男女のダンジョン ―斎藤環、酒井順子『「性愛」格差論』―
私は徹夜で本田透氏の『電波男』を読んで疲れ果てた。ハッキリ言って、桐野夏生氏の小説『グロテスク』以上に「重い」本だ。自らの生皮を剥がして見せつけるような痛々しさがあるのだ。まるで「男のメデューサ」だ。
そして、お口直しに読んだのが精神科医の斎藤環氏と「電波男の仮想敵」であるエッセイストの酒井順子氏の対談集『「性愛」格差論』(中公新書ラクレ)である。この対談集では本田さんも話題にされているが、さすがの酒井さんは「リア充」としての余裕を見せている。まあ、酒井さんは本田さんに対して「いちいち悪感情を抱いてもしょうがない」相手だと割り切っているのだろうし、本田さんもまた「絶対に反撃しない相手だ」と計算して酒井さんを仮想敵に仕立て上げたのだろう。二人ともプロの文筆家としてのアキンド根性がある(あった)だろうし、要するに八百長だろう(酒井さんと共に本田さんにボロクソにけなされた倉田真由美氏はどうだか知らんが)。
この本は現代日本の様々な異性愛者の男女(そう、同性愛者などの性的マイノリティはメインテーマではないのだ)の「性愛」や「属性」を扱っている。「負け犬」やオタク男性やヤンキー、なぜか「腐女子」の名の下に一括にされているオタク女性などが取り上げられているが、それにしてもボーイズラブが好きではない(むしろ嫌いな)オタク女性だっているハズなのに、そんな女性たちまで「腐女子」扱いするのは雑だ。そもそも、BLを好む当事者ですらその呼び名を嫌う場合もあるようだが、やはり酒井さんは、そんなオタク女性たちを二級河川ならぬ「二級女性」だと見なしているんだな(自らも鉄道好きなどのオタク要素があるのに)。ただ、その一種の冷笑的な意地悪さがこの人の売り物なんだけどね。
そんな意地悪さこそが魅力的な酒井さんと、酒井さんよりはオタクに対して温かい斎藤さんという切れ者二人の対談だから、単なる平凡な格差論ではない。むしろ、ありきたりな格差論をひっくり返すような感じだ。「性愛」市場は単純な「カオとカネの交換」ではない。別の意外な要素が勝因になったりもする。斎藤さんは「男性は所有原理が強く、女性は関係原理が強い」と定義しているが、本田さんはそれを無視して、女性の欲望を一方的に即物的なものだと決めつけたのだ。男と女の「物差し」は全く規格が違うのにね。
ある女性ブロガーさんは「女は『いい男』よりも、自分を『いい女』だと思わせてくれる男を好む」と書いたが、なるほど、「男は目で恋をし、女は耳で恋をする」という言葉はそういう意味なのだ。だから「美女と野獣」カップルが意外と多いのに対して、その逆パターンは案の定少ない(恋愛は庶民の女性がお姫様気分を味わえる数少ない機会の一つだ)。とは言え、「不美人」を売り物にしている女性芸人が幸せな結婚生活を送っていたりもするし、道東出身の「鋼の結婚詐欺師」の事件もあるのだから、単純に「美人はモテる」「ブスはモテない」「金持ちはモテる」「貧乏人はモテない」とは限らない。男女の微妙な心の襞に、意外な「何か」が侵入して恋が芽生える可能性があるのだ。
男女関係は「凡庸」で「陳腐」であるがゆえに「普遍的」である。基本的・原始的なものだからこそなおさら、かえって奥深い。そして、下手な打算よりも偶然の成り行きで関係が生じたりもする。結婚は打算で出来るかもしれないが、自然な恋愛感情は打算云々の問題ではない。男女関係とは、異性愛とは、とてつもなく巨大で奥深い「迷宮」なのだ。
【ゲスの極み乙女。 - 猟奇的なキスを私にして】
当人の不倫スキャンダルによってなおさらそういう印象が出てきたのだけど、川谷絵音という人自体があの漫画に出てきても違和感がないなぁ…。