【読書】誰が勇者を殺したか by 駄犬
※本記事には、
ファンタジーミステリ部分のネタバレは含まれないが、
登場人物の人柄や行動などに関するネタバレは含まれる。
あらすじ
感想1 自己啓発書としてのラノベ
勇者は凡人(才能だけなら凡人以下…)だったが、常軌を逸した粘着質な「努力家」であったことが仲間から語られる。そして、何年も継続して、人の何倍も努力してなお、最後までその実力は「元から才能がある者」に敵わなかったことが明かされる。
主人公が努力するのは、物語ではよくあることだ。それでも、周囲に「お前ならできる!」と言われながら努力するのと、「お前にはできない」と言われ続けながら努力するのでは、努力を継続するために必要な努力の量が全く異なる。この物語の勇者は、才能ある者たちに「不可能」と言われ続けながら、何年も努力を続けた。成果が目にみえる形で現れなくても、努力し続けた。それがいかに難しいことか、大人になったからこそわかる。その上、その努力は自分のためですらなかった。
そして、何年も継続して、人の何倍も努力してなお、最後までその実力は「元から才能がある者」に敵わなかった。それでも、勇者は小さな奇跡を積み重ね、自分を、そして周囲の仲間を変えていった。
勇者のこの姿勢は、下手な自己啓発書より心に響き、自分もまず頑張ろう、直向きに努力しようという気にさせてくれる。たとえそれで天才を超えることができなくても、その努力が、価値ある結果を生むという気にさせてくれる。
(蛇足)
私の漫画やゲームで好きなキャラ(所詮推しキャラ)はヒロアカの緑谷出久やツイステのアズール・アーシェングロットだったが、このラノベを読んで勇者も追加された。
どうやら私は、「生まれながらに持つ者ではなく、みんなに「お前にはできない」と言われ続けながらも常軌を逸した努力を続け、それで手に入れた力を他人を救うことに使う人。それでいて、熱血や猪突猛進タイプではなく、物事を確実に実行するために戦略的に考えるクレバーさを持ったキャラクター」がタイプらしい。
感想2 戦略書としてのラノベ
勇者は実現が困難な目標(魔王を倒す)に対し、猪突猛進に挑むのではなく、戦略的に、姑息に、粘着質に立ち回った。その戦略は、前述の才能がない事柄に対する常軌を逸した努力が無駄ではなかったことを証明した。
魔王討伐に旅立った時、勇者は、騎士として剣で戦いつつ、僧侶のように回復魔法を使い、魔法使いのように攻撃魔法を使えるようになっていたとされる。しかし、その実力は、頭がおかしいほどの努力をしてなお、剣術はレオン以下、回復魔法の実力は自分の打撲が治せる程度、攻撃魔法は微弱な風が起こせる程度と、全くものになっていなかった。仲間の誰もが、「あそこまでしてこの実力なら割に合わない」と考えていた。
しかし、魔王討伐で勇者は、普通なら僧侶に頼んで治すまでもないような小さな怪我を自分で治すことで体力の消耗を防ぎ、倒れても何度でも立ち上がり、粘着質に立ち向かった。「自分の打撲が治せる程度」の、魔王討伐という大事業には到底役に立ちそうもない技術の習得は、決して無駄ではなかった。
また勇者は、正面から剣術や攻撃魔法で攻撃して魔王を倒すという「正攻法」のみならず、魔法で微風を起こして魔王の目潰しを狙ったり、火を燃え広がらせたりと、戦略的に、姑息に立ち回った。「微弱な風が起こせる程度」の、魔王討伐という大事業には到底役に立ちそうもない技術の習得は、決して無駄ではなかった。
勇者は、魔王を倒すためなら何でもするという、弱者の戦略をとり、一見実力的には不可能と思われる大事を成し遂げた。そのために、一見無駄に思える小さな技術を日々怠らずに積み重ねていた。
感想3 ファンタジーミステリとしてのラノベ
公式からは「ファンタジーミステリ」として宣伝されているが、ファンタジーとしての世界観やミステリー要素に革新性はない。いずれの設定も、きっとどこかで見たことがあるものだと感じるだろう。
ファンタジーやミステリーが好きでよく読んでいる読者であれば、物語の真相をすぐに推察できてしまうだろうから、その要素に期待して読むと、期待はずれの読後感になってしまう可能性がある。
それでも、勇者を筆頭に登場人物は魅力的であり、人間ドラマとして、エンターテインメントとしての旨みは十分にある(読み終わってみて、嫌な人物、嫌いな人物がいなかった)。そして、上述のとおり、「実現が困難な目標に向かって、凡人がどのようにアプローチしたか」という自己啓発書、戦略書として私たちを勇気づけてくれる。
そのような観点から、読んでよかった、出会えてよかったと思えるラノベである。
追伸
本を読み終わった後に、物語のオリジナル楽曲を聴くと、歌詞と物語がリンクしていて情景が脳裏に甦り、涙が出る。
・オリジナル楽曲