「女教皇」の名誉回復、そして「女文士」の失墜 ―マリオン・ジマー・ブラッドリー『アヴァロンの霧』―
マリオン・ジマー・ブラッドリーの小説『アヴァロンの霧』(ハヤカワ文庫)は、アーサー王伝説をフェミニズムや多神教優位論の観点から語り直した内容の作品である。その点においては、バーナード・コーンウェルの『小説アーサー王物語』シリーズ(原書房)の先駆けである。主人公モーゲンはいわゆる「モーガン・ル・フェイ」であり、アーサー王の異父姉だが、彼女は古い部族の巫女の血筋を引く娘である。
トマス・マロリーの『アーサー王の死』において、彼女は色々と矛盾があるキャラクターである。同様の矛盾がある人物として、円卓の騎士ランスロットがいるが、彼はコーンウェル氏の小説シリーズにおいては、中国・春秋時代の晋の知伯をさらに「汚く」したような卑劣な悪人という人物像にされている。私はこの悪役としてのランスロットに戸惑ったが、そのランスロットの人物像とは、マロリー版の彼が本質的に持っている矛盾に対する解決策だったと言える。
マロリー版ランスロットが「善玉」としては矛盾した人物だとすれば、それに対してモーガン・ル・フェイは「悪玉」として矛盾した人物である。彼女は自分の実父が異父弟アーサーの実父ユーサー・ペンドラゴンに殺された事によって、弟に対して恨みを抱き、陥れそうとするが、最終的には瀕死の弟を楽園アヴァロンに導くのだ。彼女がそのような矛盾した人物像になったのは、彼女が元々多神教の女神信仰に由来する存在であり、それゆえにキリスト教の観点から「悪女」として再設定されたからなのだ。
マリオン・ジマー・ブラッドリー氏はモーガン・ル・フェイの人物像を再び「リセット」した。それに対して、バーナード・コーンウェル氏はモーガンの人物像をさらに「リセット」したが、この二人の現代人作家が描くモーガン・ル・フェイ(モーゲン)とグィネヴィア(グウェンフウィファル)は、互いに宗教的な意味での立ち位置が違う。コーンウェル版グィネヴィアは最初から最後まで多神教優位論の側に立つ女神信仰に属していたが、元々ドルイド教の巫女だったモーガンは、ある人物との関わりによってキリスト教に改宗して、弟アーサーの足を引っ張る事になる。
タロットには「女教皇」というカードがあるが、それは女性の「賢者」を表すものである。『アヴァロンの霧』においては、主人公モーゲンとその母方の伯母ヴィヴィアンは「湖の貴婦人」という称号の高位の巫女として、この物語における「女教皇」となる。そんな彼女たちに対して、悪い意味で「女帝」となるのは、ヴィヴィアンの末の妹であり、モーゲンとアーサーの叔母であるモルゴースだ。彼女はモーゲンの母親である次姉イグレインそっくりのグラマラスな美女だが、韓非子の言う「君主の妻/母」要素はイグレインよりもはるかに濃厚に描かれている。
モーゲンは伯母ヴィヴィアンの後継者として再教育されるべく、聖地アヴァロンで修行し、育っていくが、彼女の若い叔母モルゴースは現世で「君主の妻」として育っていく。このモルゴースこそがモーゲンの究極的な「敵」であり、また、この小説における最大の「悪女」でもある。しかし、彼女は同時に、この小説の女性キャラクターたちの中で最も「女性」としての、さらに「人間」としての現実味がある人物でもある。
この小説は、陳舜臣氏の『秘本三国志』と似たような構成になっている。『秘本三国志』は章ごとの最後に筆者自身の注釈があるが、『アヴァロンの霧』ではだいたいの話を三人称視点で語ってから、ある程度話が進んだ辺りで、最後にモーゲン自身が語る構成になっている。そして、モーゲンは『秘本三国志』の少容と同じく影の世界の「女教皇」となっていく。
ヴィヴィアンの息子(すなわち、アーサー王の従兄)ランスロットは、酒見賢一氏の短編小説『童貞』の主人公〈シャのシィのユウ〉と同じく、「女の思い通りにはならない男」でありたがる。しかし、彼はやがて「運命の女」グウェンフウィファル(グィネヴィア)との出合いによって自らの運命を狂わされていく(しかし、彼女は〈テュシャンの娘〉ほどには狡猾にはなれない)。もちろん、彼だけではない。主人公モーゲンも含めた全ての登場人物たちが「公正な政治家」ではなく「気まぐれな芸術家」としての神々や女神たちに翻弄されていくのだ。ましてや、言わずと知れたアーサー王も例外ではない。
しかし、私は当記事を書くためにこの小説を再読したが、『読書メーター』やウィキペディアでブラッドリー氏の「夫婦揃って実の娘たちやその他未成年者たちに対する性的虐待をしていたという疑惑」を知って愕然とした。ジョージ・ゴードン・バイロンやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティのような男性の文化人たちの「畜生」行為は許しがたいが、ブラッドリー氏とその夫の「畜生」行為はさらに許しがたい。私は何人かの「フェミニスト」たちの背信に対して失望したが、ブラッドリー氏の「背信」はさらに許しがたい。
当人の娘さんたちの証言が事実ならば、ハッキリ言って、松田聖子氏や西原理恵子氏をはるかに上回る「超絶毒親」じゃないか! ブラッドリーさんよ、あんたはフェミニズムを単なる金儲けの道具にしていた「だけ」の大悪党だろ? あんたが描いたモルゴースは悪女設定だけど、あんたの方がよっぽどとんでもない悪女だぜ。ジャニー喜多川氏の悪行を事実上擁護した山下達郎氏以上の「偽善者」だな!
彼女が自身の作品を通じて、どれほど「家父長制」という制度並びに「男尊女卑」「女性差別」という価値観を批判しようとも、実は彼女自身が自分の娘を含めた他の女性たち(やその他の人たち)に対する性的虐待やその他諸々の悪質な行為をしていたのであれば、彼女には「家父長制に反対するフェミニスト」の資格はなかったという事になる。下手をすると、『ハリー・ポッター』シリーズの作者であるJ.K.ローリング氏のトランスジェンダー当事者やその他性的マイノリティーの人たちに対する差別以上に悪辣な事態だったと言える。
以上の事情により、ブラッドリー氏の一連の作品は、日本国内では現在ほとんどが廃版になり、入手困難になっている。しかし、ジャニー喜多川氏を擁護した山下達郎氏の過去の名曲たちの魅力がそれでも損なわれないように、ブラッドリー氏の作品も本人の悪名だけでは「駄作」のレッテルを貼り直す事は出来ない。
【Roxy Music - Avalon】
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