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おっと、メンタルが参っているね?

メンタルが参っている人たちの文章を読んで気づいたことがある。彼ら彼女らの書く文章は総じて似ている。
同一人物が書いているんじゃないかと疑うほど似ている。もしかしたら世界には、メンタルが参っちゃってる人はたった一人だけしかいないんじゃないかと思うほど似てる。
ああいった文章を書く人がメンタルを落とす傾向にあるのか、メンタルを落とした人がああいった文章を書く傾向にあるのか、鶏が先か卵が先かではなく、私は両輪かなと思っている。まあ、元チャゲ&飛鳥のASKAみたいにブッ飛んでる人は別として。

メンタルが落ち始めた原因は分からない。個々に原因があることだし、原因すら分からない人もいるだろう。
しかし、たいていこんな文章を書く傾向にある、という何の学術的論拠もない私見を開陳させて頂く。

たとえばメンタルの落ちている人が、「今日、出かけたこと」を書くとしよう。
彼ら彼女らは、まずその日のメンタルを思い出す。ほぼメンタルはよくない。書き出しはメンタルの不調だ。それは仕方がない。だって、不調なんだもん、しょうがないじゃないの。
そして天気を記す。気温も記す。湿度まで記す人もいる。あるいは匂いまで書く場合だってある。それはそれで大いに結構。匂いまで書くなら音も書いた方がいいとは思うけどね。ラジオ中継みたいに。
そしてお出かけ開始。すると時系列通り、何時何分に出発し、移動手段を記し、道中に見かけた動植物やいい感じのお店も記し、なくなった建物や新しくできた建物を記し、いい感じの人や嫌な感じの人がいたらそれも記し、その瞬間に思ったことを付け加える。
そして移動にかかった時間を記し、何時何分に目的地に着いたかを記す。遅刻でもしようものなら自己嫌悪に陥る。相手に悪いということよりもまず自己嫌悪が先走る。しかし自己嫌悪に陥るのが嫌なので、余裕を持って到着している場合が多い。
ほとんどの人が、苦労して目的地に着く。メンタルに何の支障もない人から見たらただの移動だけれど、苦労して目的に着く。それほど外出や人が大勢集まる場所が苦手なのだ。
目的地は個人情報漏洩を考慮しているのかどうか知らないけれど、書かない場合もある。でもたいてい書く。オシャレな場所ならなおさら書く。
当然、目的地に着いて目的の人と会ったことを記す。出会った相手とはいつ振りの再会かを書く。前回、前々回会ったときのことも書く。当時のメンタルを思い出して、今のメンタルと比較し、良し悪しを書く。ほとんどの人は、久々の再会で最初は不安だったけど会ってみたらホッとする。ホッとするとメンタルが上向いたような錯覚に陥る。
目的の人と一緒に飲み食いした物に関しても書く。たいてい、ここでもメンタルが上向いたと錯覚する。
あんなに苦労して目的地に着き、目的の人と会ったのに、帰り道はのことはあんまり書かない。書いている人もいるけれど、あっさりしたものだ。

改めて記すが、すべて時系列通り書く傾向にある。日記でもなければ、行動記録でもない。なのに時系列通りに事細かに書く。時系列通り。

ついでに言うと、人のトラブルをやたらと自分ごととして考える傾向にある。そんなもんほっとけばいいのに、おそらく人の痛みがよく分かるから自分に置き換えてしまうのかも知れない。知らんけど。出た、知らんけど。知らんけどが出ましたよ!
よその離婚問題なんてどうでもいいじゃん? 浮気問題なんてどうでもいいじゃん? 神妙な顔をして、それっぽい相槌を打って、内心で「ウケる!」って思ってればいいじゃん?
そのトラブルすら時系列通りに書く。おそろしいぐらい時系列通りに。

私が思うに、彼ら彼女らは省略が不得手なんだろうと思う。心の中の断捨離と言うと陳腐な表現で恥ずかしいが、インプットしたことを事細かに心に留めておく性向にあるのだと思う。すぐ忘れてしまう私からしてみたら羨ましい限りだが、やはり忘れることは大切だ。て言うか、たぶん、たいていの人はすぐ忘れる。何を食べたかすら忘れる。移動手段すら忘れる。遅刻したことだって忘れる。
インプットしたものの中には楽しいこともあればツラいこともある。ツラいことは心に重しとなってのしかかる。それがメンタルを落としてしまう遠因になっているんだろうと思う。

ってなことをカウンセラーでも心理学者でも精神科医でもないのに書いちゃったよ、恥ずかしい!

そんなときは、持っているだけで幸せになる壺を、今なら100万円のところを特別に5万円で……なんてことは言わない。

そんなことを書いた後で自分のnoteを読み返すと、ああ、本当に適当に生きているんだなあと情けなくなって、メンタルが落ちる。なんてことは絶対にない。時系列順に書かない。そもそも今日のできごとなんて滅多に書かない。

ちなみにサンプル数4人ですが、何か?


王ケイ

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