少しずつ食べられるものが増えていきました。

回復の兆しが見えて参りましたね。

頑張れ、昔の私!


来る、きっと来る

でも忘れては行けません。

過食がいるんです、背後に。確実に。


このおうちでみんなが寝てから

お菓子や夕飯の残りをこっそり食べてしまうことが時々ありました。

そこまで量を食べたわけではないですが

今思えば予兆です。


次回は拒食の完全な終わりと、

過食が見え隠れする日々を書こうと思います。


当時から葛藤を投稿していたアメブロはこちら

大変お見苦しいので、ご注意を。

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